「声楽もプログラミングも、突き詰めればどちらも“ものづくり”。ジャンルは違っても、自分の“好き”はずっと変わっていなかったんだと気づきました」
現在はATIの代表取締役として、エンジニアとしても開発の最前線で活躍する岩崎晃司さん。そんな彼のキャリアの背景には、一貫してブレない“ものづくり”への情熱がありました。
本編では、岩崎さんがどのようにして声楽の世界からテクノロジーの道へと歩みを進め、キャリアを築いていったのか。その原点と転機を紐解きます。
目次
心惹かれた声楽とプログラミング
大学を中退して劇団四季へ
業界を変えるための決断
上司に見出され、エンジニアに
心惹かれた声楽とプログラミング
──学生時代は、どのような分野を学ばれていたのですか?
岩崎:高校・大学では、クラシックの声楽を学んでいました。子どもの頃に音楽教室に通っていたことがあり、音楽が得意だったんです。とはいえ特別な教育を受けていたわけでも、音楽一家に育ったわけでもありません。当時は少し習っていたこともあって、クラスの中では「音楽ができる人」という印象だったと思います。
また、歌うことが好きで、少年少女合唱団にも所属していました。その流れで自然と声楽の道に進み、東京藝術大学で声楽を専攻していました。
──高校や大学で学ばれていた内容は、現在のエンジニアというお仕事とはまったく異なる分野ですね。
岩崎:そうですね。ただ、実は中学生の頃からプログラミングに触れていたんです。当時、Windows向けのフリーソフトを個人で公開している方がいて、自分でも簡単なものであれば作れるのではないかと思い、ツールを開発して公開していました。
それに加えて、もともとパソコンやインターネットが好きで、離れた場所の人とつながれる可能性にワクワクしていました。そういった興味から、音楽と同じくらいプログラミングにも関心を持つようになっていきました。
大学を中退して劇団四季へ
──その後、どのような経緯で劇団四季に入られたのですか?
岩崎:きっかけは、劇団四季の創立者である浅利慶太さんに声をかけていただいたことです。大学の授業で浅利さんが講義に来られた際に、私もその場にいて、お話を熱心に聞いていました。
芸能の世界は閉鎖的で才能があっても表舞台に立てずに埋もれてしまう、食っていけない人が多いんです。私のまわりにも才能のある同級生がたくさんいたので、「この業界をなんとか変えたい」「もっと多くの人が報われる世界にしたい」という気持ちがありました。
授業の後、思い切って浅利さんに直接声をかけ、自分の考えや、演出・プロデューサーの仕事に興味があることを伝えたところ、「うちに来なよ」と言っていただいて。大学4年になるタイミングで中退し、劇団四季に入ることを決めました。
──なかなか思いきった決断ですね。
岩崎:今振り返ると、卒業まであと1年だったので、卒業してからでもよかったかなと思うこともあります(笑)。でも当時は残り1年学ぶよりも、早く社会に出て経験を積むほうが自分にとって意味があると思ったんです。
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業界を変えるための決断
──そこからエンジニアにシフトされたのは、どのようなきっかけだったのでしょうか?
岩崎:劇団四季で実際に働く中で、芸能界の構造に改めて疑問を感じたことが大きかったですね。業界の方々の話を聞いたり、実際の現場に携わったりするなかで「このままではいけない」という思いが強くなりました。
そこで「この業界を変えるためにはどうすべきか」と考えたときに、二つの方法があると思ったんです。ひとつは業界の中で、ある程度の立場まで上がってから変える方法。もうひとつは、まったく別の業界から新しいアプローチで変えていく方法です。当時の私は後者の方が早いと感じ、「今この場所にとどまるより、いったん外に出て、世の中の仕組みやビジネスを学びたい」と思うようになりました。
音楽の世界にずっといたこともあり、まわりには普通の会社で働いている人がほとんどいませんでしたし、社会人としての具体的なイメージもなかったことから、一般的なビジネスの環境を知りたいという思いが次第に強くなっていったんです。
そこで改めて「自分にできることは何だろう?」と考えたときに、パソコンが好きだったことを思い出しました。声楽もプログラミングも、言ってしまえば同じ「ものづくり」。ジャンルは違いますが、好きなものは変わっていないんだなと思いました。
上司に見出され、エンジニアに
──音楽とパソコン、両方の経験がここで活きてくるんですね。
岩崎:そうですね。とはいえ、いきなりエンジニアにはなれません。それで最初は某インフラ系IT企業のヘルプデスクで、アルバイトとして働き始めました。
その職場では、比較的自由にテスト環境を使わせてもらえました。レンタルサーバーを扱っていたので、実際の問い合わせ内容について検証したり、対応の効率を上げるために自分でツールを作ったりしていたんです。
それをたまたま上司が見て、「プログラミングができるなら、開発の部署に移ってはどうか」と声をかけてくださり、そこから正式にエンジニアとしてのキャリアがスタートしました。
──その会社にはどれくらい在籍されていたのですか?
岩崎:約6年ほどですかね。その後いくつかの会社を経て、2023年1月にATIを立ち上げました。
音楽とテクノロジーという、一見交わらないようで、実は共通点のある二つの世界。その両方を経験した岩崎さんが、最終的に選んだのは「起業」という道でした。
後編ではご自身で立ち上げたATIという会社に込めた想いや、これから描いていく未来について、さらに深くお話を伺います。
撮影:riho okano