ダイレクト出版の社員に向けて書いたレターを転載しています。
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To: ダイレクト出版のみんなへ
From: 小川忠洋
前回、事実を基に判断する
ということは、「定性的情報」と「データ」を基に判断するということだ。
という話をした。
今日は論理的に判断する
ということについて少し気になったことがあるので話したいと思う。
「おがわさんが言った」
「おがわさんの意向で」
こういうことは言うなと前にも注意してるけど、未だにあるので再び注意しておくね。
まず、「誰」が言ったか?でものごとが決まるようでは、それは決して「論理的」とは言えない。誰が言ったかで決まるんだったら、中国共産党の人頭政治みたいなもんだよね。(人頭政治:法律じゃなくて人で決まる。)
そして、「〇〇さんが言ったからこうなった」は、ある意味、説明責任の放棄にもならないかな?〇〇さんは、何かを決めるときに「えいや!」「何となく俺の勘で」という風に決めたわけではないよね?(その場合は仕方ないw)
議論して、論理によって決めたわけ。その判断・決定には何らかの「根拠」があるはず。その決定の場にいなかった人に決定を伝える場合には、最も大切なのは、その決定に至る論理や「根拠」であって、それを「誰が言ったか」などは超・ドウデモイイ話なわけ。
そして、議論しあって決定に至ったのなら、自分がいくら反論を言っていたとしても、その決定を支持しなければいけない。「オレは反対してた」なんてのも、本人のエゴ以外に何の意味もない。そして決定したことをきちんと実践しなければ、組織は決して強い組織にはならない。
当然だけど、誰もが賛成する決定などほとんどないし、あったとしても、その決定は、ある意味、どうでもいい決定な訳だ。(だってみんな賛成なんだから。)
価値ある決定は、反対がありながらも決定するのが価値ある決定だろう。
そういう意味で強い組織、強いチームとは、決定までは議論を戦わせるけど、いざ決定に至れば反対してた人もその決定事項を必死に実践するような組織・チームだ。
スポーツで考えるとよくわかる。
例えばバスケで、自分のチームがリードしてる時、自分はディフェンスを固めて逃げ切った方がいいと思っているが、タイムアウト(会議)で話し合って、オフェンスで攻めることになったと。そしたら、自分はディフェンス固めた方がいいと思っていても、オフェンスにガンガンいくだろう。
その時に「いやぁおれはディフェンスだと思ったんだよ」と言って、オフェンスの手を弱めたり、自陣に引っ込んでいたりしたら、どうなるかな?もちろん、チームは負けるし、多分、その選手は全員からのヒンシュクを食らってチームをクビになるよね。
もし観客としてそんな選手を見たらどう感じるかな?
それと同じことが、仕事の場でも日々起きてる。
話し合って結論に至った決定は支持しないといけないし、そのプロセスで大切なのは「誰が言った」かではなく、何故それをするのか?という論理であり根拠なわけ。
なので、決定を誰かに伝えるときは「これこれ、こういう理由でこういう決定になった」というように伝えなければいけない。「Bさんが言ったからこうなった」では、説明責任放棄になってしまう。
小川さんが言った、Bさんが言った、Cさんが言った、誰々が言った、、、
こういう事を繰り返していくと、いつか、ウチの企業文化は「誰が言ったかで決まる」会社になってしまう。そんな会社にはなりたくないよね。
事実と論理で決まる会社の方が強いし、何より働いててそっちの方が良いと思わない?
なので注意しよう。
誰が言ったかではなく、なぜそうなのか?
それに決まった根拠や論理が大切だよ。