1
/
5

Animoが生まれるまで-うぶごえ編

◆プロローグ

2014年の某日。

主婦・橋本典子は、山にこもり竹細工に勤しんでいた。
そこそこ人気のある竹細工照明職人なのだ。
器用に竹を加工して、幻想的な風景をつくり出す照明は
駅などの公共施設のほかホテルや百貨店からもオーダーがあり、全国に卸している。
3人の娘を育てる母であり、主婦であり、職人として、家族と過ごす自分が
およそ2年後には『Animo株式会社の代表取締役』になることなど、まだ知らない。

この物語は、Animoがうぶごえをあげるまでの創業ストーリーであるが
それには橋本が竹細工照明職人となるに至った経緯をまず、紐解かなければならない。


◆救命救急士から職人へ

「わかりますか?救急です。…呼びかけ反応なし!」
「動かします!1・2・3!!」
「呼吸なし、CPAです。心マ!」

さらに時間を遡って、時は2000年。
救命救急士を目指して、実戦さながらの緊迫した救命シミュレーションに取り組む橋本の姿があった。

そう。
彼女のファーストキャリアは救命救急士であった。
中学3年生の夏、不幸な事故によって家族を亡くした経験から、命を救う仕事に就きたいと考え始めた。
また、小中高を通じて全国トップクラスの成績を残すほどテニスに打ち込んだものの、高校3年生の時に怪我をし、やむなく引退。その時の担当医の言葉も、医療への道を後押ししてくれた。

医療専門学校在学中に結婚。すぐに妊娠・出産をしたのは問題児的な出来事だったが
赤子を抱えながらも勉強をやりぬいたのは、テニスで培った精神力だろうか。
見事、国家試験に合格し、兵庫県のとある病院で救命救急士としてデビュー。
命の最前線で活躍することしばらく、2人目を妊娠した。
この時は退職し、子育てに専念する道を選んだことが竹細工照明職人としての始まりでもあった。

さらにしばらくして3人目の娘を出産。
この頃から、自分と社会との関わりについて考えるようになった。
そんな時に知人から紹介されたのが、竹細工照明をつくる仕事だった。
京都の竹林に竹を調達しに行き、家の近くの雑貨工房で電動ドリルの使い方を教えてもらって、あとは独学でいくつも作品を創った。
その作品の評判が広まり、全国に卸すまでになったことはすでに触れたとおりである。

◆第3の選択

照明作家として成功を収めたようにみえる橋本だったが
心の奥に、なにかスッキリとしない思いを抱えていた。

それは、同年代の知人や友人から相次いでもたらされる、共通の悩みについてだった。

自分と同じように出産を経験した同年代の友人たちから
「これから何をして生きていけばいいんだろう」
「仕事に就きたいけど、どうしたらいいか分からない」
そんな悩みを聞くことが多くなった。

ほんの数年、前線を退いている間に、テクノロジーは進歩し社会の状況も一変してしまう。確かに、いちど離れてしまうと戻るのは難しいのが現実。
出産を経て社会に復帰しようとした時の不安や、高い壁の存在には自分も覚えがある。

橋本はその時、社会との関わり方に悩んでいた、かつての自分の姿を重ねていた。
『出産を機に退職した女性が、再び社会と関わるって本当に難しいことなんだ…』

会社を経営した経験はもちろん、一般企業に勤めたことすらなかったが
ふつふつと湧き上がる『やらなければ』という衝動に突き動かされ
この時にはもう、女性の社会復帰を支援する会社をやろうと決めていた。

◆隣の席の貴女

さて、『女性の社会復帰を支援する』とひとことで言っても、支援方法はいろいろある。
未来のAnimoはどんな風に社会との関わりに悩む女性たちに寄り添うのか。
会社をやろうと決めた橋本は、いわゆる事業計画を思案していた。

そんな折、熊本の旅館へ照明作品の納品に行く機会があった。
飛行機に乗り込み、後は着陸までゆったりしていようとチケットが指定する席に着くと
隣にはエキゾチックな神秘性を放つ美女が静かに座っていた。
普段、たまたま隣り合った旅人と言葉を交わそうなんて思ったこともないが
この時はどちらからともなく、ぽつりぽつりとお互いの身の上話が始まったのだった。

聞けばこのエキゾチック美女、専門学校を出た10代の頃からサービス業に就く中で
商品の価値だけではなく、お客様の心に深く刻まれるような体験を提供したいと
“接遇”に可能性を見出し、多くの人にそれを伝えたいと講師をやっているのだという。
今日は熊本のとある旅館従業員に向けた研修に出かけるところだと話してくれた。

『まさかね・・・』

と思いながら行き先を聞いてみると、その名前は紛れもなく、今から橋本が納品に向かう旅館だった。

こんなことがあるか!

日に何便も飛び、100席以上はある飛行機で、たまたま今日という日に隣り合った女性が
自分の用務先と同じ旅館に仕事をしに行く。
それも、なんだか今から自分がやろうとしている事と遠くないことを仕事にしている。
橋本は叫び出したいほどの驚きを、高度1万メートルの上空で抑えながら
これから女性を支援するための会社を興そうと思っていること、そのための事業計画を練っているところだということを一気に話した。
すると、その女性が「同じ部屋に泊まらないか」と橋本に提案をする。
これを2つ返事でOKすると、2人は修学旅行の夜に色めき立つ少女のように
明け方までおしゃべりをしたのだった。

◆社長、誕生

この女性との出会いは、橋本の事業計画に大きな影響を与えた。
もちろん、いい影響である。

そして、衝撃の熊本出張から半年ほどが経った2015年末、橋本は携帯のアドレス帳から“隣の席の貴女”の電話番号を呼び出していた。自身が作りあげた事業計画を話し、ビジネスパートナーになってほしいと依頼するために。

さて、この女性がどのように関わってくるかは、もうしばらく後の話である。

年が明け、2016年2月。
いよいよ起業に至った橋本は、うぶごえをあげたばかりの会社に『Animo株式会社』と名付けた。
これからの事業をサポートしてくれる秘書を迎え入れ
橋本と秘書、2人きりでの船出だった。
なお、どういった経緯で『Animo株式会社』という名前がついたのかは、また別のお話。

※この物語はノンフィクションです。

そんな橋本からのショートメッセージ
ぜひご覧ください。

Animo株式会社's job postings
2 Likes
2 Likes

Weekly ranking

Show other rankings
Like Makiko Murakami's Story
Let Makiko Murakami's company know you're interested in their content