ミドリムシを素材にした化粧品を生み出したい
2013年5月、安藤は経営陣にむけて、力強く提案した。
「今こそユーグレナ社で、“ミドリムシの化粧品事業を開始する”べきです!」
安藤が入社したのは、創業メンバーの出雲と鈴木が世界で初めてミドリムシの屋外大量培養に成功してから間もない2006年2月。まだ商品はできておらず、これから“ミドリムシ市場をゼロから立ち上げる”というタイミングだった。
入社してから安藤は、自身ができることは何でもした。2007年には、食品事業立ち上げのマネージャーとして、福本とともにOEM(当社が商品を製造し、顧客企業のブランド名で顧客企業が販売する)取引先を開拓する日々を送っていた。泥くさい営業努力を積み重ね、伊藤忠商事との資本提携などの追い風にも恵まれ、その後OEMなどの食品事業は急成長した。
しかしこのとき、安藤は事業の成果に満足するどころか危機感を覚えていた。当時、ユーグレナ社が行っていた事業は実質的に食品事業のみ。ミドリムシを用いたバイオ燃料の商業化への取り組みはまだ研究段階であり、事業として動き始めるのはしばらく先だった。
「急成長したものは急降下するリスクがある。食品事業が好調な今だからこそ、経営基盤を強固にするため、もう1本の柱を立てるべきだ」
―そう考えて提案したのが、“ミドリムシの化粧品事業”を立ち上げることだった。
化粧品の事業化に向かって
ユーグレナ社では2005年の創業当時から、ミドリムシを化粧品素材として利用するための研究を行っており、2008年にはミドリムシから抽出したエキス(加水分解ユーグレナエキス『リジューナ™』)が肌のターンオーバーを効果的に改善する働きが見出された。
2012年の年初、安藤は経営陣にミドリムシを使った化粧品で新しい事業を行うことを提案した。
しかし回答は「NO」。当時サプリメントのOEMなど食品事業を主軸としていたユーグレナ社にとって、畑違いの化粧品で、かつ自社ブランドでの展開を行うことは時期尚早との判断だった。
それでも安藤はあきらめず、過去5年の化粧品新規参入企業の成功事例、失敗事例を調査し、幾度となく成功に向けた仮説を検証した。
そして2013年5月、検証したレポートを持った安藤は役員陣に再度提案をした。
「ミドリムシを使った化粧品を今つくり、販売するべきです!」
動き出す化粧品の事業化
2013年10月秋、社内に化粧品事業チームが誕生した。チームといっても2人しかいなかったが、事業化に向けて火蓋は切られたのだ。
しかし安藤は悩んだ。
「事業化に向けて動き始めた。だが重要なのはどうやって価値ある商品を作り、その価値を伝えて、販売していくかだ…」
寝ていても化粧品の夢を見るくらい、事業のことを考える日々が続いた。たしかに、食品事業は「ミドリムシが食べられる」ということが話題になって好調に推移しており、ミドリムシの知名度は向上していた。それでも、化粧品事業となると、ミドリムシを強く訴求するだけのマーケティングや製品開発とは手法が異なると考えていた。
―安藤は考えを巡らせた。
「『バイオテクノロジーで、昨日の不可能を可能にする』という僕たちの根底にある想いはこの先もきっと変わらない。会社創業からの“変わらぬ想い”がアイデンティティとして商品に密接に紐づいていれば、“100年続くブランド”にできるのではないだろうか…!」
安藤は、化粧品ブランドの名前に『ミドリムシ』や『ユーグレナ』というワードを入れずに、会社のビジョンを軸としたブランドを作ろうと決断した。
また、化粧品の販売先として美容サロンに着目した。すでにミドリムシサプリメントの販路として大きなシェアを占めていたからだ。
「サプリメントを買っている人なら、ミドリムシを化粧品にしてもビックリされることはないだろう…」
安藤の予想は的中した。
2014年3月、ついにユーグレナ社初の化粧品ブランド『B.C.A.D.(ビー・シー・エー・ディー)』の販売をスタートした。紀元前をあらわす『B.C.』と紀元後をあらわす『A.D.』にちなみ、はるか5億年以上前の紀元前から存在し、地球の生命の源となってきたミドリムシを、現代の最先端テクノロジーでつなぐ商品として命名した。
今、『B.C.A.D.』のスキンケアシリーズは、日本橋三越本店の直営店や、約1,000店舗(2017年5月現在)の美容サロンで販売されている。
また、ユーグレナ社では複数の化粧品ブランドが展開し、化粧品事業はヘルスケア部門の主力事業の1つとしてさらなる成長を期待されている。
そして、100年先もユーグレナ社の想いを伝えるため、安藤は今日も仕事に熱を注いでいる。