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夏越の祓

年に2回、全国各地の神社で身の穢れを祓う神事を執り行い、国中の津々浦々までの人々が祓い清めている。
今回は、6月30日の夏に行う「夏越の祓(なごしのはらえ)」というわけである。
(次は12月31日の「年越しの大祓」になる)

穢れ

穢れとは忌わしく不浄なものを指す。
古より、人は生きている限り、好むと好まざるに関わらず、知ってか知らずかの別なく、もれなく穢れを身に受けていると考えられていた。
これは奈良時代に仏教と共に伝来した思想で、この穢れを祓っておかなければ、如何なる災厄が身に降りかかってくるか分からず、ましてや今年の仕事の成功や、学業、結婚などの望みが成就することも無いと怖れたのである。

 
神仏習合

さて、この時点である事に気付いた方はいるだろうか。
穢れを祓うと云う考えは「仏教」の教えに因るものであると前述した。
果たしてこれを年中行事として執り行うのが何ゆえ「寺」ではなく「神社」であるのか。
不思議に思った方もいるだろう。
これは仏教の伝来以降、日本古来の神祇信仰と関わり合い、混ざり合い、発展していった「神仏習合」の痕跡と見られる。
古来日本では、仏と神を同一線上に捉える、つまり仏が人々を救うために神という仮の姿で現れると考えたのである。
明治元年、神仏分離令が発令するまでおよそ千年それは続いた。

先日、小生は大分県国東市を旅して参った。
神仏習合の文化が花開いた寺院の、石造仁王像や摩崖仏などの石造美術の宝庫と云われる地だ。
それらを心静かに眺めるひとときは、格別であった。
この地の人々は、神仏習合の教えを今も受け継ぎ、床の間の左に神棚を、右に仏壇を、仲良く並べて安置すると云う。これまた興味深し。
神仏習合について語るにはとりわけ時間を要する故、名残惜しいが説明はこの辺で留めておく。
 

茅の輪

本題に入ろう。
今回の青工逢山の作品は、「茅の輪」。
各地の神社に設置されている茅の輪を作法に則りくぐれば、則ち身の穢れを祓うものなり。
前述の神仏習合の考えを汲み、この茅の輪に日本の八百万の神々を盛り込んだ。
日本人が原初に祀った神は山であり、川であり、海であり、自然界のありとあらゆるものに神を見出した。
作品に目を向ければ、自然界の様々な景色が広がっている。
本作品は山であり、川であり、海でもあるのだ。
心穏やかに見つめていると、茅の輪が禅の「円相」にも見えてくるから不思議だ。
 

おわりに

今年の夏越の祓は、原初の神祇信仰と仏教の融合「神仏習合」にも想いを馳せ、その身の穢れを祓ってみては如何だろうか。
皆々様が心身ともに晴れ晴れとした清々しさを得られれば心嬉しい限りだ。

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