2022年11月、品質管理(QC)チームの一員としてTYPICAにジョインした寺崎浩一さん。焙煎豆のサンプルをロースターに届ける役割として、ヨーロッパ拠点のアムステルダムで焙煎したコーヒー豆と同様のプロトコルを用いた「均一性のあるプロファイルづくり」をミッションとする。並行して、ダイレクトトレードが当たり前の世界を実現するために、業界を変革する同志を増やすための「TYPICA SALON」事業を進めている。
製菓学校を卒業後、パティシエとして働くなかで個性豊かなコーヒーの魅力を見出した寺崎さんは、2012年、24歳のときにスターバックスに転職。社内No.1バリスタの証となる「コーヒーアンバサダー」やロースタートレーナーなど、重要なポジションを任されてきた。食の世界に身をおいて16年。ジャンルは違えど、「極端に言えば、ずっとQCをやってきた」と振り返る彼の胸には、「食の水準を上げたい」という変わらぬ志がある。
生豆の品質にフィルターをかけない
「焙煎はメイクアップに似ている」と表現したロースターがいる。生豆の個性や顧客のニーズに応じて違った味わいを出すために、違った焙煎を試みるからだ。その比喩になぞらえれば、生産者から届いたサンプル生豆を扱うTYPICA・QCチームの焙煎モットーは「一切、メイクアップをしないこと」だ。
「それぞれの生豆に備わっているポテンシャルを、ポジティブな面もネガティブな面も合わせて100%発揮できる焙煎を目指しています。人間でいうと、短所を隠さずにその人のありのままを紹介するようなものですね。
なので、生産者から送られてきた生豆のなかに欠点豆が混ざっていたとしても取り除きません。それも含めて生産者の努力の成果だと評価していただきたいからです。もし私たちが意図的に品質を高めたサンプルをもとにロースターが購入を決めた場合、いざ現物が届いて焙煎するとまったく別物だったということにもなりかねない。それでは、TYPICAや生産者に対する信頼を失ってしまいます。
加えてもし私たちが欠点豆を取り除いてしまうと、ロースターの味利き力が磨かれません。欠点豆とひと口に言っても、土壌の水分量が足りなかったのか、精製設備が不十分なのかといった原因はさまざま。味覚が磨かれていくとその原因を推測できて、生産者に的確なフィードバックを伝えられるようになる。つまり、より高品質なコーヒーを生産者と一緒につくっていけるんですよね」
創業以来、TYPICAは「世界中のコーヒー生産者、ロースター、生活者、コーヒーを愛するすべての人によって育まれるコミュニティ」づくりを目指してきた。その一環として寺崎は、新規事業「TYPICA SALON」の責任者という役割も担っている。
「ダイレクトトレードを促進させ、日本のコーヒー産業の水準を引き上げるために、大手ロースターやコーヒーカンパニー、ホテル、レストランにも取引を拡充していきます。彼らを対象にカッピング会や対話の場を設けることで、単なる商談にとどまらず、TYPICAとともに世界を変革する同志を生み出していきたいと考えています」
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本来のおいしさを届けるために
明治時代に創業した手打ちそば屋の5代目として店を切り盛りする父親や、そこから独立した寿司屋を経営する親戚。そんな環境で育った寺崎にとって、食に関心を持つことは自然な流れだった。
パティシエの道を選んだ寺崎は、高校卒業後、現役のトップパティシエが講師陣に名を連ねる製菓学校に進学。「世界一のパティシエになりたい」という野望を胸に秘めながら、明け方はベーカリーのパティシエとして、夜はスターバックスのバリスタとして食の世界にのめり込んだ。平日の睡眠は2〜3時間だったが、若さと情熱、衝動が蓄積しているはずの疲労を吹き飛ばしていた。
「専門学校に臨時講師で来たベーカリーのオーナーシェフに『調理にのめり込みたいです』と言ったら、リードパティシェのポジションを与えてくれたんです。学生の身分でありながら、レシピから食材の選び方、デコレーションまで、2年間任せてもらえたのはありがたかったですね。組み合わせ次第で食材がさらにおいしく生まれ変わる。そこに夢が詰まっている気がしたんです」
さらに高みを目指すべく、寺崎は専門学校卒業後、菓子作りの本場・フランスはパリに渡り、現地の製菓学校に通った。そこで高級ホテル「リッツ パリ」の菓子づくりを学んだ後、現地のパティスリーで勤務。カカオを焙煎してチョコレートをつくる仕事に携わり、多様な個性が彩るシングルオリジンの世界を垣間見た。
1年間のパリ修行を経て、日本に帰国した寺崎は、その道約10年(当時)のオーナーパティシエ・津田励祐とともにパティスリー「グラン・ヴァニーユ」を京都で立ち上げた。津田は「日本のパティシェの神様」と呼ばれる杉野英実に認められた数少ない弟子の一人である。そんな人間から「一緒に世界一になろう」と誘われたのなら、断る理由が見つからなかった。
一つひとつの食材を厳しく目利きすることをたえず求められてきた津田励祐のこだわりは想像以上だった。たとえばヘーゼルナッツの粉を原材料として使うとき、既製品の粉を買うのが一般的だ。だが、津田は違った。オーブントースターで焼いたヘーゼルナッツの皮をむき、欠点豆を取り除いたうえで粉にする。おまけに分量は0.1gの誤差すら許容しない。「食材の魅力が最大限表現されたお菓子づくり」。そんな美学に根ざした丹念で徹底した仕事ぶりには、生産者への感謝やその食材を扱うことへの責任がにじみ出ていた。
「当時は1日20時間くらい働いていたので、そこまでやらなくていいんじゃないかと思っていました。一つ一つの作業をおろそかにしない大切さに気づいたのは辞めてからのこと。当たり前のことを当たり前にやるのは本当に難しい。でも、だからこそ人の心を動かせる。あれほど美しいケーキは今まで見たことがないですから」
食材や紅茶、コーヒーの買付も津田と相談しながら進めていくなかで、寺崎はコーヒーの世界の奥深さに触れていった。スターバックスで知った「香ばしくて苦味がある」コーヒーの引き出しに、「フルーティーで多彩な味わいを持つ」コーヒーが加わったのだ。折しも、パティシェを続けていくことに疑問を抱き始めた頃だった。
「お客さんがこれまで食べたことない味を追求する、つまりパティシェの道を極めていくことは芸術家の生き方に近いところがあります。それはそれで素晴らしいことなのですが、自分の性には合っていないなと。もともと、父親のつくったおいしいそばの魅力を店に来た人にしか届けられないのが残念で、よりおいしいものをより多くの人に楽しんでもらいたいと思っていたからです」
コーヒー業界に身を移した寺崎は、エルサルバドルのスペシャルティコーヒーを専門に扱うカフェとスターバックスで働き始めた。当時のスターバックスは、スペシャルティコーヒー事業に参入して間もない頃。コーヒーの魅力にバリスタの知識やスキルが追いついていないように映った。せっかくいいコーヒーを扱っているのにもったいない……。胸の内でくすぶる思いは、スターバックスで階段を駆け上がっていく道を寺崎に選ばせた。
アルバイトをしていた10代のときの苦い思い出も、スターバックスを選んだ一つの理由だった。一度、コーヒーのカッピングスキルやプレゼン力を競う社内競技会「コーヒーアンバサダーカップ」に出場したが、箸にも棒にもかからなかったのだ。
その悔しさを原動力に、『日本一になる』と思い定めて入社した寺崎は、その目標を実現するための試練を自身に課した。大会のルールを熟知すること。審査員が求める理想を分析し、体現すること。自身が離れていた5年の間に発展したスターバックスの文化にキャッチアップすること。場慣れするために、プレゼンの機会を日常業務のなかで積極的に創り出すこと……。おそらくはそれに勝るエネルギーや時間を注ぎ込んだ社員は他にいなかっただろう。寺崎は2年目にして目標を達成したのである。
「ただ、日本一になることは、私にとって目的ではなく手段でした。ブランドの顔となるアンバサダーになれば、スペシャルティコーヒーのプロモーションを加速できて、業界の発展につなげられるなと。コーヒーを含めた食の水準を上げたい、おいしさをピュアな状態で届けられる世の中をつくりたいという思いが、私の根っこにはあるからです。
『誰かのため』というと美しく聞こえるかもしれないけれど、私は自分のためだけだと極限まで頑張れない性質なんです。審査員という“お客さん”を100%以上楽しませるにはどうすればいいか。会場に来てくれている社員に、どれだけ多くの学びを持ち帰ってもらうか……。そこを根本に据えると自然にエネルギーが湧いてくる。
逆に言うと私は、誰かに尽くすことで生まれる『つながれている』という感覚がないと物足りないんです。だから、パティシエ時代に孤独を感じたんでしょうね、このまま芸術家の生き方に近づけば近づくほど、誰かとつながれなくなってしまうなって」
ピュアなおいしさには敵わない
物心ついたときから寺崎は、利きだし、利きそばを通じて味覚を磨く機会を父に与えられていた。長期休みの家族旅行といえば、長野でのそば打ち体験やそばの収穫など。祖母の実家ではイチゴをつくっていたこともあり、生産現場もまた身近な存在だった。
「食べ物なら何でも、とれたてが一番美味しいと思うんです。でも生鮮食品だから、1〜2週間も経てば味は落ちてしまう。おいしいものをおいしい状態で食べるのはシンプルだけど難しい。でもパッケージ技術や流通網を改善したりすれば、その願いが叶う世の中はつくれるんじゃないかと常々思っていたんです」
パティシエとしてのスキルや熱量を買われた寺崎は、「独立しませんか?」「パトロンになるから店をやろうよ」といった類のオファーを数十件受けてきた。だが、自分の店舗を持てば、おいしいものを届けられる相手が限定されてしまう。そう考える寺崎のなかで、独立や店舗運営は現実的な選択肢にはなり得なかった。
「味覚は環境や普段の生活によってつくられていくものだと思います。おいしいものに触れる機会が増えれば増えるほど、データベースが蓄積されて、味を感じ分けられるようになる。現時点ではあまり食に興味がない人でも、いい店やいい食材と出会う機会があれば変わる可能性はあると思います。
ただ、情報が溢れている今は、感覚を働かせる機会が減っているのかなと。私自身、食べログやSNSで評判のいい店を選ぶより、食欲をそそる匂いを漂わせている店を選ぶ方が確実性も高いんです。だから普段、街歩きをしていて気になった店があればマップに保存しておいて、後日、友人と食べに行ったりしていますね」
よけいな情報に惑わされず、ピュアに美味しさを感じられる世界をつくりたい。だがそのビジョンを具現化する環境として、ファンを大切にするスターバックスは適していなかった。生豆本来の味に「スタバの味」を加える焙煎を求められた同社では、特定のターゲットにしか届けられないジレンマを感じていたのだ。
「だからこそ、ボーダレスな世界をつくっているTYPICAを見つけたときにシビレたんですよね。ダイレクトトレードという方法で『コーヒーを愛するすべての人』に届けようとしているわけですから。
振り返ると、僕は人生でずっと『突き詰められるもの』を探してきたんだと思います。1位になることにしても、スターバックスでの仕事にしても、限定的な枠があると、どこかでこれ以上突き詰められない行き止まりを迎えてしまう。その意味でも、決まったフレームがなく、いくらでも創造やチャレンジができるTYPICAは僕に合っているんだと思います」
スペシャルティコーヒーが当たり前の世界をつくる
コーヒーと関わるステージを一つずつ川上へと近づけていきたい。そう思い描く寺崎にとって、TYPICAはあくまでも通過点だ。視線の先には「コーヒーの魅力や楽しさを生活者に届けるためにハワイで観光農園をやる」という目標がある。
「ハワイにはたくさんコーヒー農園があるのですが、継ぎ手がいなかったり、耕作放棄地になっていたりと問題を抱えています。やろうと思えば今すぐにでもやれるけれど、まずはTYPICAが掲げる『2030年世界一』の目標を実現させるために、世の中のコーヒーの水準をもっと高めたいなと。スペシャルティコーヒーが当たり前に飲まれている世の中を見てみたいんですよね。
QCとして目指しているのは、2027年までにカッピング技術を競う大会『カップテイスターズ』で世界一を獲ること。一つ一つのカップと向き合ってきた成果を測る指標になりますし、信用度も高められると思っているからです」
QC=品質管理といえば、どこかに閉じこもって黙々とやる仕事で、社会との接点は少ないイメージがある。だが、そこで形作られ、顧客に届けられるコーヒーの確かな“情報”は、生産者やテロワールなど、一杯の背景を知る手立てとして彼らの味覚へと働きかけていく。その意味でもQCは、れっきとした「媒介者=メディア」なのだ。
「パティシェ時代から思っていたのは、自分の色を入れて食材のよさを消したくないということ。だからスターバックスでも、『寺崎さんが焙煎したからおいしいんですね』と言われたら失敗だと思っていた。食材そのものの味を楽しめる方が、生活者の人たちも想像を超える食体験を得やすいと思いますから」
写真:Kenichi Aikawa(※1を除く)