こんにちは、manatee(@manatee_sugi)です。2025年2月にMEMEに入社し、株式会社MEMEの社長室に所属しています。
MEMEは、「次世代を育てる毎日が、希望になる社会」を目指し、現在は学校徴収金サービス『スクペイ』と、親子の金融教育アプリ『manimo』の2つの事業を展開しています。
私はもともと、思ったことや感じたことを内に溜めがちな性格でしたが、MEMEで社長室として自分の役割に閉じずに幅広い経験をさせてもらうなかで、自分らしさを表現しながら、お客様や事業のために何が必要なのかを考え、向き合えるようになってきたかなと思います。まだまだ発展途上なので、時々パツります。笑
今回は、日々学校、教育委員会、学校関係業者の皆様とお話しするなかで考えている、学校徴収金の未納問題について私が感じていることを綴りたいと思います。
未納がなくなれば、すべて解決するのだろうか
学校徴収金とは、教材費や校外学習費など、学校で必要なものや活動のために、保護者から集めるお金です。
その集金業務を支えるサービス提供に関わっていて感じるのは、未納への困り感には、地域によって大きな違いがあるということです。未納者への対応がほとんど話題に上がらない地域もあれば、どう対応すればよいのか、強い困り感を持っている地域もあります。
そんななかで、とある打ち合わせで「子どもに罪はない」という言葉を聞き、考えさせられることがありました。
教材費が支払われていなくても、子どもに教材を渡さないわけにはいかない。子どもの学ぶ機会を、保護者の支払い状況によって左右してはいけない。私もそう思います。
ただ、同時に心に引っかかったのは、そういった子どもが学校から家に帰ったその先のことでした。
学校では必要な教材を受け取り、授業に参加でき、給食を食べる。では、家庭ではどうなのだろう。安心してごはんを食べたり、遊んだり、家族の誰かと話したりできているのだろうか。強く催促して、学校徴収金が支払われるようになれば、それですべて解決するのだろうか。
学校は、子どもが多くの時間を過ごす、かけがえのない大切な教育の場所です。でも、家庭で過ごす時間も、同じように大事です。
学校には、先生や同じクラスの友達など、複数の人の目があります。一方で、家庭のなかで何が起きているのかは、外からはわかりません。
例えば、生活に必要なお金が足りない家庭が、溜まっていた未払いの教材費をなんとか支払った結果、子どものごはんや衣服に使うお金がなくなってしまったら。
あるいは、教材費が繰り返し支払われていないとき、その子が健やかに育つために必要なものは、家庭で用意されているのだろうか。
もちろん、未納だけで家庭の状況は判断できません。支払いを忘れていたり、手続きがわからなかったりすることもあると思います。だからこそ、支払われていないという事実だけで判断せず、その背景に何があるのかを知る必要があると考えています。
母がどんなに働き続けても解消しなかった苦しい生活
私の母は、私が小学校を卒業するまで、ひとりで私と弟を育ててくれました。
私と弟がどちらも小学校に上がり、お金がかかるようになると、母はパートを掛け持ちして、ほとんど家にいませんでした。当時住んでいた団地でお留守番をする私と弟は、いつも冷凍パスタや菓子パンを食べて、時々、家の電気や水道が止まることもありました。
市の援助も受けていました。それでも、必要な支払いや返済ができず、市役所の保健福祉課の窓口で泣いている母を見たことがあります。
母は誰から見ても一生懸命に働いていました。仕事をせずに怠惰にしていたわけでも、(少なくとも私が知る限りは)自分の贅沢にお金を使っていた訳でもありませんが、当時母にできる仕事でどんなに寝ずに仕事をしても、生活は楽になりませんでした。
そして私は、友だちにそんなことを知られたくはないから、友だちの家に遊びに行くと母がいつも美味しい料理を作ってくれると言い、私と弟の食事代と言って母が置いていったお金で友だちとショッピングモールに行って遊び、なんら困っている家庭の子には見えないように振る舞うのです。
学校に通えていても、活動の制限があった
中学校に上がるころ、父と一緒に暮らすようになり、家族で仙台市に引っ越しました。
私は勉強が大好きでした。毎月届く進研ゼミを楽しみにしていて、入学前から文房具を新調したり、進研ゼミで先取りの勉強をして、新天地での中学生活に心から胸を躍らせていました。
しかし、あまり母からしつけられずに育った私と弟に家庭での父のしつけは厳しく、立候補した生徒会活動への参加を止めさせられたり、合唱コンクールなどの学校行事に行かせてもらえないことがありました。
水泳部に所属していましたが、市外の練習場所までの交通費をもらえず、ほかの部員が公共交通機関で向かうなか、歩いて行くこともありました。
交通費がもらえなかったり、ユニフォームを買ってもらえずに練習に行けないことが続き、それをきっかけにいじめられたこともあります。
私にとって、学校に通って先生や友だちに笑顔で挨拶することと、安心して元気に生活できていることは、必ずしも同じではありませんでした。
学校では溌剌とした自分でいるのに、家に帰る下校の足取りは、家に近づけば近づくほど重いのです。真っ直ぐ帰ったら10〜15分の帰り道を、公園に寄り、商店街を往復し、近くの川の向こうから「お父さん、家にいるのかな?」と様子をみて、覚悟をして玄関のドアを開けたら地獄の始まりです。次の日の朝を迎えると、どんなに心が楽になることか。それでも、「行ってきます」と学校へ向かおうとしたところで引き止められると、「ああ、今日も長く重い一日が始まる」と思うのです。
学校運営に、学校徴収金システムが寄与できることがある
自分の原体験を、すべての家庭に重ねてしまうのはよくないと理解しています。それでも、子どもは、自分で生計を立てることが難しい。暮らす環境を自分で選んだり、変えたりする選択肢が限られてしまうからこそ、学校や地域が、日々のさまざまな接点から、子どもや家庭が抱える困難のサインに気づける環境であってほしいと思っています。
弊社の学校徴収金システム「スクペイ」の提供に関わり始めた当初は、これまでFintechサービスに関わってきた者として、紙や現金を中心とした運用など、レガシーな業務が残る学校の集金業務にサービスを届けられることにやりがいを感じていました。一方で、自分が関わっているのは、教育の周辺にある業務だと捉えていました。今は、学校会計を支えることが、教育そのものを支えることにつながるというその意義をより明確に感じています。
学校会計は、教育活動を支える大切な基盤です。公費や保護者が負担するお金を、何に、どれだけ使うのか。限られた資金をどのように配分するかという意思決定は、子どもが使う教材や参加する活動など、日々の教育につながっています。お金を確保し、使い道を考え、暮らしや活動を成り立たせることは、家庭にも学校にも企業にも共通する、社会や経済の基本です。
限られたお金で何を大切にし、どう選択するのか。必要な資金をどう確保し、その使い方にどう責任を持つのか。こうしたことは、子どもたちが自分の人生を切り開き、社会の一員として生きていくために、学んでいくべきことだと思っています。
その第一歩として、教育にかかるお金の出入りを見えるようにすること。学校徴収金の管理を通じて、教育を支えるお金の流れを整え、学校や家庭がよりよい選択をするための土台をつくること。
きれいごとだって、言われてしまうかもしれません。学校現場は日々の業務で忙しく、新しいやり方に変えることにだって負担がともないます。
何のためにこれまでの業務の仕組みを変え、その先に何を目指すのか。その山を越える理由を共有し、現場の負担を少しでも減らす工夫を重ねながら、学校の教職員の皆さんや教育委員会、学校関係業者の方々と取り組んでいきたいのです。
P.S. 数か月前に、弊社代表の齋藤(@meme_saito)も、私たちが学校集金の領域でサービスを提供する意義について、自身の視点から記事を書いていたことを思い出しました。同じ事業に取り組むなかで、重なる思いや、それぞれの経験から生まれる異なる視点があると思います。ぜひ、あわせて読んでいただけるとうれしいです。