大学卒業後、最初に就職したのは銀行でした。2018年のことです。周囲の期待や安定性を考えて選んだ道ではありましたが、実際に働いてみて感じたのは、「この仕事に自分が情熱を注げるか?」という問いへの違和感でした。お金や数字だけを追う日々に、少しずつ自分の存在意義を見失いかけていました。
そこで僕は1年で銀行を退職する決断をしました。安定を手放すのは怖さもありましたが、それ以上に“意味のあることをしたい”という気持ちが強かったのです。
「独学で日本語を学び、半年でN2合格」
2019年7月、まったくのゼロから日本語の勉強を始めました。英語や日本語のバックグラウンドもなく、本当に基礎の「こんにちは」からのスタートです。独学でしたが、集中して勉強した結果、なんと半年後には日本語能力試験のN2に合格することができました。
そのときは「せっかくなら日本に行ってみよう」と語学学校への申請も完了し、あとは出発を待つだけ、という状況でした。
ところが2020年、コロナがすべてを変えました。
「渡航不能から一転、新メディアの世界へ」
パンデミックによって海外渡航が完全にストップ。日本行きを断念せざるを得なくなりました。でも、僕は「学びを止めたくない」「行動を止めたくない」という気持ちが強く、次の挑戦を探し始めました。
そんな時に出会ったのが、ある実業家の先生でした。その方は従来のビジネス観とはまったく違う視点を持っていて、話す一言一言が本当に新鮮で刺激的だったのを覚えています。
2020年の春節明け、僕はその先生のもとで“ゼロからのビジネス”を学び始めました。会社員でもなく、学生でもない、“自分で食べていく”という覚悟を持って1年間修行しました。その努力が実り、2021年には先生から「一緒に起業しよう」と声をかけていただき、新メディア分野での事業立ち上げに関わることができました。
この時期に培った“ゼロから作る力”は、今の僕の土台になっています。
「運命を変えた一本の動画」
2023年。ある日、何気なく開いた抖音(中国版TikTok)で、あるインフルエンサーの動画が流れてきました。iceさん――そう、今の会社「株式会社篤月(Togetsu)」の代表・陳です。
彼がパートタイムスタッフを募集していると知り、「これは何かの縁かもしれない」と思い、迷わず連絡しました。当時は他の仕事も抱えていましたが、iceさんの動画や発信から伝わる“熱量”と“実行力”に強く惹かれ、彼と一緒に仕事がしたいと思ったのです。
実際に業務を始めてみると、予想以上にフィーリングが合い、業務効率もスムーズ。お互いの価値観も近く、気づけば1年近く一緒にプロジェクトを回すようになっていました。
「【一緒に東京で働かないか?】という誘い」
2024年のある日、彼から突然言われました。
「今度は一緒に東京で働かないか?」
一瞬、頭が真っ白になりました。日本への渡航は一度断念した過去があります。それでも、「いつかは行きたい」という思いを持ち続けていた僕にとって、これはまさにチャンスでした。
少し悩んだ末に、僕は東京行きを決意しました。
そして2025年2月、ついに日本での仕事がスタートしました。
「最年長としての責任。言語を越えた“信頼”で生きていく」
現在、社内で僕は最年長メンバーです。年齢的にも、仕事経験的にも責任ある立場を任されています。中国語ネイティブとして運用業務を中心に、インフルエンサーのキャスティングや撮影など、現場対応もすべてこなしています。
正直、最初は言語面が不安でした。社内には日本語が堪能なメンバーが何人かいて、その中で“ちゃんとやっていけるのか?”という思いもありました。
でも、毎日彼らと一緒に働く中で、少しずつ日本語のリスニング力も上がってきて、ある日その日本語堪能な子から「最近、めっちゃ日本語うまくなってるじゃん!」と言われたときは、本当に嬉しかったです。
「篤月という会社に感じる【信頼の文化】」
この会社の特長は、とにかく「任せてくれること」。
年齢や学歴、出身国、性別、そんなことは一切関係なく、「この人ならできる」と思ったら、社長は迷わず任せてくれます。そして失敗しても咎めない。「まずはやってみよう」と言ってくれるからこそ、挑戦できる。
自分がこれまで培ってきた“ゼロから築く力”を、思う存分活かせる環境です。
「今後の目標は?」
今はとにかく、会社をもっと大きくしたい。それが第一です。
「Togetsuで働いている」ということが誇りになるような会社にしたいし、「中国SNSならこの会社しかない」と言われるようなポジションを築いていきたい。
日本で働くという夢は叶った。でも、僕の夢はまだまだここからです。