【30th特別連載企画 Episode 2】音楽×テクノロジー | 事業を知る
本日は、当社の代表取締役である伊藤が、クリプトン・フューチャー・メディアが歩んできた30年の軌跡を社員と共に振り返る特別連載企画の"Episode 2"をお届けいたします。この連載企画は、クリプ...
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クリプトン・フューチャー・メディアは、本日2025年7月21日をもって、設立30周年を迎えました!
これを記念して、当社の代表取締役である伊藤の著書『創作のミライ 「初音ミク」が北海道から生まれたわけ』(発行所:中央公論新社)を、2025年7月23日に発売いたします。本書を通してお伝えする伊藤の生き様や考え方、未来への想いが、皆さま自身の未来を照らすヒントになれば幸いです。
また、本日より、クリプトン・フューチャー・メディア設立30周年記念施策の一環として、当社代表・伊藤と共に30年の軌跡を振り返る特別連載記事(全6回)をWantedlyに掲載いたします。『創作のミライ』に詰め込み切れなかったお話を中心に、あらためて当社の事業についてご紹介できればと思います。ご興味のある方はぜひ、最終回までお付き合いください。
第1回のテーマは「クリプトンのこれまで」です。入社歴20年でこれまでのオフィスの変遷をバックオフィスからよく知る初山と、キャラクターライセンス業務の立ち上げに携わった西尾にも参加してもらい、伊藤と共にクリプトンの起業当時のお話やオフィスの遍歴について紹介いたします。
写真は左から順に、初山・伊藤・西尾
伊藤博之:クリプトン・フューチャー・メディア株式会社代表取締役。北海道大学に勤務の後、1995年7月札幌市内にてクリプトン・フューチャー・メディア株式会社を設立。DTMソフトウェア、音楽配信アグリゲーター、3DCG技術など、音を発想源としたサービス構築・技術開発を日々進めている。2013年に藍綬褒章を受章。
初山史子:2005年入社。経理・採用・人事・労務・総務・広報と会社全体に関わる事務関係が集約された管理チームのマネージャー。バックオフィスとして20年間にわたって当社を支えている。
西尾公孝:2007年入社。『初音ミク』のキャラクターライセンス業務の立ち上げおよび事業拡大を経て、現在は社長室のマネージャー。クリエイターのための創作機会と創作フィールドの拡大を図り、既存ビジネスの発展に加えて、AI等の新しいテクノロジーを取り入れた新規ビジネスの発展にも従事している。
―まずは伊藤社長のお話を聞かせてください。
当社は今年の7月に設立30周年を迎えますが、伊藤社長が今年の3月に還暦を迎えられたということは、30歳で起業されたという認識で合っておりますでしょうか?
伊藤:はい。30歳で始めた会社が30歳になりました。そう考えるとますます30周年が感慨深く思えますね。
今年は誕生日当日に社員の皆さんからサプライズのケーキと花束をもらったり、
エイプリールフールに当社製品である『ピアプロキャラクターズ・スーパーパック』を模した『イトウヒロユキ・カンレキパック』なるものを用意してもらったり・・・
会社の設立記念日は7月21日ですが、すでに今までにない特別な年だなあと感じています。
―伊藤社長は高校卒業後に就職されて、起業するまでは北海道大学の職員をされていたと伺っております。どういう経緯で起業に至ったのか、あらためてお話いただけますでしょうか?
伊藤:私は北海道の標茶町という、人間の数よりも牛の数の方が多いような田舎町で生まれました。当時の地元では高校を卒業したら就職するのがごく普通のことで、私は高校卒業後に公務員となりました。その公務員としての配属先が、北海道大学の工学部だったというわけです。
私が就職した当時はまだインターネットが一般家庭に普及する前でしたが、大学にはいち早くインターネットが導入されました。私も仕事の一環で触れることができました。今はインターネットやスマートフォンが当たり前の時代ですからピンとこないかもしれませんが、当時はまだ携帯電話も存在しておらず、海外の友人と文通をすると手紙の往復にひと月以上かかるような頃です。だから、実際の距離に関係なく瞬時にデータのやり取りができるインターネットというものに、とても衝撃を受けました。
インターネットが普及すればあんなことやこんなことができるのでは・・・と想像するのが、とにかく面白くて。そうして浮かんだアイディアを形にする方が、公務員を続けるよりもずっと面白そうだと思ったので、起業することにしました。
―インターネットに可能性を感じたことが、起業の後押しとなったわけですね。当社は「音の商社」として設立されましたが、音をビジネスにしようという発想はどこから生まれたのでしょうか?
伊藤:そうですね。インターネットに色々な可能性を感じたのは、未来学者アルビン・トフラーの影響が大きいのですが、そのあたりは『創作のミライ』で語っているので今は割愛します。
音楽はもともと好きで、社会人になってからは音のサンプリング(音を録音してサウンド素材のデータとして取り込むこと)にハマっていました。当時のアパートには、色々な音を取り込んだフロッピーディスクが2,000~3,000枚はあったと思います。
それだけたくさん作っていたので、せっかくだから自分が作った音を色々な人に聴いてもらいたいという思いが芽生えまして。当時読んでいたアメリカの音楽雑誌の個人広告欄を使って、海外の方とサウンド素材のやり取りを始めたんです。
個人広告を通して問い合わせがきたら、まずは自前のカタログを郵送やFAXで送る。注文を受けたら、フロッピーディスクにサウンド素材を保存して郵送する。・・・そういうやり取りの数がどんどん増えていくうちに、為替レートの変化もあって、今度は海外の音源やソフトウェアを輸入して国内で販売するようになりました。
そうした趣味の活動がそのままビジネスの基盤となり、海外の音源やソフトウェアを輸入販売する「音の商社」としてクリプトンを設立するに至ったわけです。
自分が大好きな「音」とインターネットを掛け合わせれば、色々なことができると考えていました。設立当時はまだソフトウェアパッケージを発送する販売でしたが、起業前からいつかインターネットを使った「音」のダウンロード販売ができるようになると確信していましたね。
―そういえば「クリプトンは札幌初のインターネットの会社」というお話がありますよね。その根拠となるエピソードがあると伺ったのですが……?
伊藤:ああ、定款を提出した時のことですね。会社を設立する時は公証人役場に定款(会社の根本原則を記した書類)を提出せねばならないのですが、それに「インターネット関連事業」って書いて出したら突き返されてしまったんです。その理由というのが「インターネットって何ですか?」「インターネットというのは一般的な言葉じゃないから認められません」というものでして・・・インターネットがどういうものかを一から説明して、ようやく認めてもらえたんですよ。
そんなことがあったものですから、北海道で初めて「インターネット関連事業」を謳った会社は当社で間違いないと思っています。
―ここからは初山さん、西尾さんにも会話に交ざっていただき、当社の30年間を振り返っていきたいと思います。
書籍『創作のミライ』では、時系列に沿って当社の事業についてお話している章がありますが、オフィスの移転については触れられていません。ですので、ここでは事業内容ではなく「オフィスの歴史」を深掘りしてみようと思います。
当社のWantedlyストーリーでは社内の様子をたびたびご紹介していますが、設立時のオフィスはここではなかったんですよね?
伊藤:ええ、そうです。設立当初は社員数も5名程でしたし、来客や交通の利便性をほとんど無視してオフィスの場所を選びました。こだわったのは札幌市内ということくらいですね。でも、そこからは早く引っ越したいという思いもあり、設立3年後にオフィスを引っ越しました。
初山:私はまだ入社前でしたが、確か夜中に残業していると“不思議な現象”が起こるオフィスだったんですよね・・・?
伊藤:そうなんですよ。そのオフィスの入口前は真っ直ぐな廊下だったんですけど、来客のブザーが鳴ってドアを開けても誰もいない、ということが何度かあったりして・・・“不思議な現象”としか言いようがないでしょう?(笑)
―最初のオフィスのお話はこれ以上掘り下げない方がよさそうですね(笑)初山さんは設立10周年の時に入社されていますが、その頃のオフィスはどんな感じでしたか?
初山:私が入社した2005年は、1998年に移転したオフィスをまだ使っていました。現在のオフィスと同じように札幌市内の地下鉄で通える場所にあったので、通勤に困ることはなかったです。まだ社員数も少なかったので入社後に社長が自ら業務のことを教えてくださったのですが、その時の場所が、気分転換も兼ねて青空の下だったのをよく憶えています。
約70坪のオフィスを20人くらいで使用していて、2007年に発売した歌声合成ソフトウェア『VOCALOID2 初音ミク』が予想もしない規模でヒットした際は、社員総出でパッケージの梱包と発送を行いましたよ。当時はディスクを一枚一枚パッケージに収めて、お客様に発送するところも全て当時のメンバーたちで行っていましたからね。西尾さんも一緒に作業しましたよね?
西尾:しましたね。『VOCALOID2 初音ミク』のリリース2日後くらいに入社したので、初仕事がまさにその作業でした。「はじめまして」と挨拶したばかりの佐々木さん(=『初音ミク』開発担当の佐々木渉)と一緒に、お互いの経歴なんかを話しながら、CD-ROMをケースにはめてました(笑)
―『初音ミク』の最初のソフトウェアが発売された2007年当時は、まだ2ヶ所目のオフィスだったんですね。当時を知る方々にとっては、きっと色々な思い出があるオフィスなのでしょうね。
初山:そうですね。少なくとも“当社にとって大きな転換期を迎えた場所”というイメージは残っています。
西尾さんは直接『初音ミク』の業務に携わっていたから、印象に残っていることが色々あるんじゃないかしら?
西尾:そうですね。梱包作業に追われているうちに『初音ミク』の二次創作がネット上でどんどん拡がっていって、当社への問い合わせが激増したんです。そしてある日、佐々木さんの「西尾さん、手伝ってもらっていいですか?」のひと言から、私も本格的に『初音ミク』に関する業務に携わることになりました。そこからはもう、激動でした。
伊藤:『初音ミク』に関する業務が突然増えたからと言って、他の業務が減るわけじゃないですからね。日によっては100件を超える問い合わせとかがあって、他の業務の日々の作業を終わらせた後に、『初音ミク』に関する問い合わせの対応をどうするか話し合うミーティングを開いてました。なにぶんそれまでにキャラクターを扱ったことがなかったので、回答するのに苦労したものです。
西尾:問い合わせ内容をプリントアウトして、22時とか23時ごろから「社長、やりますか」って・・・ほぼ毎日ミーティングしていましたよね。
伊藤:懐かしいですね。そんな感じで業務がどんどん増えたものですから、それに合わせて社員も増やすことにしました。ただ、人数が増えると今度はオフィス内が狭くなり、会議をする場所もロクに見つけられないような状況になりまして・・・再びオフィスの移転先を探すことになりました。
初山:あまりにも急に社員が増えたものだから、確か新しいオフィスが決まるよりも先に、社員用の椅子が足りなくなりましたよね?
西尾:そうですよ!引っ越しするひと月前くらいなんて、私を含め数名はパイプ椅子でしたよ(笑)西日が差し込む場所だったので、すごく暑かったのを憶えています。
―そんなことが(笑)では2008年に引っ越したオフィスが、現在のこのオフィスということですか?
伊藤:いえ、現在のオフィスには2012年に引っ越してきました。この一つ前のオフィスも140坪くらいありましたけど、社員数が50人を超えるとそこも手狭になってきて。確か70人くらいの規模になったタイミングで、現在のオフィスへの移転を決めました。
設立当時からずっと変わらず札幌市内ですが、オフィスの移転自体は3回行っていて、現在が4ヶ所目になります。社員数は最近150人を超えました。
初山:個々のデスクがパーテーションで区切られて、自分の空間を持てるようになったのは3ヶ所目のオフィスからでしたね。利便性も、働きやすさも、オフィスの移転と共にどんどん良くなっているかと。現在のオフィスにはカフェスペースもあり、ランチタイムに賑わっている様子をみると、よいオフィス環境になったなあと感じます。
西尾:個々のデスクを見ると、それぞれの個性が垣間見えて面白いですよね。所狭しと推しキャラグッズを並べている人もいれば、逆にグッズ系は何も置かずにアロマディフューザーだけという人もいたり。自分がリラックスできる環境で働けるのは嬉しいですね。
―私もデスクに色々飾っています(笑)デスクやカフェスペース以外で、変わったことはありますか?
初山:エントランスの雰囲気は結構変わりましたね。昔はオフィスまでユーザーやファンの皆さまが遊びに来てくださることも多くて、現在のオフィスに引っ越してきてからしばらくの間は、来訪者がイラストや文字を自由に書き込めるホワイトボードやノートをエントランスに設置していました。
伊藤:本当は今も設置したい気持ちはあるんですけどね。今はこのオフィスを訪れたいと思ってくださる方が増えて、そのようなみなさま全員を平等に歓迎することが難しくなってしまったため、オフィスのエントランスからは撤去しています。あとは色々な会社が集うオフィスビルですから、セキュリティ上の問題もあったりして。
その代わり、今は北海道の空の玄関口である新千歳空港内で直営している「雪ミク スカイタウン」店舗前に「ピアプロの壁(自由にイラストや文字を書き込めるボード)」を常設しています。北海道にお越しの際はぜひ、そちらにイラストや文字を書き込んでいただけると嬉しいです!
※現在クリプトンが利用しているオフィスビルのフロアには、他社様のオフィスもございます。誠に恐れ入りますが、記念撮影等を目的としたオフィスフロアへの立ち入りはご遠慮ください。
―次回以降の対談では当社の事業内容をカテゴリーごとに深掘りする予定なのですが、当社の事業はかなり幅広く、第三者からみると「音の商社」としての一貫性がないと思われてしまうこともあります。
なので初回のうちに「一貫性ならある!」と、この記事を読んでくださる皆さまにお伝えしたく・・・当社のミッションである「メタクリエイター」や、キャッチコピーである「ツクルを創る」についてお話いただけますでしょうか?
伊藤:確かに「なぜ音の商社がキャラクターライセンス事業や地域振興事業までやっているんだろう?」って思う方もいるでしょうね。でも、一貫性はもちろんあります。
はじめにお話した通り、当社は効果音などサウンド素材を輸入販売する「音の商社」として創業しました。設立当初から企業ミッションやスローガンを定めていたわけではありませんが、その頃から自分が取り扱う「音」で音楽クリエイターを応援したい気持ちはありましたし、いつかは地元である北海道にビジネスを通して何か還元したいという思いもありました。
2007年に『VOCALOID2 初音ミク』を発売し、ネット上に多くの音楽やイラスト等の作品が投稿された時、色々な作品が生まれることを面白いと感じましたし、その流れを止めてはいけないと思いました。そして、誰もが『初音ミク』で創作しやすい環境を整備して維持するためには、キャラクターライセンスも自分たちで守るしかないとも思いました。
もちろん、迷いが全くなかったわけではありません。コンテンツ投稿サイトの「piapro(ピアプロ)」を開発した時も、音の商社がやることなのだろうかと自問自答しました。でも、答えはすぐに出ました。音楽クリエイターの創作を盛り上げるためには、協働する他のクリエイター・・・つまりイラストを描く人や動画を作る人など、色々なクリエイターみんなが自由に創作できる環境を整備して、創作の連鎖が生まれやすい環境を育む方がよい。そう考えたわけです。
現在当社のミッションとしている「メタクリエイター」であろうと強く意識し始めたのは、その頃からだったかもしれません。クリエイターのためのクリエイター、すなわち「メタクリエイター」として、音楽に限らぬ様々なクリエイターが何かものづくりをする際に必要な製品やサービスをつくろうと決めました。その企業理念を端的に表したキャッチコピーが「ツクルを創る」です。
西尾:様々な企業さんからご提案いただく『初音ミク』の企画を受け入れるようになったのは、もちろんクリエイターの作品の発表の場所のひとつとして、といった面もありますが、我々でだけではできない展開を行うことで、さらに創作の連鎖やそのエリアが拡げていけたらといった思いがありましたね。
展開にあたっては、音楽ソフトウェアとしての『初音ミク』を貶めるものにならないこと、必ずクリエイターの関与があること、展開することによって新しい何かがあること、に重きをおいていました。「その企画は初音ミクでしか出来ない企画ですか?」とか、「クリエイター確認は必須ですが、そのスケジューリングはできますか?」とか、「もっとミクと親和性のありそうな新しい内容に企画を組み直してもいいですか?」とか・・・キャラクターライセンスのイロハも知らない強気な態度の門外漢が、各ライセンシーさんにたくさんご迷惑をおかけしてきました。ただ、我々のキャラクターではなく、クリエイターの創作なくしては成りたたないキャラクターだったので、譲れない部分でしたし、「ライセンシーも創作の連鎖のひとつとなってみんなで楽しいこと創っていきましょうよ!」といった思いでやってきました。
「ツクルを創る」ことに対して真面目に向き合ってきたかなと。我々の無理難題な巻き込み型の展開に、凝りもせずに真摯に向き合ってくださった各企業さまには大変感謝しています。
初山:正式に企業ミッションとキャッチコピーを決めたのは2017年頃でしたけど、社長の方針は設立当時から一貫して変わっていませんよね。いつでも何事も、クリエイターのため。『初音ミク』をきっかけに、その想いが音楽クリエイター以外にも向けられるようになっただけで、「音」とインターネットというテクノロジーを掛け合わせてクリエイターのためになる事業を展開したいというところは、20年ご一緒していてもブレがないと感じています。
―地域振興事業も「ツクルを創る」のキャッチコピー通りですよね。
伊藤:はい。音楽をつくる人も、野菜をつくる人も、まちをつくる人も、みんな「クリエイター」だと考えています。そして、クリエイティビティは国力だとも思っています。
だから、当社がこれまでに培ってきた「コンテンツ」と「技術」の力を応用して、地元である北海道を応援する地域プロジェクトを展開しています。
ここは「音の商社」として考えると少しズレていると捉えられても仕方がないかもしれませんが、北海道の民間企業としての取り組みだと考えていただければ、自然な流れだと考えていただけるのではないでしょうか。少なくとも、私の中では全て繋がっています。
―それでは最後に、第1回の伊藤社長の対談相手としてご協力いただいた初山さんと西尾さんにお聞きします。入社してから今までの中で一番印象に残っている「創る」にまつわるエピソードを教えてください!
初山:私は事務が担当ですので、オフィスのリニューアルを手伝わせていただいたのが記憶に新しい「創る」です。
当社のオフィスは大きく分けて「がやがやゾーン」と「もくもくゾーン」という2つのエリアに分かれているのですが、コロナ禍に伴い、多くのプログラマーがいる「もくもくゾーン」のテレワーク化が進み、空席が目立つようになりました。「社員のコミュニケーションも活性化させたい」との社長のお言葉を受けて、「もくもくゾーン」の一部をカフェスペースにリニューアルすることになりました。社長には図面の大枠を決めていただきましたが、具体的なデザインについては、かなり大きな裁量で管理チームに任せていただきました。椅子の色やフロアカーペットの色などは、社員にヒアリングを行い、多数決で決めたりして楽しかったです。
そのおかげで、現在もランチタイムには多くの社員が集まり、最近では席数が足りないくらいです。部活動や上映会などもあり、定時後の活用も進んでおり、嬉しい限りです。
西尾:エピソードがありすぎてひとつに絞るのは難しいですが、印象に残っているのは『初音ミク「マジカルミライ 2015」』で行った日本武道館でのライブと「HATSUNE MIKU EXPO 2014 in Indonesia」のライブですね。どちらも会場の後方から見ていたのですが、盛り上がりの最中に「ありがとう」「よし、次」的なニュアンスを醸した、誰かや何かに対するものではない言語表現しずらい感情に満たされた無音空間に一瞬引き込まれたことがありました。
ただ疲れすぎてホッとしただけのことだったのかもしれませんが、その時の風景は鮮明に焼き付いてますね。「創る」ことに携わってこれたおかげで、いろいろな景色を見せてもらえて感謝しています。
―みなさん、ありがとうございました!
Episode 2 からは、音楽事業、キャラクター関連事業、クリエイターサポート事業、地域振興事業の順に、各事業の担当者を交えたトークをお届け予定です。どうぞお楽しみに!