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【編集工学研究所のキャリア】主任研究員 橋本英人の場合

神経科学の研究者を目指してアメリカの大学に留学した橋本英人は紆余曲折の末、編集工学研究所のスタッフとして東京でキャリアを開始しました。主任研究員というタイトルのもと、「編集者」「研修講師」「企画営業」などの多彩な顔を持つ橋本のキャリアを深堀りします。

経科学の研究者を目指してアメリカの大学へ

── 本日はよろしくお願いします。今回のインタビューを通じて、橋本さんのキャリアを“棚卸し”させていただければと思います。まずは橋本さんがどのような経緯で編集工学研究所に入社したかをお話いただけますか。

ちょっと長いですが、まずは私が大学に入るまでの経緯をご紹介する必要があります。

高校3年の時のお盆のことです。母の実家の北海道上ノ国町から自宅に帰る途中、突然、母の指先が動かなくなってしまったのです。指の末端から始まって、徐々に、身体全体を自分の意思で動かせなくなってしまった。色々な病院に行きましたが、なかなか原因が分からない。その間も病気はどんどん進行していきます。病気が発覚して4日目に札幌市の神経内科の専門医に往診していただいたところ、「ギラン・バレー症候群」という病気であることがわかりました。外敵から身を守る役割であるはずの免疫システムが、誤って自身の末梢神経を攻撃することによって起こると考えられています。

現代医学ではその症状を改善する薬がないので、ともかく進行を止めるための抗生物質を飲み、自己治癒力に任せるしかないという状態だったんですが……、1年後、どういうわけか劇的に治ったんです。なぜ治ったのかという理由はいまだに不明なんですけど、考えられることとしては、父がほぼ毎日母に行っていたマッサージにあったようです。

父はそのマッサージをある先生に教わりました。その先生には、昔、私の内反足を治していただいたことがあります。1歳で手術をした後、足の治療を続けるプロセスの中で、あくまでセカンドオピニオンとして、前述したカイロプラクティックの先生の所へも通っていたんです。彼は九州大学で西洋医学を学んだ後に、カイロプラクティックや東洋医学を学び、当時はなんと、犬猫病院の院長をしていたという人でした。

週に何度かその先生のもとへ通うことで内反足が徐々に治っていき、サッカー部に入部できるほどになったんです。東洋医学と西洋医学の混合治療が家族の健康を守るという体験を、幼い頃から経ていたわけです。

こういった経緯から、人間の自己回復力に興味が湧き始めました。高校生の時に、「大学ではニューロサイエンス(神経科学)やバイオケミストリー(生命化学)を学ぼう」と思い、よい環境が整っているアメリカの大学に行くことにしました。1年間、東京の学校で英語を勉強した後、最初はネバダ州立大学に入学し、途中でワシントン大学に転学しました。

アメリカの大学に行って驚いたのは、授業のディベート時だけではなく、日常会話でも、日本人としてのアイディンティティがすごく問われることでした。「日本人はなぜ、毎日味噌スープを飲むの?」とか、「俺は三島由紀夫が好きなんだけど、お前はどう思う?」とか「日本はなんで、あんな戦争をしたんだ?」とか。日常の生活習慣から文化が問われるものまで、日本に関するさまざまな質問をされるわけですが、私は何も答えられませんでした。それがだんだんコンプレックスになっていったのです。

松岡正剛に会いに行く

大学内に「ワシントン大学東アジア図書館」という日本語の文献が置いてある施設がありました。そこには、加藤周一や松本健一、蓮實重彦などの本が収蔵されていました。その中に松岡正剛さんの本もあったんです。生命の仕組み、人体の成り立ち、神経の構造を学問的に勉強しようと思っている一方で、私は日本のことも考え続けていたわけですが、松岡さんの著作を読むと、それらすべてがまとめて扱われていることに気が付きました(以下、参照)。

  • 『知の編集工学』(朝日文庫)
  • 『日本という方法 (おもかげ・うつろいの文化)』(NHKブックス)
  • 『わたしが情報について語るなら(未来のおとなへ語る)』(ポプラ社 )

これらの本に加えて、当時、私は「天鵞絨(びろうど)トーク」という動画を好んで見ていました。それは松岡さんが複数の本をまたぎながら、さまざまなテーマについて話すという番組だったのですが、分野横断的な内容をリテラル(文章)とオーラル(講演)両面で、面白く発信していることに惹かれました。やがて、彼が提唱する「編集工学」にも関心が向くようになりました。そこで、大学卒業後の2012年4月、松岡さんに会いに行き、その年の5月に編集工学研究所に入社することになりました。

── 自分でアポを取って直接、松岡正剛さんに会いに行ったんですか?

そうです。松岡さんが校長を務めるイシス編集学校の問い合わせフォームから「編集工学研究所に興味がある」という旨のメールを送ったら、ワシントン大学で一緒だった知り合いがたまたま編集工学研究所で働いていて、その彼が窓口になってくれました。

── 劇的な経緯ですね。その頃、編集工学研究所は新入社員を採用していなかったのでは? 中途採用もしていなかったかもしれない。でも、自分で門を叩いたということなんですね。編集工学研究所で何をするか、あるいは、何がしたいか決めていたんですか?

いえ。特に仕事として「こういうのがしたい」というのはなかったですね。すでに日本の大手広告代理店と大手文具メーカーの2社から内定をいただいていたんですが……、ここでは詳細は割愛しますが……、2社とも内定をお断りさせていただくことになりました。そんな時期だったので、漠然とですが、編集工学の方法論を身につけて、編集者として、あるいはプランナーとしてやっていければな、とは思っていました。

「編集」「プランニング」「イベント運営」の初歩を学ぶ


── 編集工学研究所に入社後、最初はどのような業務を担当していたんですか。

最初はいわゆる「編集者の卵」のような仕事をしていました。当時、「NARASIA」という、奈良県がクライアントのプロジェクトがありました。「奈良からアジアを考える」というコンセプトをもとに奈良の歴史を振り返り、そのアウトプットを最終的に季刊の広報誌『NARASIA Q』という雑誌にまとめたり、書籍化するというプロジェクトでした。

「NARASIA」プロジェクトで広報誌の進行管理や、著者との連絡、原稿の赤入れといった進行管理兼デスクの仕事を担当していました。

一方で「NAZO」という、バーチャルとリアルをまたぐ謎解きゲームの企画/開発プロジェクトに参加していました。開発を担当したのは株式会社サイバード、企画/監修を編集工学研究所が担いました。このプロジェクトでは「物語」や「謎」の設計といったプランニングのアシスタントを担当しました。

その後、イシス編集学校の入門コース[守]、応用コース[破]で編集術を学び、さらに編集コーチ養成コース「花伝所」を経て師範代になり、イシス編集学校のスタッフとして、ワークショップ等で編集コーチを3年ほど行っていく中でイベント運用の経験も積むことになりました。

同じ時期に、「千夜千冊」の編集部にも所属していました。著者である松岡さんがどのように赤字を入れるか、また、松岡さんの文章を校閲し、文章の間にどういう写真とキャプションを入れるかというような編集者としての基本的なスキルを鍛えていただきました。

つまり、私のキャリアは編集やプランニング、イベント運営の初歩を学ぶことから始まったということになります。

編集者や研修講師のスキルを持つ企画営業へ

── その後、キャリアの大きな転機を迎えることになるわけですね。

私のキャリアを考える上で個人的に大きな意味を持っている仕事が、リクルートマネジメートソリューションズ(RMS)との企業研修プロジェクトです。2014年に当時のRMS社長だった奥本英宏さんがイシス編集学校で師範代をされました。その後、奥本さんから、イシス編集学校の「稽古」の一部を企業向けの研修プログラムとして展開していきたいというご提案をいただきました。情報編集力は、ビジネスパーソン1人ひとりの思考力強化だけでなく、組織のマネジメントにも生かせるのでは、と。イシス編集学校の「学びの仕組みと方法論」が「個と組織の力を引き出す」というRMSの事業コンセプトにフィットしていたことも大きかったと思います。奥本さんのご提案から始まったこの企業研修の講師の仕事を通じて、クライアントワークの流れを実践を通じて身につけることができました。

── 編集工学研究所のサービスをRMSに代理販売してもらうという形で協業することになったんですね。

そうです。当初は「発想力強化」や「企画力向上」といったテーマで企業向けに研修を行っていましたが、やがて「新規事業開発」や「新しい価値の創造」「次世代リーダー育成」という風に研修領域が拡大していきました。特に管理職向けには、「コミュニケーション力の強化」や「リベラルアーツ教育」といった形でテーマ広がっていきました。現在では、リベラルアーツや教養がテーマの案件に対しては、「探究型読書」という、本を思考のツールとして活用する方法論をプログラム化して展開しています。

その他、「Roots Editing(ルーツ・エディティング)」というサービスに編集者として参加することもありました。企業文化や企業の価値観を言語化し、インナーブランディング/アウターブランディングに生かしていくサービスです。リクルートの中長期戦略室とともに1年間かけて、プロジェクトを推進しました。

あと、2014年に始まった無印良品や赤十字の「ブックウェア」プロジェクトにも関わっていたことを追加させてください。企業や組織の中にライブラリー空間を設計、構築するプロジェクトです。設計から選書、本の納品までを行う事業で、企画の叩き台となるリサーチやアイデア出しを行ったり、選書作業や本棚編集(本の配架やレイアウト)のサポートも行いました。

── 2014〜2015年に、現在の編集工学研究所を形作るサービス群の基礎が立ち上がってきており、その流れの中で橋本さん自身のキャリアも花開いて行ったんですね。

この時期は自分の中に「徐々に力がついてきた」という実感がありました。その後、マネージャーとして、プロジェクトを仕切る立場で仕事をすることが増えていきました。RMSを始めとした外部の企業と一緒に仕事をさせていただくことで、かなり鍛えられましたね。様々な企業と色々な仕事ができるという点は、編集工学研究所に属して仕事をすることの大きなメリットだと思います。

── いろいろな業務を経験されてきました橋本さんですが、編集工学研究所でのキャリアをわかりやすい言葉で表現するとしたら何でしょう?

広告代理店で言うところの企画営業がイメージに近いでしょうか。企画営業に編集者、研修講師の要素が混じった感じです。クリエイティブまで面倒を見る営業的なキャリアと言えるかもしれません。

編集工学研究所で「研修講師」「編集者」を募集中


私の普段行っている業務の内容を詳しくお話しします。

まずは研修講師です。“少し狭くなった見方”を広げたり、“柔らかい発想”を促したり、“新しいアイディア創造”を行いたいなど、人財開発、組織開発の領域でさまざまなご要望を持つクライアント企業さまに対して、編集工学を活用した研修プログラムを提供しています。現在、編集工学研究所では、研修講師を募集していますので、企業向け研修企業での講師経験がある方にご応募いただけるといいな、と考えています。

もう1つ、私が携わっている業務では、研修講師のほかに、企業の歴史を振り返りながら、理念構築などを行う「Roots Editing(ルーツ・エディティング)」の編集者(コンテンツディレクター)も募集しています

「Roots Editing(ルーツ・エディティング)」で私は主に企画営業としてプロジェクトに携わりますので、私と一緒にインタビューやリサーチをしたり、レポートや本といった紙のメディア、あるいはWebメディアや展開ツールを制作する仕事を行っていただける方を募集しています。イメージとしては、企業のオウンドメディアのコンテンツディレクターが近いですね。

編集工学研究所で「研修講師」「編集者」の仕事をするためには、「編集工学」を学んでいただければと思います。できれば、入社後でけっこうですので、イシス編集学校の「花伝所」までいっていただけるとよいです。

── 一般的な研修講師やクライアント案件の編集者(コンテンツディレクター)経験に加えて、イシス編集学校の「稽古」の経験もあった方がよいということですか。

はい。イシス編集学校の学びの仕組みや方法論をクライアント案件の提案の中に組み込むと、他社の提案とは明らかに異なるものになります。それを求めているクライアントも多いんです。

イシス編集学校は“学び続けるコミュニティ”とも言えます。(イシス編集学校において)師範代の皆さんは編集コーチとしての役割を担いますが、普段は何かしらの仕事や社会的な立場を持っています。ライターや編集者の方だけでなく、経営者や美容師、ダンサーや主婦の方まで、多彩なバックグラウンドを持っている方ばかりです。編集工学研究所のスタッフがディレクターとしての役割を担い、700名を超える師範代の中からご協力をいただいて、複数人の制作チームを組むケースもあります。

── なるほど。では最後に、編集工学研究所でキャリアを積みたいと考えていらっしゃる方にアドバイスはありますか。

伸ばしたいスキルや専門知識の分野は何でもいいと思いますが、スピード感を持って仕事をすることを心掛けていただければと思います。仕事を前に進めるためには、チームメンバーの動きにも配慮しつつ、まずは自分の役割をきちんとこなす必要があります。たとえば、制作物であれば、粗くてもよいので、まずは素早く全体像を作ってしまうこと。足らない要素はチームメンバーと協働して後で足せばよいです。スピード感を持って仕事ができる人と一緒に働きたいですね。

── スピード感重視というのは、橋本さんの仕事のスタイルなんですか。

色々な外部の方とお仕事をさせていただく中で培ってきた仕事の仕方でもあります。意思決定者にとって、情報の届く速度は速ければ速いほどよく、また情報量は多ければ多いほどよいはずです。できるだけその状況を作ることに意識が向いていれば、基本的に仕事は上手くいくと私は思っています。そうして、量が閾値を超えたところにこそ、質が生まれてくると思います。この考えは、先に質を求めるあまり、時間がかかり、量も足りないという私自身の負の経験からの学びでもあります(笑)。ただ一方で、時間がかかることや遅延することでクリエイティブな力が発揮される場面もあることは確かです。重要なのは、スピードも量も質も手を抜かないということではないでしょうか。入社から数年間は松岡さんに「すべてのことに横着するな」と言われ続けました。今でも、事あるごとに気をつけています。

あとはやはり、「編集工学」に興味を持っていただきたいです。編集工学研究所には、仕事における”作法”があります。それは「生命に学ぶ、歴史を展く、文化と遊ぶ」です。「編集工学」に興味を持つということは、森羅万象、あらゆることに関心を寄せることに繋がります。目の前の情報や与えられた役割が一見、自分の興味や業務とは“距離が遠くて”も、自分の力になったり、自分の仕事に生かせるのではないか、という仮説を個人個人で持ちながら、楽しんで仕事を行えるということでもあると思っています。

構成・文:富田七海(武蔵野美術大学)、撮影:小森康仁(編集工学研究所)

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