こんにちは。名古屋のママ、女性の「幸せに働く選択肢」を作るグローバルスタッフです。
最近、私の周りでセカンドキャリアを本気で考え、実行している人が増えてきています。
その多くは前職の上司や同僚、私のよく行く八ヶ岳でや京都や東京で出会う人が多いのですが、
共通していることは、皆さん仕事において何かのきっかけで主流から傍流になったことがある人。
「社内政治や社内事情で一度でも主流から外れたら、よほどの実績がない限り、そこに居場所を再び見つけることは難しい。だから何が何でも主流にしがみつき、そこに居続けなければ人生の勝ち組にはなれない。」
以前はそう思っていましたが、傍流から新しい人生を作り出していく人々を目の前にして、それはまったくの誤りだったと最近強く思うのです。
それは、
「主流から外れ、傍流だからこそ見えた風景や経験を活かして人生の視野を広げられる人、仕事だけが人生の価値を計る基準だったその価値観を変えられた人こそ、自分らしく自分のペースで人生を生きている。」
という事例を何度も見てきたからです。
組織の主流であれば、仕事に軸足を置き、実績を出し続けなければそこにいる価値を会社から認められない。そこには既得権益もあるし、肩書や高い給与もあるでしょう。そしてそこには裁量のある仕事もある。ただ、その裁量の使い方を誤ったり、その肩書で失敗をしたら、すぐに後任に替えが利くのも大企業です。その人にしかできない仕事、というのは、ほとんどない。この仕事は自分にしかできない、そう思っているのは本人だけの場合が多い。
一方、傍流に行った人のその後には、おおよそ2パターンのの行動に分かれます。
1つは主流に戻れるように今まで以上に仕事に没頭していく人。本人は必死に血眼になって仕事人間になる。そういう人は自分の価値を会社に委ねています。客観的に見たら主流に戻る可能性が低い。でもその人自身が「認められた」と自分で納得するのはあくまで「仕事で主流に戻れる」かどうかなのです。「会社」という舞台が自分の生きる世界ですから。
もう1つは自分が置かれた傍流である立場を客観的に捉え、会社に頼らない生き方に自分で立て直しできる人。自身の評価基準が会社や仕事だけではなく、「どんな生き方がかっこいいか」自分で広く定義できる人。こういう人は主流にいたままでは見えなかった視点を生かして、思考や行動が変わります。傍流に行ったことにより、生きる舞台が会社という狭い世界から、地域や社会、広くは日本中や世界に広がっていきます。これからはどこに行っても自分基準で生きていく。
他者に正解を求めない。一方で誰かに認められたい。この一見矛盾する要求に対しての答えを自分で見つけることができるのは、傍流を歩んでいる人のほうが多い。
出産までいわゆるバリキャリだったのに、出産以降マミートラックに乗らざるを得なかったママたちも傍流に入るでしょう。「ママだから」子どもとの日々に忙殺され、自分の生き方を定義することすらできていないことを、毎日登録に来て下さる方とお会いすることから感じます。
男性中心で回る仕事社会ではママという立場は、それこそ傍流。私たちは仕事で忸怩たる想いをすることも日々あります。また、その連続でもあります。それでも1日1日を頑張れるのは、そこに自分で選んだという納得感があるからこそ。
傍流だから得た視点を大切にしたいと思いながら仕事をする日々です。
※写真は先日宿泊した東京のコワーキングスペースが併設されたホテル。ここで働く若者は名古屋出身で名古屋の某有名企業を受けたのですが、書類で落ちてしまってここの管理人をしているとのこと。彼の人柄やアイデアを書類上で見抜けず落とした企業はもったいない・・・。でも今、彼はここで居場所を見つけ、世界中のゲストとつながっています。企業に落ちたからこそ見つけた生き方。世間の定義する王道が正解ではないのだと思った事例の一つです。