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"想いのこもったロゴを世界へ" その1

我々が6月に創業した"Baridi Baridi"のロゴが遂に完成しました!
(発表したくてウズウズしておりました。)

グラフィックデザイナー兼写真家として活躍される山西崇文さんにロゴのデザインをしていただきました。ロゴ制作について、とっても素敵な文章を寄稿いただいたので、今回のnoteでご紹介したいと思います。("その2"という形で、私の想いも別記事で書いております。)

       ざわめいてときめいた、
        僕のデザイン奮闘記

    山西崇文 (グラフィックデザイナー)

ここ1ヶ月、僕は、“ざわめき”と“ときめき”とを胸中に渦巻かせながら、ある会社のロゴデザインに没頭していた。得がたい気分で過ごしたこのロゴデザインに関して、偽らざる気持ちを文字に残しておこうと思う。

“ざわめき”の発端。

ある日、朝田がタンザニアで起業したことをFacebookで知る。まぁコトの発端であるこの発表を目にし、おお~っと、ざわめいたわけだ。
しかし、“ざわめき”という気分の中には、表裏浅深織り交ぜた立体的な感情がある。それを紐解くことで、ロゴが完成するまでのデザインプロセスを振り返ってみよう。

あ、ここでひとつお断りを。
社長の朝田氏を朝田と呼び捨てにするのは、僕がかなり年上なこと、知り合った時からの慣例、社長になっても僕の態度は(いい意味で)変わらないよ、というメッセージを込めてのことです。悪しからず。

1. “ざわめき” 表の浅い理由。

友人の起業という出来事に対しての、おめでとうな気分。頑張ってるなぁという喜びの気分。挑戦している姿へのエール。まぁ、素直な反応だね。

2. “ざわめき” 表の深い理由。

起業の経緯や決意を記した彼のnoteに、それは明記してあった。

>異国の地で創業を決めたのは、この事業を育てることによって、私が思う世の中の「おもしろくないもの」を "明るく" ぶっ壊せると思ったから。

すっかりバビロンの門をくぐってしまったと思っていた彼が、こんなことを言っているのだ。そして、こんなことも。

>私が「おもしろくない」と感じるのは、「いま」の「経済的な利益」というきわめて限定的な価値を重視するあまり、他の豊かさを犠牲にするというあり方でした。

ふむふむ、全くもって完全無欠に同感なのである。

ここで、自己紹介や朝田との出会いなど、軽く触っておこう。割と重要なので。

僕はグラフィックデザイナーとして、しがなき日々を送る者だけど、20年ほど前のある日、海外に出かけては写真を撮って文章を書くことを勝手に始め、そのうち、写真展をしたり、たまに雑誌に掲載されたりするようになっていった。

そんなある日、僕と朝田は出会った。8年ほど前の話だろうか。当時の彼は、ウイグルを馬で周るような旅をして写真を撮っていた。僕らはウマが合い今に至る。ゆえに彼は、僕をデザイナーとしてではなく、旅と写真の人として認識しているはずだ。

そのうち彼は結婚し、父親になり、就職しアメリカへ赴任し、気づけばここ数年はたまにFacebookで目にする程度になっていた。だから、noteのあの言葉を読んで、彼の根っこが変わっていない事が、ほんのり嬉しかったのだ。

3. “ざわめき” 裏の浅い理由。

なんだなんだ、いきなり社長かこのヤロ~!ヒュ~ヒュ~!ってな感じだね。羨望には軽微な嫉妬が付き物だ。

4. “ざわめき” 裏の深い理由。

しかし、深い場所では、結構ややこしい感情でざわついていた。

この裏の感情は、僕の、旅をして写真を撮る人間としての感覚によるものだけど、つまり、かつてハードな旅をして写真を撮っていた朝田が、根っこは変わってないとはいえ、すっかり企業人になっていたこと、そして、それがタンザニアの人々を助けると言う大義めいたものを掲げていたということが、どこか引っかかっていたのだ。

僕は、初期の旅であるマダガスカルやザンジバル島(まさにタンザニア)で、世界を見る目が180度変わってしまった。まぁその経緯は端折るけど、一言でいうと、みんなむちゃくちゃいい顔で暮らしていたのだ。悲惨と貧困の代名詞と刷り込まれていたアフリカで、僕らよりよっぽど人間らしくいい顔で生きてる…。これは、衝撃だった。

それは、自分の暮らす世界を見直すきっかけとなり、以来、彼らの住むあちら側と、自分たちの住むこちら側とに分けて考えるようになった。

様々に巡らせた世界の在りようへの思いは、おそらく多くの人とは真逆で、彼らを救うべき対象としては、一度たりとも見たことがなかったし、あちら側と定義した世界を、ある種の正しさをたたえた人間らしい理想郷として、眩しく思っていた。

ザンジバル島を旅していた当時、スローライフやスローフードなる言葉がキノコのように湧き始めていて、その言葉の内包する傲慢さにも辟易していた。

「ゆっくり飯食ってイライラするような生き方をしてるオレたちが、何がスローだ!」

美しいインド洋を滑るように進むダウ船(伝統的な木造帆船)の上で、風と人間の知恵との共生が生み出す心地よいスピード感に痺れながら、そう叫んでいた。

スローな世界をものすごいスピードで侵略搾取征服して今の世界を手に入れたくせに、破壊し奪い取ったその「スロー」まで欲しがるなんて…、そう憤っていた。

いい顔で日々生きてる別世界を、そこで巻き起こる問題の主犯である僕らの世界が救う?むせ返りそうな思い上がりに、窒息しそうじゃないか!

結果、僕は写真を撮る人という傍観者として停滞していた。見るだけの野次馬には、足を着けるべき地面がない。

だからこそ、かつては世界への思いにある程度の一致を見たはずの朝田のタンザニアでの地に足の着いた起業が、自分の奥深くをかき回し、“ざわ”つかせていたのだ。

“ときめき”の炎

そんな折、舞い込んできた朝田からの、コーポレートロゴのデザインコンペへの参加依頼。これは、デザイナーとして素朴にときめいた!
とは言え、厄介なことに、写真を撮る人としての自分が消えるわけじゃない。朝田の力にはなりたいが、タンザニアの人々を助ける側にまわることへの葛藤は当然ある。
コンペへの参加は、自分の中での整合性を欠いてはいたけれど、朝田のnoteの言葉が、背中を押した。

グラフィックデザイナーと写真家、あえて切り離すことで正気を保っていたようなところがあるけれど、妙なこだわりを捨てて総力戦で立ち向かわなければ、求められているデザインに到達できないんじゃないか?
そう思った僕は、ある感情のレベルを調整することにした。“思い詰め”のボリュームを下げたのだ。コレを上げすぎていると、勇ましさで気分はいいが、妙な主義や思想を生み出し、それは当然、周りにはただ喧しいノイズでしかない。

僕は、旅で衝撃を受けすぎてしまっていた。世界を見るアングルがガラっと変わったと同時に、視野を狭めてもいた…、のかもしれない。下劣な欲望でだらしなく膨れきった僕らの世界が、あちら側を穢さないよう、頑なかつ勝手にサンクチュアリ化していたのだ。

さすがにそろそろデザインに関しても、語ってみよう。

社名のBaridi Baridiはスワヒリ語で、直訳すると「冷え冷え」となる。朗らかなユーモアを醸しつつ、言葉の繰り返しが南国チックで楽しい。

即座にアフリカンなアイデアが広がるが、アフリカっぽさは既に社名に織り込み済みということで、デザインには不要だと言う。う〜、正直それはかなりの痛手だ。
であれば、意味の「冷え冷え」にフォーカスして、日本らしさを出してみてはどうだろうか? 日本発のビジネスだし、日本語のカタチは外国では人気だ。外国人にはただの模様でも、日本人には意味を伴って目に映る馴染みのフォルムをリデザインするのは、悪くないだろう。

そうして、仕上がった「ひえひえ」モチーフのロゴは結構イケてて、最初のプレゼンを本命候補として通過した。

しかし、意気揚々とブラッシュアップに取り掛かったものの、あっけなく行き詰まってしまう。
極力シンプルにデザインしたつもりだったが、わかりやすく目立つというロゴ本来の役割に対しては、まだまだ複雑すぎたのだ。ちょっと遠目に見れば、もう何が何だか…。結局のところ、プレゼン映えするだけのデザインだったわけだ。あれこれ弄り回してみたものの、結局どうにもならない。

僕は、デザイナーとしての良心で、その案のボツを決意した。
ただ、通過した案を投げ出して「ごめんなさい」では許されない。可能な限りのブラッシュアップを施した上で、葬る以外にないことを示し、さらに新案を加えることにした。

涼しい風、新しいビジネスモデル、エコ、サスティナブル、エシカル…、溢れ出すキーワードを束ねるたった一つの『解』。まるで数学者にでもなった気分だ。

風そのものをデザインしよう!

正直な話、それは初めから思っていた。エアコンだし、冷え冷えだしね。ただどうにもこうにも、やりあぐねていた。ろくなカタチが描けず何度も投げ出した。だが、漠然とした答えに向かうには、しつこくもがくのみだ。

ある何かが風に揺れてるイメージ。ダイナミックに舞うというより、軽やかに揺れる…、旗でも、タオルでも、単なる布でもなく…いくつもの線が徐々に定まり、そして…

二度目のプレゼン。

僕は、まずロゴを見せ、こう言葉を添えた。

答えは、風の中に。

その場所にしか吹かない風を感じ、
自分たちにしか起こせない風を吹かせる。
風は自由で平等だ。

軽やかで豊かに、新しい風の時代へ!
New/03
風になびくリボンで世界を繋ごう! Go Go!
それは、あなたへの素敵なギフト。
もしもリボンがあなたの目に、
冷え冷えの「ひ」に見えたら、
明日は、ホームラン!

なぜか最後は、懐かしい吉野家のCMの決め台詞でキメた!

ざわめき、ときめき、そして、ひらめきの先へ!

長い間、僕は、世界をあちら側とこちら側に分けることに取り憑かれていた。けれど、贈り物なら誰が誰にしたっていい。
リボンが軽やかに舞うような、涼しく心地よい風をプレゼントする、そんな気持ちなら、誰にでも受け取ってもらえるんじゃないだろうか。

地球は回り続け、世界は変わり続け、僕らはもう作用しあって生きている。隔たれた世界も別世界も、もはや存在しない。
貧困の撲滅でも、独りよがりなボランティアな気分でも、搾取や侵略でも、布教や世界征服でもなく、ちょっとしたプレゼントを贈る気分で軽やかに繋がろう!

これはたぶん、自分へのメッセージでもある。
写真とデザインをめぐる僕の旅も、アップデートの時が来たのだ。

かつて、東アフリカ沿岸部とアジアとは、風で結ばれていたという。
人々の往き来の積み重ねが、やがてスワヒリと呼ばれる文化を育んでいった。その風は、変わらず今も吹き続けている。

しばらくしたら、再びタンザニアを訪れてみよう。
20年ぶりにその風に吹かれてみるのも、悪くないアイデアだ!

Asante!

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