ICONIC CO., LTD. に入る前
ベンチャー企業一色です。キャリアのスタートは、就活の時に内定を頂いたデザイン制作会社でのインターンという経験からでした。大学生ではありましたが、授業が少ないことをいいことに、週4日出社しては、終電近くまで残って仕事を覚えていきました。そして、そのまま新卒でその会社へ、営業兼制作ディレクターとして入社。 当時、初の新卒採用に踏み切った同社では「ほんとに若いやつにできるのか?」という空気感がありました。でも、だからこそ頑張れた。デザインや広告戦略の打ち合わせと、その後の地獄のような制作期間が楽しくて、楽しくて。笑 とにかく猛烈に毎日働いておりました。 「無形」のものを創ることにどんどんハマっていく一方で、「ここには絶対戻ってくる、今のうちに知らないことを知っておこう」という発想が出てきたのが、その年の暮れ。そこで、建材を扱うベンチャー企業へ転職をしました。社長は中国人、社員も半分は外国人という環境のなか、「原価に利益をのっけて売る」という商売の基本中の基本を勉強させて頂く日々でした。何よりも鍛えられたのは、気難しくて喧嘩っ早い、職人さんとのコミュニケーション。施工現場の管理業務も多々あったのですが、大勢の作業服のなか一人派手なネクタイとジャケット+ヘルメット姿の私は、常に浮いておったことでしょう。笑 でも、職人さんと文字通り一緒に泥んこになって仕事をすることで、少しずつ彼らからの信頼を得ていくことができました。 建材メーカーでの丸2年間は、本当にたくさんのことを学ばせて頂きました。ちょっとやそっとじゃ折れない心も手に入れました。プライベート面では、生涯を共にするパートナー(妻)に出逢うという経験もしました。色んなものを背負い、同時に捨て、「最後の転職」と決めて臨んだのが、まさかのベトナムだったのです。25歳での決断でした。
現在
現在はICONICにて、ベトナム・ホーチミン本社でのグローバル人材紹介部門の責任者を務めております。慣れない海外生活、初めての海外での仕事。入社早々、ベトナム人のスタッフのみんなの名前もまだ覚えきれていない状態で、リーダーとしての役割を担うようになりました。最初の2ヶ月くらいはとにかく「まずは仲間に受け入れられること」に必死で、正直、みんなの顔色をうかがう毎日でした。でも、早くみんなと心から笑ったり励まし合ったりできるようになりたかった。ICONICの仕事は、本当に一人では出来ません。国籍を問わない仲間との信頼関係こそが、ここでの仕事の根幹をなすものであることを感じる日々でした。それは今でも何ら変わりません。 そして現在は、「Something Newなこと」に常に挑戦しております。今までのやり方が正しいなんて、微塵も思っていません。私たちは、ホーチミンの人材紹介会社としては、だいぶ古株になってきました。だからこそ、今こそ、新しいことに挑戦するべき時期と感じております。・・・というか、私は単に飽きっぽいのです。笑 今までのやり方とか上手くいく方法などは、すぐに飽きちゃう。だから、とりあえず新しいコトを新しい方法で、やってみる。毎日が挑戦と失敗と、ちょっとした達成感に溢れています。
ICONIC CO., LTD. について
意志決定の速さ、それを始動させるまでのスピード感には、いつもワクワクドキドキしています。また、「誰がやる?」という話が出てこないというのが、良いところかもしれません。アイデアを出す人間=そのままプロジェクト責任者、です。トップダウンの構造ではないことが、個々の自主性を引き出しているように思います。 例えば最近では、ある新規事業を別部門で立ち上げているのですが、私はそちらのPRムービーの制作にタッチしています。ストーリー立案からコマごとの撮影イメージまで。平日は、もちろんメイン事業の人材紹介の方に集中するため時間が取れないので、このプロジェクトは土曜日に頭をフル稼働させている感じです。「1人5役」くらいは、弊社では常識かもしれませんね。笑
今後どういうことをしていきたいか
「アジア×HR」に関連するあらゆるサービスの提供が、私達の持つ大きなポテンシャルだと思っています。「人」というテーマは最も大切で、最も難しい。だからこそ、ひとつの視点に留まらず、様々な視点・角度からのアプローチが可能なのだと思います。これからも既存ビジネスにとらわれず、一人ひとりが主体的に「サービスと文化を創っちゃう」精神で、躍進していきたいと思います。