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当社の成り立ち ~1966年からの約30年間~

当社は、1966年に資本金100万円で創業した会社です。設立時の代表は水谷照彦で、総員3名で発足しました。今でこそ、保有設備は100台を超えますが、当時の保有設備台数は0。金型部品の専門商社として事業を開始しました。

高度経済成長期の最中、松下、SHARP、三洋のお膝元だった大阪は、家電産業集積の全盛期で、中小の金型メーカーが今の数倍ひしめきあっていました。新三種の神器の「カラーテレビ」、「エアコン」、「カー」の時代、作れば売れる時代で、金型需要も高まりました。特に、「カー」の所有の大衆化で、名古屋地区にもトヨタ自動車の産業集積が形成されました。隆盛を極めた大阪と名古屋を営業拠点とし、当社の販売金額も増えていきました。

1977年、現在本社のある東大阪市に本社及び工場を移転しました。このとき、はじめて自動盤・研削盤等の設備を導入し、製造能力を持つことになります。この時点で従業員数は6~7名でした。社訓として、「次なる人のために」という言葉が掲げられていました。次の工程の人のことを考えて作業すること、商流でみると当社の次であるお客様のために確実な製品を納めること、次の世代の人のために事業の種まきをすること、それが会社を持続的に成長させるための考え方でした。

金型業界はここから激動の時代を迎えます。

日本各地でホンダ、スバル、マツダなど、自動車メーカーが台頭し、産業集積を形成しました。金型部品の需要が全国に広がったのです。

そして、1986年この膨れ上がった市場を席巻するマーケティング手法が編み出されました。標準部品カタログの発刊です。当時の当社の競合で、今では東証上場企業である会社が、一部の形状・材質・用途の部品に関して、これまで部品の調達に必要だった図面を失くし、カタログ記号で発注できるようにしたのです。当社も標準部品カタログを発刊して、拡販活動をしていた時期がありました。一部のお客様はいまでも当社のカタログ商品を購入し続けてくださっていますが、標準金型部品の市場に関しての現在の結果を見ると、大手2社が、商品開発のスピードやカタログ更新スピード、売込スピードで他を圧倒し、寡占している状況です。

一方で、この時期を境に、標準部品というカテゴリに属さない、特注部品(オーダーメイド部品)というカテゴリが自然発生的に生じました。これは当社が現在最も得意としている市場カテゴリです。標準部品の拡販に傾倒し、企業規模を大きくしてきた会社からすると、あまりに非効率で儲け代のなく、攻略優先順位の低いニッチな市場かもしれませんが、非効率を効率化させ、商売として成立させ続けてきた当社の歴史そのものこそが、競争の激しいこの金属加工業界で、当社が60年間生き延び続けた理由の一つでもあります。

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