01 僕は田舎に住んでるから...何もできない...「関係ない。(断言)」
昔、僕の周りにもたくさんいましたが、今自分に置かれている環境に嘆いて何もしないなんてはっきりいって”動物以下”だと思っています。笑
最近インタビューや取材を受けるようになってきたので、こういう質問をよくされるようになりました
「社長は出身どちらなんでしょうか?」
うーん。なんとも答えづらい。笑
僕の出身県は福岡県なんですけど、福岡ってだけ答えると
「天神とか博多の方ですね!」と必ず言われるのですが、むしろ僕の昔の生活は天神や博多とは縁もゆかりもない福岡のなかでもハズレも外れ、超ド田舎出身なんですよね。
どちらかというと大分県との県境で、大分県までは僕が住んでいるところから歩いて5分で移動できるぐらいです。なのでテレビや新聞も大分放送や大分新聞をとっていたぐらいエセ福岡と呼ばれても過言ではない場所で幼少期を過ごしてきました。
小さい時に遊んだ記憶があるのは、木登り、カードゲーム、鬼ごっこ、稲刈り(笑)、テレビゲーム、野球やサッカーなどのみんなでできるスポーツ。
だいたい思いつく限りあげましたがこんなことしかやってきていません。
しかも僕は本当に勉強とかもやってこなかったですので、偏差値でいうとド底辺の学校ばかりでした。(その代わり、スポーツは幾分か頑張りましたが。)
周りにあるのは田んぼとか細い工場とスーパーと町にある唯一のファミリマートぐらいでした。
でもだからといって、ビジネス感性が養われないとか、勉強ができないとか、情報が入ってこないとかそんなのは全部いいわけです。
僕は上京して情報を取得しに行きましたが、まだまだ地元でできることや田舎だからこそ輝くビジネススタイル、またはどこにいても、全国、全世界にアプローチすることのできるWEB環境が整っている今、どこで育って、どこに住んでいて。なんて言い訳以外の何物でもないです。
本気で求めれば情報は自ずと入ってきますし、目標を掲げれば周りは自然と力になってくれます。
一番ナンセンスなのは、
希望や理想があるのに、それに向かって動き出すことは常に最も後回しなことです。
02 とは言っても、親の面倒を見なきゃいけないし、時間がないんです...「関係ない。甘えるな。(断言)」
話がちょっと変わるのですが、
僕が大学生の時に見せられた衝撃的な映像がありました。
ゴミ山で暮らす少年たちという映像です。
You Tubeにも上がってないですし、教育用のビデオなのかもしれませんが少し古い感じの映像でした。
話の入りはゴミ山で生きる兄弟たちの話でした。
彼ら兄弟は、親に捨てられ、今日の食べ物にありつくためにゴミ山でお金になりそうなものを毎日毎日、朝から晩まで日が暮れるまで探し尽くします。
わずか”3歳”と”5歳”の男の子です。
ゴミ山には腐った水から有毒ガスが発生し、鋭い金毒やガラスがたくさん落ちていて、その傷から感染症になり、頼る病院もなければ頼れるお金もなく、そのまま命を落としてしまう。というケースも少なくはありません。
ゴミからでる有毒ガスという常に死と隣り合わせの劣悪な環境
ゴミ山で今日1日の食費をゴミから見つけなければいけない少年たち
こんな毎日で辛くないのかい?
(そんなの辛いに決まってるじゃないですか。なんて酷な質問を...と思いました。映像に向けて)
と番組スタッフが質問をすると彼らはこう答えるのです。
「僕たちは親に捨てられたけど、そんな境遇の子供はここには数え切れないほどいる。
毎日が辛くないかと聞かれれば辛いって言うしかないかもしれない。だって昨日なんとか明日も生き延びようって約束した友達たちが、今日死んでるなんてことはたくさん見てきた。
それでも、僕はこの先どんなことがあっても生き延びようって決めてる。
生き延びていつかお金持ちになって、僕たちを捨てるという選択しかすることができなかった両親に楽をさせてあげたいし、今僕たちと同じ境遇の友達や同じ境遇に生まれてくる子どもたちにいつか楽をさせれるような町にここを変えていきたいんだ」
この映像を見てるときって授業中だったんですけど、思わず涙が出ました。
てんで授業なんて聞かないし、映像流す授業なんて普段見もしない僕でしたが、何故かこのときだけは食い入るようにずっとみてました。
そして大事なことに気付かされました。
今自分が置かれている環境にケチをつけたり、何かを理由に頑張らないなんてことが、この子達の前で言えてこの子達の前でそんなことができるのか?と。
なんだか自分の事が恥ずかしくなってきました。
振り返ってみると自分が3歳や5歳のときなんて、お世話してもらうことが前提だし、お世話してもらえなかったら拗ねてみてとか、みんなそんな感じだったんじゃないですか?
でも親にお世話されることなく、自分たちの今日食べるためのお金は自分たちで稼いで、死と隣り合わせの状況で友達が死なないように工夫するのも自分たちしかいない状況なんです。
その上、3歳とか5歳の子が自分のために生き延びるのではなく、自分を捨てた親のために生き延びたいと言えるんです。
思い出しただけで僕は涙がでます。
この映像を見たときから、日本でいうところの頑張ってるや、自分なりによくやってるなんて言葉は信用してないですし、どれだけ頑張ったって自信をもって言えるようにしたとしても、この子達の前でそれを胸張って堂々と頑張ったって言えるのか?ってことを常に自問自答するようになりました。
「なにか面白いことないかな−」とか「なんで結果が出ないんだろ」とか「お金持ちになりたいな−」とか言っているのを聞くと反吐が出そうになります。
それは彼らにたいして失礼だと思います。
どんな言い訳も僕から見ればすべて彼らに対して失礼な言葉です。
彼らに対して堂々と胸を張って「私は頑張った!」
と言えるようになってから初めて言い訳をしてください。
僕は彼らから勇気をもらいました。
3歳や5歳の子が劣悪な死と隣り合わせの環境の中で、自分のためではなく、捨てられた親のために頑張ることができるのであれば、恵まれすぎている僕たちはどれだけでも頑張ることができる。
と。
なにかに挫けそうになったり、諦めそうになったときはいつも彼らから勇気をもらっています。
03 それはなんのためにやるのか?
話がそれましたが、伝えたかったのはどんな環境であれ、あなたがなにかに一歩を踏み出すために弊害となっている理由なんて”これっぽっち”も関係ないということです。
ですがあなたが何かに一歩を踏み出すとき、
それは、なんのためにやるのか?
ということを深く考えてみてください。なんのためにやるのか?これは各々においての原動力(ガソリンやエネルギー)となるからです。
ですがエネルギーがあっても、間違った方向ややり方で全力疾走をしても、もちろんだめです。
たどり着いた時に「あれ?こんなことのために頑張っていたのか?」ってなる人が多いですので。
起業1年目で年商1億円達成しました。
何も偉くないですし、何もすごくないです。そこに大義がなければ。
私は今後5年間で私がいなくても回る仕組みづくりを社内で行っていきます。
その後、NPO法人を立ち上げて恵まれない子どもたちにきれいな水を提供することのできるNPOの活動を本気でやっていきたいと思っています。
そのための活動費用が途中で途切れたりして中途半端にならないように、まずは自分が絶対的な権力と資産を築き上げ、強力なバックアップをし続ける体制を整えていきたいと思っています。
なぜ恵まれない子どもたちに水なのか?ということはまた話せば長くなるので次の機会に話します。
私がそのために頑張れるのは、単純に社会貢献をしたいとか、子どもたちを助けたいとか、そういった理由も少なからずありますが、一番は子どもたちに生き延びてくれている敬意と勇気を与えてくれた感謝に対する恩返しのために行いたいと思っています。
私はそのために現地で感染症になって命を賭しても構わないと思っています。
その思いがあって私は自分が思い通りの人生を歩むことができているからです。
人が変わるために変えないといけないことが5つあります。
これはマザーテレサも言っていますが
思考が変われば、言葉が変わる
言葉が変われば、行動が変わる
行動が変われば、習慣が変わる
習慣が変われば、性格が変わる
性格が変われば、運命が変わる
おそらく誰もが知っている言葉だと思います。
そしてこれはそのとおりです。多くの成功者の方が実感していることです。
ですが僕がこれを素直に聞いて実践しようと思った時に難しいな。と感じたところがありました。
それが
思考が変われば、言葉が変わる
とう部分でした。
思考に気をつけよう気をつけようとするのですが
どんなことにどういうふうに気をつければいいのかがわからなかったからです。
ですがある時に気付きました。
このマザーテレサの名言には5つではなくて、隠された6つ目の格言があるということに。
それが
目標が変われば、思考が変わる
ということでした。
なので
目標が変われば、思考が変わる
思考が変われば、言葉が変わる
言葉が変われば、行動が変わる
行動が変われば、習慣が変わる
習慣が変われば、性格が変わる
性格が変われば、運命が変わる
が正しい意味合いを持っています。
人は何を目指すかによって思考が全く180度変わります。
僕は少なからずそういった経験を3回しています。
人は普段自分がやっていることを後回しにして自分と向き合うという時間をとったりすることは普通しないと思います。
だからこそやってみてください。自分と向き合ってみてください。
どんな自分が自分の中にいるのか見てあげてください。
きっと目標が変わり、何を目指すべきかが明白になり”運命”が変わるはずです。