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社員インタビュー【ミャンマーから日本へ、未経験からwebエンジニアへの挑戦】

私の生まれ故郷

私は、当時のミャンマーの首都ヤンゴンで生まれ育ちました。今は「ネピドー」がミャンマーの首都ですね。ヤンゴンは現在日本でいうところの大阪のような第二の都市になってます。このヤンゴンという街に私は16歳まで家族と一緒に生活をしていました。

日本と違い、ミャンマーは16歳~17歳で大学へ入学します。当時のヤンゴンでは医学部と工学部が就職するのに、安定した収入を得るために有利だと言われており、とても人気がありました。特に海事大学は海外で就職する道が開けるので、ミャンマーでは海事大学へ進みたい人もとても多いのです。私は高校で所定の成績を取り、ヤンゴンでも有名な海事大学へ進学しました。

大学卒業後の進路

就職や将来の収入の為に海事大学の工学部に入学した私は、大学で学んだ機械工学の知識を活かし、卒業後シンガポールの海上輸送会社へ入社しました。私が在籍していた海上輸送会社は、中国から各国へ鉄鉱石、石炭、塩、アルミなどの資源を運んでいました。私が乗船していた船は、中国からオーストラリアへ往復する船でした。時々台湾にも向かいましたね。入社する際に、「最低6か月間は船上で生活すること」への同意書にサインをするのですが、私は9か月間ずっと船の上での生活をしておりました。最初の1~2か月は慣れない船の上での生活、不規則なシフトに体を合わせるのがとても大変でした。9か月間、朝の4時~8時、夜は16時~20時の不規則な生活です。残業で21時~0時まで残業することもありました。

本当にこれでいいのか

正直、船の仕事をしたくて仕事に就いたわけではなかったので、体力の消耗と共に本当に自分はこのまま仕事を続けてよいのか悩み始めました。その時、ちょうど日本の大阪大学へ留学をしている友人と話をする機会があり、大学でどんな勉強をしているのか日本での生活はどんなものなのか聞いてみました。友人の話を聞くうちに、もう一回勉強をやり直したい気持ちになりました。当時ミャンマーの大学で学んだ機械工学は「人気があるから」入学したに過ぎませんでした。自分の学びたいことを自己分析しなおし、もう一度学びなおそうと決めました。




日本の大学へ

自分が本当は何をしたいのか?何に興味があるのか?自分を見つめなおし、北海道大学の大学院へ進むことを決意しました。社会工学の研究室を選びました。また、日本に来てからブロックチェーンや暗号通貨にも興味を持ちました。どんな技術でできていてどんな仕組みになっているのか?調べていくうちにweb開発の技術で組み込まれていることを知り、web開発の勉強が私の趣味となりました。

今後のキャリアプランは?

現在は一からコーディングの勉強しています。一人でアプリケーション開発ができるようになるまでが目標です。家でも勉強はかかせません。時間のある時は、家でもオンライン講習などを受けて研鑽してます。会社でも少しづつではありますが、案件を任されるようになってきました。

就職に悩んでる人へ

就活をするとき「自分が何をやりたいのか、何で尖りたいのか」じっくり考えてほしいと思います。
EgoDivaのようなベンチャー企業ならカルチャーをつくるのに自分が携わってる感じも楽しいですね。
私が大手企業を選ばなかったのは業務の範囲が狭くなってしまうのでは?と考えたためです。
業務範囲の決まりきった仕事は、自分には向いてないように思ったのです。EgoDivaは私のように
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分け隔てなく平等にチャンスが与えられるのもEgoDivaの特徴です。是非、日本へ学びにきてる方も気になる方は話を聞きにきてください!



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