株式会社グローバルパワーに入る前
私は上海で生まれました。 私の日本への興味が芽生えたきっかけは、中学生の時に、日本のスラムダンク(漫画)に出会ったことです。スラムダンクを見て、バスケットボールを始めました。それは、女の子にモテたいという不純な動機からでした(笑)
高校を卒業する時に日本に行くか、上海の大学に行くか迷いました。 高校の時から美術などに興味があり、スラムダンク発祥の国でもあったし(笑)、さらには日本や日本の芸術にも興味があったため、日本に行ってみたいと思うようになりました。
ただ、大学は上海にしようと思い、上海の美大に入学したのですが、大学内で仲間と話していても海外に行くような話が多くて、日本への想いがどんどん強くなり、卒業したら絶対に日本に行こうと思い、実際に日本にくることにしました。
実は当時「あいうえお」くらいしか分からなかったのですが、なんとかなると思って日本に行くことにしました。
上海国際空港での親のひきつった顔は今でも脳裏に焼き付いています。
当時は2003年とはいえ、浦東地区には高層ビルも乱立していた上海で育ったので、成田に着いたときは衝撃を受けました。もっと高層ビルがあるものと思っていましたが、電車から見える景色はただの野原が40分ほど続いたので、本当に東京に来たのか不安になりましたね(笑)
東京で日本語学校に入って、日本での生活が始まりました。 日本での生活に初めて衝撃を受けたのは物価の高さです。 当時日本で1時間アルバイトをすると750円で、在留資格“留学”の資格外活動許可での上限である週28時間しか働けないので、ひと月84,000円くらいしか稼ぐことはできません。それにも関わらず、家賃と水道光熱費で35,000円かかったので、49,000円で生活しなくてはなりませんでした。なので、電車に乗るなら2駅くらいまでは歩く、飲み物はなるべく買わないなど、とにかく苦しい生活をしていました。例えば、マクドナルドで100円マックをテイクアウトする時に水をもらうとか、吉野家で牛丼を食べるときに水を飲み溜めしておくとかあの時の節制術だけで本を書くこともできると思います(笑)
話は逸れますが、日本に来た時の苦労をもう少し話させてください。特に苦労した印象が強いのは、家探しとアルバイト探しについてです。 当時は、外国人(特に中国人)が家を借りようとすると、100軒あったら99軒がNGだったりして、入国後いきなり根性を試されているのかと思いました(笑)いや、今でこそ笑いって感じですけど、あの時は笑顔なんて一切なかったです。
また、アルバイトを探す時も、アルバイト募集の張り紙が貼ってある店を見つけては、片っぱしから入っていって、仕事をくださいってお願いしてもカタコトの私を採ってくれるお店は全くありませんでした。 ある時、日本語学校で松屋は外国人でもアルバイトに入りやすいらしいという噂が流れてきて、ソッコーで松屋に電話しましたね。(※当時松屋はバイト採用を電話で対応していた。)でも、当時カタコトだった私は電話の相手が何を言っているのかよく分からなくて、めちゃくちゃ苦労しましたね。はじめての面接も違う松屋に行ってしまったりしたのですが、アルバイトをさせてくださった松屋には今でも感謝の気持ちがあります。
このように家探しやアルバイト探しで特に苦労しましたが、今の外国人が初めて日本に来た場合、ネットで家を探せるし、カタコトバイトでアルバイトを探せるし便利な世の中になりましたね!ちょっと弊社サービスを宣伝させていただきました(笑)
日本語学校を卒業するにあたり、大学に進学することを決めていました。 大学選びの際には、東京芸術大学か大東文化大学の書道学科かで迷ったのですが、中国と日本の書道の違いに興味を持ち大東文化大学の書道学科に進学することにしました。
大学で初めて日本の学生と勉強をすることになって、「本音と建前」の洗礼を受けました。「飲みに行こうよ」と言ってくれた女の子が、実際に行こうとするとそっけない態度になるようなことが頻繁に起こって、意味が全く分かりませんでしたね(笑)日本人の男性の友達に聞いたら、それは「本音と建前だよ」と教えてくれて、人生で初めて「本音と建前」という文化を理解しました。
最初は大学を出たら中国に帰ろうと思っていたのですが、日本で大学を出た人が中国に戻ってもそれほど有利にはならないことが分かりました。 一方で、日本で社会人経験があると優遇されるような話もあったので、日本で就職することにしました。就職活動は、書道関連か貿易系というキーワードで探して、書道道具の貿易会社を検討しました。その会社は、3月までアルバイトで働き、活躍したら3月に内定を出すか考えるという話をいただいたのですが、3月にもし内定もらえなかったら帰国しなくてはならないと思うとリスクが大きいと判断してお断りしました。同じころ、偶然お会いしたお墓・お葬式・お仏壇の会社の社長と意気投合して、「ウチを受けてみないか」と言われて、ちゃんと他の候補者同様の面接を受けて内定をいただきました。 お墓やお葬式といった会社を選んだのは、日本人の死生観に触れることでより日本への理解が深まるんじゃないかと思ったのも大きいですね。
入社後、社長から「3年間は石の事を知れ」と言われ、まずお墓のデザインをしていました。お客様からニーズを確認して、デザインを作っていました。 3年後、企画室に異動して、BtoBのビジネスを経験しました。具体的には、集合墓地の提案を行ったり、新しいお墓の形を提案したりしていました。社長と一緒に中国に出張して、交渉をしたりもしていましたね。
その会社に働いていたときに、色々なネットワークに顔を出すようになったのですが、そこで出会った中国人たちは仕事に悩みを抱えていたりしていたので、人材業界に興味を持つようになりました。
当時の会社で7年ほどやった頃、一区切りがついたので、転職を考えました。 そこで、以前興味を持った人材業界が実際はどのようなものなのかと思い、何社かの人材紹介会社の方と面談をしていきました。面談により色々なことが分かってくるにつれ、やはり人材業界はおもしろそうだと思いました。また、外国人専門の人材会社がないのか調べ、グローバルパワーを見つけ、転職することに決めました。 これは、自分と同じ境遇の外国人の力になれるのではないかと思ったことと、日本で仕事探しに困ったり、今の仕事に悩みを抱えていたりする外国人は多いのですが、外国人の日本でのキャリアパスを作っていくことに意義を感じたことが大きいです。
現在
当初は、営業職で入る予定でしたが、会社の強化領域でもあったコーディネートユニットに配属になりました。
3月に立ち上がったばかりの部署でしたので、PDCAサイクルを高速回転させて組織化していく必要がありました。それは、自分にとっても面白味があり、非常に良い経験となりました。
やるからには外国人人材会社のトップの座を不動のものにしたいという気持ちと、外国人求職者とクライアント企業の両方からの「ありがとう」の言葉が私の最も重要としていることです。
一方で、必ずしも全ての外国人求職者に仕事を紹介できたわけではないという事実もあり、そこには悔しさもあります。毎日を反省して、日々の改善に繋げています。
今は、コーディネートユニットのリーダーとして、チームメイトの成功を助けるべくチームマネジメントをしています。チーム全体の結果を向上させることで、会社の成長に寄与しているという実感があり、非常にやりがいを感じています!
前期の目標も達成できたので、今期はより一層飛躍していきたいと考えています!
株式会社グローバルパワーについて
日本には人材会社は非常に多くあり、外国人人材企業という意味でいうとそれほど多くないとはいえ何社かはあると思います。我々はそういう意味でまだ数あるプレイヤーの一社にすぎないとも言えるかもしれません。 しかし、我々ほど外国人のことを熟知している人材会社は、存在しないと考えています。外国人が本当に困っていることを理解していなくては、解決することもできません。
グローバルパワーは13年もの間、外国人だけでやってきたので、日本人の社員でも非常に外国人に対する理解があります。さらに最近では、私も含めた外国人が多く活躍していますので、外国人が本当に困っていることを十分に認識していると思います。
外国人はグローバルパワーに来ることで、満足できる話を聞けると思います。 ビザの問題だけでなく、日本におけるキャリアパス、ひいては生活面についてまで相談に乗れる唯一無二のパートナーとして、非常に価値がある存在だと考えています。
社内の雰囲気としては、メンバーの年齢も非常に若く、キャラが非常に濃いため、普通だったらまとまりづらいようにも思いますが、成功のために一丸となって、小さな喜びも共有できるいいチームだと思います。
今後どういうことをしていきたいか
グローバルパワーというベンチャーに転職してきたからには、コーディネートチームで圧倒的なパフォーマンスを出して、その後営業を経験したいと考えています。 そして、営業でも結果を出して、マネジメントになることを目標としています。
その先は、自分で起業するのか、グローバルパワーの社内ベンチャーとしてなのかは分かりませんが、グローバルパワーでの経験を活かして自分のビジネスで社会貢献をしていきたいと考えています!