「特命全権大使 米欧回覧実記」を読んだ。
この本は、岩倉使節団に関する話。約150年前、日本政府の中枢メンバーが欧米諸国を世界一周して、1年10ヶ月旅したというとんでもない話の記録です。
一部のメンバーが欧米を視察するだけの話が、おれもおれもとなり、大きな使節団になったのが、岩倉使節団らしい。また、元々14ヶ国を10ヶ月で周る予定が、1ヶ国目のアメリカから予定を大幅にオーバーして滞在。留守政府に「はよ帰ってこい!」と怒られて、渋々、1年10ヶ月で帰ってきたのが、この使節団。自由すぎる。。(怒られてなかったら、スペインとポルトガルも訪問予定だったらしい。)
しかも、使節団が出発したのが、1871年12月。歴史の授業で有名な廃藩置県は1871年8月なので、たった4ヶ月後。国内はバタバタしていて、絶対もめている時期です。
ちなみに、日本政府の中枢メンバーが主体となる使節団の平均年齢は32歳。
150年前は、政府の中枢を自分と同世代が担っていたというだけで、大きく刺激を受けます。
<使節団TOP5とその出発当時の年齢>
特命全権大使 岩倉具視(47)
副使 木戸孝允(39)
副使 大久保利通 (42)
副使 伊藤博文(31)
副使 山口尚芳(33)
*使節は計46名。
著者の久米邦武がスゴすぎる
今回のnoteでは、この記録の著者である久米邦武を取り上げようと思います。出発当時、33歳の久米邦武は大使随行として使節団に参加し、その記録を著しています。
本の内容がおもしろいのはもちろん、とにかく久米邦武の見識の深さがすごすぎる。その上、著述されている分野が本当に幅広い。(地理、宗教、教育、産業、文化、芸術、農業、歴史、古典・・・・) さらに、使節団の忙しいスケジュール、慣れない海外生活、通訳介してのコミュニケーションでここまでのクオリティの記述ができるのかと圧倒されます。
そんな傑物久米邦武の言葉をいくつか紹介したいと思います。(もっと紹介したい部分があるものの、宗教や人種、文化などの捉え方が一部分を抜き出すだけでは、誤解を招く必要があるので、紹介は自粛しています。できれば本著を手にとっていただけたらと思います。)
150年前の時点でアメリカの民主主義を批判的にみている
欧州諸国の君主制と対比し、アメリカ国民は熱烈に自国の民主主義を誇りにしている。だが、この制度が完全無欠という訳ではなく、どの政治体制が良いかということは一概に言えない、政治学の専門書などを研究して慎重に判断すべき。
150年前に、ここまでの世界を見通しているのがすごいです。これは一例ですが、本書の記述は一貫して、表面的な記述がありません。歴史背景などをベースに、あらゆる視点から丁寧に考察されています。
リヴァプールで見た荷役用ドックから政治に想いを馳せている
水上輸送の拠点にはドックを、陸路輸送の拠点には駅や市場を設けるというのは貿易国の人々が共通して重視するところである。西洋人は常に孟子の言う「商用の旅人は市場にきちんとした蔵があることを望む」という格言に忠実なのである。
(中略)
商業活動が皆で協力しあって、規律正しく、売買に融通をきかせれば必ずや貿易は盛んになるのだからドックを設ける費用を惜しんだりしないのである。そのように市民たちが一致協力するためには普段からよく申し合わせをしておかなければならないので貿易地では合議によって行政府を運営するのが肝要である。それで西洋の都市は自ずと共和国的になっていく。
なぜ、気軽に孟子を例に出せるのか。ただドックを見ているだけなのに、商売の興隆の仕組みから、政治体制の成り立ちまでを見通しています。1を見て、100を掴んでいます。
初等教育の重要性を科目ごとに詳しく語っている
人には生まれれば必ず言葉を使うという本能が備わっているのであり、それでその国の言葉を教えてやる、これが国語学である。
言葉を覚えるにつれてそれを書く術を教えてやる、これを文法学という。
文字は意味を伝えるが、物の姿を描くことはできない。言葉で言い尽くせない場合に手まねをするように文章で書き尽くせないものは図画で伝える、そこで図画を学ばせる。
数より大きな人生の宝はない、これは一生用いるもので必要不可欠である、そこで数学を授ける。
人はその家に生まれれば家系を知らないで済ます訳にはいかない。同様に、その国にうまれればその歴史を振り返り、国の由緒より今日に至るまで文明開化の次第がいかなるものなのか知らないで済まされない、それで国史を教授する。
人は世界を家とし、万国と行き来してその物産を利用することで事業を行う、それゆえ世界の地理を教授する、特に国内の関係は外国との関係より一般には関わりが深く重要である。それゆえ地理を授けるには国内地理を詳しくして外国は略して構わない。
人は空気の中に住み、万物を利用して暮らしを立てている。その理由、利用する訳を知らせないで済まされない。そこで一般理学を授ける。
歌を歌って心をのびのびとさせるのは人間性の自然である。これを指導して発揮させてやらなければ心が枯れ細って病んでしまう。唱歌の学も授けないわけにはいかない。
これら八つの科目はいずれも人として心得ないでは済まされない、また、取得したいと欲するものである。この道理に従って教育方針を定め、倦まず弛まず、喜んで課業に励むようにさせるのが教育の本来の趣旨である。
また、これ以外にも体育があり、健康を維持する仕方を教える。さらには、もう一つある。これは必ず外してはならないものだが、八つの科目とは別種で修身学と言い、八つの科目の要として終生守るべき品行に関わるものである。
スウェーデンの教育現場視察でまとめた久米邦武の教育論の一節。(個人的にも心に残った一節) 視察のまとめのクオリティが高すぎます。八つの科目に加えて、体育と修身学の重要性についても触れており、久米邦武の見識の深さに圧倒されます。
スゴイ人と自分との違い
今の時代に、この著書を置き換えると、海外出張レポートになるのだろうか?
そう考えたとき、”自分がもし著述する立場だったら”と想像すると、1ミリもできる気がしない。それは著述されたようなことを自分が感じることすらできないからです。
つまり、すごい人と自分との違いは同じものを見ても、同じ体験をしても、感じ取れるものが違うということです。もちろん、感じ取れるものが違えば、アウトプットの質も異なります。例えば、学校でも同じ先生の授業を受け、同じ宿題を出されているのに、人によって、成績は全くもって異なります。
感じるメカニズム
事象
↓
自分の引き出し(フィルター)
↓
感じ取るもの
簡単に、感じ取るまでの流れを図にすると、自分の引き出しを通って、その事象を感じ取ります。なので、自分の引き出し(フィルター)次第で、感じ取れるものの幅やクオリティが決まります。
学生時代に、経営戦略のゼミにいましたが、そのときに読んでいた本をもう一度読むと、そのときに感じなかった気付きがあり、より内容が理解できます。それは社会人として、事業に向き合った経験から自分の引き出しがアップグレードされたからだと思います。
良い自分の引き出しを持つには?
では、自分の引き出しを豊かにするには、どうすればいいでしょうか?
単なる経験の積み重ねに頼ることだけではなく、どうすれば良いかを考えて、3つのポイントに整理してみました。
1. 見識をもつこと
見識とは、事象を深く見通し、本質を捉えることです。
(思考については、以前のnoteで触れているので、そちらを参照ください。)
自分のために、自分の頭で考えよう。|朝田 浩暉 (Hiroki Asada)|note
なぜ、知識ではダメで、もう一段上の見識が必要かというと、知識レベルでは、感じたもののクオリティが低いからです。このクオリティが低いと、異なる分野と連動して、感じることができないです。久米邦武がドックを見て、政治体制の成り立ちについて語っていましたが、ただの知識では、そこまで考える力が及ばないのです。
2. 見識の幅を広げること
例えば、世の中では、MBAだ、ビジネス書だ、プログラミングだとスキル面が重要視されています。こういった実学中心の場合、見識の幅が狭いように感じます。地理、宗教、教育、産業、文化、芸術、農業、歴史、古典・・・・など幅広い見識を持っていた久米邦武が感じ取れる世界に対して、圧倒的に劣ります。
純粋な好奇心が、見識の幅を広げるきっかけになります。好奇心があれば、問いが生まれます。その問いについて、考える癖のある人は、総じて、見識の幅が広いように思います。また、好奇心を刺激するためには、日常におけるワクワクや新しい環境へのチャレンジが大事です。
スティーブ・ジョブズの有名な演説が、好奇心で見識の幅を広げた好例です。
3つの話の1つ目の話、”Connecting the dots”の話です。大学時代に、興味をひかれ、学んだカリグラフィーが、Macのキレイなフォントや哲学に繋がっているということは有名な話です。
3. 感じる力が強い人から学ぶこと
感じる力の難しいところは、自分の感じる力が強い・弱いかは自覚症状がないことです。だからこそ、感じる力が強い人から学ぶことが大事です。
私の20代での実体験ですが、尊敬するマレーシア人の上司がいました。その人の視点から見える世界(事象をどう見ているか)を貪欲に学び、吸収したことが今でも自分の引き出しとして役に立っています。
今も、感じる力が強いと思う人に、フィードバック(苦言)をもらうようにしています。素直に人の苦言を聞けないタイプなので、耳と心が痛いですが、自分の引き出し(フィルター)をアップグレードするには非常に大事です。
感じる力を一歩づつ身につけていく
久米邦武が"進歩"について語った一文と共に締めくくろうと思います。
"どの国にしても、その発達の根源から見ていくならば急に勃興したものなどない。先に知識を得たものがこれを後世の人に伝え次第に進むのだ。それを名付けて「進歩」というのである。"
どの分野、どの仕事でも、感じる力がある人は本当に強いです。一方、感じる力が強い人と比較して、私はまだまだ弱いです。"進歩"の余地がまだまだあります。
"進歩"の一節にあるように、個人も会社も何もない状態から、急に何かができるようになる、成功するということはないです。だからこそ、一歩一歩を大切に積み重ねていきたいです。