1
/
5

Achroma創業者・AWS元SA 太田のキャリアと思い


AWS Japan出身、株式会社Achroma代表の太田。(後ろにいるのはAWS在籍時代の上司)

新卒でSIerに入社後、スタートアップやWeb系企業、フリーランスを経てAWS Japanに入社。これまで培ったSRE経験を生かしAWSのソリューションアーキテクト(以下SA)として従事。SAとしてお客様をご支援する中で見えてきた新たな課題やニーズに対応するべく、AWSではなくAWSのパートナーというポジションをとることでAWSとお客様のハブとなり、より本質的でアクティブな開発支援をするための体制を構築した。AchromaではAWSをすでにご利用中、またはこれからご利用されるお客様に対しSAの知見を生かしてコンサルティングから設計・提案・実装までをワンストップで実行している。



幼少期から社会人になるまで

実家は熊本の田舎で工業高校を卒業した後、福岡にあるIT系の専門学校に進学しました。
幼少期からパソコンに触れる機会があり物心ついたときからパソコンやガジェットが好きで、他の人より得意という自覚もあったので、その頃からなんとなく自分はIT系に進むというのを感じていました。

あまり進路のことは考えず地元の工業高校に進学しましたが、勉強はほとんどせずモンスターハンターやPSPの改造、カラオケ、ヤフオクでの転売など自分が好きなことに没頭していました。今思えばこの頃からやりたいことや興味のあることはいくらでもやれるけど興味ないことは全然手につかない、といった傾向がある気がします。(今でもそうですが)
工業高校なので周りは就職するのが大半でしたが、ここでようやく自分の進路と向き合い興味のあったIT系の専門学校に進学することにしました。


学生時代、バイクの免許を取得してエモい感じのツーリングをしていました


専門学校に入ってからはJavaやJavaScript、Rubyなど当時モダンだった開発言語を浅く広く3年間学びました。この時も自作したゲーミングPCでFPSにどハマりして夜通し戦場にいたのであまり勉強は捗りませんでした。コード書くよりPCパーツなどのハードウェア触ってる方が好きだったので興味関心としてはインフラ寄りな兆候があったのかもしれません。普通の成績で普通に就職し東京のSIerに就職しました。

エンジニアになって感じたこと

新卒で1000人ぐらいのSIerに就職し、SEとして常駐先として某証券会社に配属され24h/365dで障害対応をするチームで夜勤メインで働いていました。体力的に辛かったですが、チームに恵まれたのと他の新卒よりも給与が少し高かったのもあり1年目としては良い経験だったと思います。

そこでフリーランスのシニアエンジニアが同じチームにいて、同じ時間で同じような仕事をしているのに4倍ぐらいの報酬をもらっている実態に愕然とし、会社員とフリーランスという雇用形態によって大きな差が生まれることを知りました。この時「そっち側に行きたい」という強い気持ちが芽生えたのを今でも覚えています。経験としては面白かったですがあまりエンジニアとして学べることはなかったのでちょうど2年で転職することにしました。

せっかく転職するのでやってみたかったバーテンダーになったりプロダクトや経営の考え方が好きだった良品計画で働いてみたりしましたが、ルーチンワークが苦手でやはり頭を使ってやる仕事が良いなと思い直し、エンジニアとして再スタートする決意をしました。


渋谷の無印で普通に接客していました、服装によっては今でも店員と間違われます


次はガッツリ現場でエンジニアリングをしようと思い、Wantedlyを使ってモダンなプロダクト開発をやってそう、かつ人が足りてなさそうなスタートアップを中心にカジュアル面談を申し込みまくり、運良くSocket (現:株式会社マテリアルデジタル)というスタートアップに拾ってもらいました。

エンジニアとしての転機

Socketでの経験や当時CTOだった生内さん(前:マクアケCTO)との出会いは人生の大きなターニングポイントだったと感じています。当時23歳でした。

当時のSocketはFlipdeskというWeb接客ツールの開発を行っていましたが、人が足らずたまたまインフラエンジニアのポジションが空いてたので「じゃあそこ僕やります」、ぐらいのノリでインフラエンジニアとしてのキャリアがスタートしました。アプリやりたい人が市場に溢れていたのでもしかしてブルーオーシャンなのでは。。?みたいな期待もあった気がします。

この時はAWSはもちろんGitも触ったこともなければ、カンバンを使ったチケット管理での仕事の進め方すらやったことがなく、初めて聞く横文字がたくさん飛び交って右も左も分からない状態でした。

いわゆるDay1の日々で毎日頭がパンクしてましたが、スタートアップならではのノリと勢いがあり刺激的ですごく楽しい時間でした。当時のメンバーとは今でもプライベートで山に登ったりホームパーティをやったりしています。


Socket時代、ワンルームのオフィスでわいわいやっていた頃


半年ほど経つと一人でAWSの運用ぐらいはできるようになっていました。働き方については生内さんが「やりたい奴がやれ、その方が結果が出る」「やりたいようにやってみろ、怒られたらやめろ。」と言ってて感銘を受けたのでこの考え方は今でも大事にしています。ちなみに大人になると案外やりたいようにやっても怒られることはありません。

フリーランス〜法人化〜AWS Japan入社まで

Socketでしばらく働いていると会社がKDDIに買収され、Supership株式会社に合併されることになりました。個人的には小規模なスタートアップが楽しかったので会社の人数が一気に400人ぐらいになり嫌だなーと思った記憶があります。自分自身も入社して3年ほど経ちAWSエンジニアとしてもできることが増えていたので他の業界やプロダクトも見たくなりフリーランスとして副業を始めることにしました。

Wantedlyを使って違う業界のスタートアップを探し、SREとして土日メインに週2〜3ぐらいで働いていましたが、半年ほど副業でやってみて独立してもやっていけそうな気がしたのでフリーランス1本でやっていくことにしました。スタートアップやWeb企業を中心にAWS案件の支援をしつつ、AWS以外のインフラ(Heroku/GCP/Azure)にも触れることができました。

フリーランスとして活動していると会社員として働いていた時よりも報酬額は高くなりますが、同時にプロフェッショナルとして今持っている技術の切り売りで高い報酬をもらう形になるので、未経験のチャレンジングな仕事はあまりできずエンジニアとして成長できていない感覚がありました。

「何かを変えないと」と思い、1~2年ほどフリーランスとして活動したのちに法人成りという形でこの会社(Achroma)を創りました。スタートアップ業界を中心に活動する中で「自分もいつかは起業したい」という思いがありましたが、これだ!と思えるような事業がありませんでした。とはいえ何もしないと何も始まらないな、と思い「とりあえず会社作ってしまえば何かやるだろう」ぐらいのノリで法人登記してみました。

1年ほどスタートアップの真似事など色々チャレンジしてみましたがうまくいかず迷走していたところ、AWSのリクルートチームから「AWSのソリューションアーキテクトとして働きませんか?」というオファーをいただきました。「これはチャンスだ」と思いオファーを受けてみたところなぜか受かってしまったので、一時会社の方は休眠してAWSのソリューションアーキテクトとして修行することになりました。これが人生の2つ目のターニングポイントとなります。

AWS Japan入社から卒業まで

AWS Japan入社初日、オンボーディングを受けるメンバーには元Googleエンジニアや元IBMの部長など、どう見ても自分より圧倒的に優秀な人達しかいませんでした。「この人たちと肩を並べてAmazonでサバイブしていくのか...」という絶望感と同時にこのレベルの高い環境で働けることにワクワクしたのを覚えています。(後で聞くとそういう人たちも同様の気持ちらしい)


ちゃっかりAWS Summit 2022に登壇もできました


入社後はソリューションアーキテクト(以下SA)としてWeb業界のお客様を中心に、お客様の抱える課題や要望をサポートする仕事に就きました。これまでもフリーランスとして十数社ほどクライアントワーク経験もあり、同じ業界のお客様側で仕事をしていたのでお客様がどのようなサポートを求めているか、どのような課題を抱えているかはなんとなく察せるケースもあったので仕事自体は割とすんなり馴染んだ気がします。ただ、SAとして200以上あるAWSサービスについて高い基準で正しい情報をインプットする必要があり、クライアントワーク以外の仕事もたくさんあるので、刺激的なDay1の日々が始まりました。

SAとして活動を続ける中で、AWS側がいくらサポートしてもうまく進まない案件があり、「1人でもAWSに詳しい人がお客様側にいれば進むのに」と思う瞬間が何度もありました。要因としてはお客様側でAWSエンジニアの人材不足と知見不足がブロッカーとなっていると感じました。解決策としてはフリーランスのAWSエンジニアやAWSパートナーの参画となるのですが、お客様のエンジニア採用をAWSが手伝うわけにもいきません。また、AWSパートナーを紹介しようとするとお客様の予算やパートナー側のクライテリアがブロッカーとなってしまうので、事業規模の小さいお客様はAWSサイドからは打つ手がありませんでした。

そこで「自分がお客様側に入ることでAWSとお客様のハブとなり、より本質的でアクティブな開発支援を実現できるのでは?」と思い立ちました。「自分がやるべきことはこれだ」と確信し初めて事業アイデアとして勝ち筋が見えた瞬間でした。当時のマネージャーにも相談し、後押ししてもらうような形でAWSを卒業し、AchromaでAWSパートナー事業を始めることにしました。

Achromaに戻りAWSの認定パートナーとなる

ありがたいことに前職の同僚やコネクションのあるAWSメンバーからの案件依頼をいただき、事業の立ち上がりは思ったよりもスムーズで半年ほどでセレクトティアの認定パートナーとなることができました。
「AWSとお客様のハブとなり、より本質的でアクティブな開発支援を実現する」という体制も複数のアカウントで実現することができ、実績ベースでバリューを出せているのでビジネスモデルとしても間違いないと確信しています。

今後はAWSから最も信頼されるパートナーとして認知拡大し、「どんな案件でもAchromaに頼めば安心」とAWSとお客様から言われる企業を目指しています。


AWSイベントで登壇してくれと頼まれれば飛んでいきます

Achromaで働く魅力

一番の魅力は生成AIや大規模なAWS移行など難易度が高く技術的に面白い案件依頼がAWSから多く舞い込んでいることと、それに対応できるAWSのプロフェッショナルメンバーが集まっていることです。

難易度的には高くない案件でも元SAが求める基準でベストプラクティスに則ったアーキテクチャ設計や提案が前提となるので、経験豊富なシニアクラスのインフラエンジニアに対しても成長機会を提供できているかと思います。


正社員/業務委託含め10名ほどで32のAWS認定資格を保有、
うち半数以上がSpecialty/Professionalという世界線で戦ってます


「AWSで新たな価値を」

これがAchromaのミッションです。AWSとお客様、一緒に働くメンバーなど全てのステークホルダーに対し、AWSというソリューションを通じて新たな付加価値を生み出したいと思っています。

また、リモートワーク前提で組織自体が設計されており、基本的に働く時間や場所は問いません。
元AWSメンバーの採用も視野に入れているので年収レンジは外資相当で設計しています。
成果重視でAmazonカルチャーも感じれるような会社にしたいので、仕事もプライベートも全力で取り組みたい方はぜひ、一度お話しさせてください!

最後に一言

私と一緒にでかい魚釣りましょう!(カジュアル面談待ってます)

2024年、GWに釣った24kgの平政



If this story triggered your interest, why don't you come and visit us?
コアメンバー募集!AWSの元SAと一緒にAWSコンサルやりませんか?
株式会社Achroma's job postings
1 Likes
1 Likes

AWS

Weekly ranking

Show other rankings
Like Kenshiro Ota's Story
Let Kenshiro Ota's company know you're interested in their content