俳優 趙世伊「パッションこそが、道を切り拓く鍵になる」兵庫、北海道を経て、東京で掴んだ表現者としての舞台
23歳、兵庫県出身。大学を休学して東京へ飛び込み、現在はごっこ倶楽部の俳優として活動。端正なルックスの裏側に、誰よりも熱い「反骨心」と、自らの課題をロジカルに分析する冷静さを併せ持つ。
今回のインタビューでは、安定した教員への道を捨ててまで手に入れたかったもの、そして制作現場で見せた「役者としての意地」について深く掘り下げました。
趙 世伊(じょ せい)株式会社GOKKO 俳優
「このままでは死んでしまう」教員志望の理系学生が東京へ来た理由
ーごっこ倶楽部に入るまでの経緯がかなり異色だと伺いました。
兵庫の高専(高等専門学校)を卒業後、教員免許を取るために北海道の大学へ進みました。当時は数学か英語の先生になろうと思っていたんです。でも、1年半くらい経った時に「このままの生活を続けていたら、心が死んでしまう」と直感的に思ってしまって。
ー安定した道を捨てて東京へ?
はい。当時は何の当てもありませんでしたが、勢いだけで東京に来ました。最初はモデルを志して、アパレルショップに「モデルをやらせてください」と直接交渉に行ったりしていましたね(笑)。そんな中、知人の紹介で早坂架威さんと出会い、ごっこ倶楽部の門を叩くことになりました。
入社1週間で感じた「違和感」と、現場で見つけた光
ー最初から俳優として順風満帆だったのでしょうか。
いえ、最初は制作インターンからスタートしました。初めて現場に行った時は「自分、この組織には馴染めないかも」とアレルギー反応があったほどです。個性的な人が多すぎて圧倒されてしまって(笑)。
ーそれでも続けられた理由は?
目の前でお芝居をしている俳優さんを見て、純粋に「すごい、かっこいい」と心が動かされたからです。インターン時代は、入れる現場は全部入る勢いで週4〜5日は現場にいました。入社3回目で助監督を任されたこともありましたが、未経験の自分にそこまで任せてくれるスピード感には驚きましたね。
キャスティングされない半年間。制作現場で見せた「無言の反抗」
ー活動の中で、特に苦労したことはありますか?
同じ年代の俳優が活躍する一方で、自分に全く役がつかない時期が半年ほどありました。圧倒的なスキルの差を見せつけられる毎日が、正直一番きつかったです。でも、それが「絶対に越してやる」という強い思いに変わりました。
ーその悔しさをどう表現したのですか?
ある長編作品の現場に制作スタッフとして入っていた時のことです。ライティングやカメラ調整のために、俳優の代わりにカメラ前に立つ「スタンドイン」という役割があるのですが、そこで本気でお芝居をしたんです。
ー制作スタッフとして参加しながら、お芝居を?
「俺ならこうする」という意地ですね。病院のシーンで、指示もされていないのにボロボロ泣きながら演じました。そうしたら、カメラマンの方がずっとカメラを回し続けてくれて。言葉ではなく「俺はこれだけできる、お前らもっと頑張れよ」という、僕なりの最高のアピールであり反抗でした。その執念を、ちゃんと見ていてくれました。
言語化という武器。感覚派からロジカルな俳優へ
ーごっこ倶楽部に入ってから、自分自身で変わったと思う部分は?
家族や友人からも「変わった」と言われます。以前は感覚だけで話していましたが、今は「なぜそう思うのか」というロジックを立てて話せるようになりました。役者として人を観察し、人の話を聞くときの「熱量」を肌で感じるようになったからこそ、自分の言葉に重みが乗ってきたんだと思います。
日韓のスーパースターを目指して。
ー今後の目標、そしてこれから入ってくる仲間へメッセージをお願いします。
目標はただ一つ、日韓のスーパースターになることです。
ごっこ倶楽部に向いているのは、スキルよりも「パッション」がある人です。僕自身、特別なスキルがあったわけではありませんが、熱量だけでここまで来ました。
ー熱量があれば、道は開けると。
はい。ここは頑張りが正当に評価され、チャンスを与えてくれる場所です。芸能の世界は楽ではありませんが、ここで頑張れないなら他でも通用しない。一歩踏み出したいと思っているなら、ぜひそのパッションを持って飛び込んできてほしいです!