「看板を外した自分は、何者でもなかった。だからこそ、誰かが敷いたレールを歩むのではなく、すべての意思決定を自ら下す“事業家”としての道を選んだんです」
そう語るのは、Golden Hour株式会社の代表取締役、小木曽(おぎそ)さん。20代で友人たちと起業し、わずか2年でグループ売上10億円規模への急成長を牽引。その中核企業として設立されたGolden Hourでは、マーケティング支援と経営コンサルティングを展開し、「事業家集団」としてクライアントの課題解決に取り組んでいる。
今回は代表の小木曽さんに、キャリアの転機となったエピソード、グループから独立した真意、そしてGolden Hourが描く組織の未来図について話を伺いました。
小木曽 継 / 代表取締役
2018年慶應義塾大学商学部卒業。株式会社じげんにてメディア営業に従事し、その後、株式会社リブ・コンサルティングへ転職。中堅・ベンチャー企業向けの経営コンサルティングを行う。その後、友人らと共に起業し、同グループ内でGolden Hour株式会社を設立。後にMBOを経て独立。現在は広告代理店事業、美容医療事業、アパレル事業を行い多角的な事業を展開している。
「選択」しているつもりだった。看板を外して初めて知った“自分の現在地”
ーーまずは、小木曽さんのキャリアの原点を教えてください。
原点は、大学時代の就職活動で思うような結果が出なかったこと、そしてそこに至るまでの自分自身の「甘え」への気づきにあります。
私は東京都港区出身で、父は住宅展示場の開発/運営事業を行う会社経営者でした。小学校から慶應義塾の一貫校に通い、学校の教育方針である「独立自尊」のもと、幼い頃から常に「自分で選択すること」を求められてきました。例えば、小学校の給食もビュッフェ形式で好きなメニューを選べますし、修学旅行の行き先さえも「ニューヨークかボストンか」を生徒自身が決めるような環境だったんです。
ーー幼少期から「自分で選ぶ」環境で育たれたのですね。その後、大学時代はどのようなことをされていたのですか?
大学はそのまま商学部に進学しました。もちろん経営やビジネスの基礎は学びましたが、当時の熱量の矛先は勉強よりも「課外活動」に向いていました。体育会ボクシング部での活動に加え、プライベートでは六本木のクラブでDJをするなど、学生生活を存分に楽しんでいたんです。クラブシーンを中心に社会のさまざまな人と接点を築き始めたことで自分の経歴と立場が武器となり、社会に1歩1歩が近づいていると錯覚していたんです。
ーー今振り返ってみて、当時のご自身をどう思われますか?
正直なところ、それは「用意された恵まれた環境(柵)」の中で自由に動き回っていたに過ぎなかったんです。自分で歩むべき道を選択しているつもりでも、結局は敷かれたレールの上で、心地よい選択肢を選んでいただけだったのだと思います。
ーー当時は順調だと思っていた中で、就職活動での評価はいかがでしたか?
結論から言うと、一つも内定が取れず、「自分は何者でもない」という厳しい現実を突きつけられました。
当時は「就職に有利だから」とボクシング部に所属し、「慶應で体育会なら、商社や大手広告代理店などの王道コースは間違いない」と高を括っていたんです。
しかし、現実はシビアで周囲の友人が次々と名だたる企業の内定を決めていく中、私だけが秋口までリクルートスーツを着続けていました。自分のスキルやマインドセットではなく、ただ「持っている肩書き」だけでどうにかなるだろうと、エスカレーター式の人生に甘えていた自分を直視させられた瞬間でした。
ーーそこから、どのようにして「実力主義」へと舵を切ったのですか?
秋口まで時間をかけて徹底的に自己分析を行いました。同じ道を歩んできたはずの仲間たちと、これだけ社会的な評価にギャップが生まれてしまった。その事実を重く受け止め、「自分に価値をつけて、証明するしかない」。それが最初の動機でした。
そんな中で出会ったのが、「事業家集団」というコンセプトを掲げていた株式会社じげんです。彼らが定義する「事業家」とは、単なる優秀な従業員ではありません。強い当事者意識を持ち、自律的に課題を見つけ、事業という解決策を創り出す存在です。
創業者の平尾さんをはじめ、当時20代で上場を果たすような起業家たちが、凄まじいスピードで「コト」を成している。その姿を見て、「ここなら、レールに乗る側から、レールを敷く側へ回れる」「すべての意思決定を自ら下す『事業家』として、自分を鍛え直せる」と確信し入社を決意しました。
じげんで得た「物差し」。「PL脳」と「仕組み」を知る
ーー株式会社じげんでは、どのような経験をされたのでしょうか?
徹底した「PL脳」を叩き込まれました。当時の会社は、社員全員に所属部門のPLを開示していました。何にいくら費用投下をしているのか、最終的にどれだけの利益が残っているのか。刻々とすぎる時間がどの数字にヒットしているのか全て可視化されていました。
そのため単なる「営業担当」という枠に留まらず、「自分というリソースをどう運用すれば、事業に最大利益を残せるか」という事業運営の当事者意識を常に求められていました。この、逃げ場のない数字の厳しさに徹底的に向き合った経験こそが、現在の「事業家集団」としてのスタンスの基礎になっています。
ーー非常にシビアな環境だったのですね。
はい。そしてもう一つ、今のGolden Hourの構想に繋がる大きな学びがありました。それが「事業家を輩出するエコシステム」です。
じげんでは、M&Aを通し新たな事業が次々と立ち上がることで、それと同じ数だけの「社長・事業責任者の椅子」が生まれていました。「事業が増えれば、経営の座席が増える」。この、人を「事業家」へ変えていく構造こそが、組織を強くし続ける秘訣だと肌で学んだんです。
コンサルで得た、独自の解と決断する覚悟
ーーその後、コンサルティング会社へ転職されていますね。じげんでの学びを経て、次はどのような力を求めたのですか?
じげんで「数字(PL脳)」と「仕組み(エコシステム)」への意識を学んだ後、より「経営」の全体像を掴むためにリブ・コンサルティングへ転職しました。そこで学んだのは、データやフレームワークだけでは通用しない「独自の解釈」の重要性でした。
現代は検索すればある程度の仮説(仮の答え)が出る時代です。その中でコンサルタントに高い報酬が支払われる理由は、データにはない「独自の着眼点」や「事業価値観」を提示できるからこそ。「この人と話していると面白い」「自分たちでは気づけなかった視点をくれる」。そう思わせる独自の仮説と見解こそが価値なのだと学びました。
ーーそこから起業に至った決定的なきっかけは何だったのですか?
コンサルタントとして多くの経営者と向き合う中で感じた、「もどかしさ」です。
多くの経営者は「売上を上げたい」と口を揃えて言いますが、実際に大きな投資やリスクテイクの決断を下すことはさほど多くありません。「正解への道筋は見えているのに、意思決定が進まない」。そんな場面に直面するたびに、「自分でやったほうが早い」「自分でリスクを背負って、理想のスピード感で事業を作りたい」という想いが抑えきれなくなったんです。そうして、学生時代の全く異なるバックグラウンドを持つ友人たちと4人で起業を決意しました。
すべてを統合した「事業家集団」の実践へ。なぜ「美容医療事業」が、多角化を見据えた最も合理的な選択なのか。
ーーP&G、キーエンス出身の仲間と起業し、2年で売上10億円へ。その後、「独立」という道を選ばれています。その真意は?
一言で言えば、「選択と集中」そして「意思決定のスピード」を求めたからです。当時の体制は役員たちによる「合議制」に近い経営スタイルをとっていました。多様な意見が出る良さはありましたが、一方で「誰が何を決めるのか」が曖昧になりやすく、意思決定のスピードがどうしても遅くなってしまう側面がありました。
私たちが目指すのは、あくまで「事業家集団」です。そのためには、満場一致の合意を待つのではなく、即座に決め、動く組織でなければならない。グループという大きな船を降り、あえて「独立」という道を選んだのは、この意思決定のスピードを最優先したかったからです。
ーー「事業家集団」を目指す中で、最初の事業領域として「美容医療」を選んだ理由は何ですか?
美容医療そのものが目的ではなく、多角的に事業を展開する企業を作るための「最も合理的な一歩目」だったからです。まず、あえて不確実な新規事業から入るのではなく、再現性が高く、早期から盤石な収益基盤を築ける事業モデルを選択しました。確実なキャッシュエンジンを構築するためです。
中でも美容医療を選択したのは、マーケティング予算の規模が大きく、戦略的な介入余地が大きい領域だと判断したためです。実際に介入することで、グループの活動原資となる資金を安定的に創出できる構造を、早期に構築できると考えました。
また、市場は未成熟で情報の非対称性が強く、マーケティング手法も確立されていません。真面目に医療に向き合い、確かな技術を持っているけれど、ビジネスや発信が苦手なドクターたち。ここに、私たちが「経営のプロ」として入り込む意義があります。市場の歪みを正し、適正な経営支援を行うことは、業界全体の健全化にも繋がり、かつ私たち自身の事業成長も最大化できる。全てのステークホルダーにとって合理的な選択だったのです。
ーーそうしたカオスな市場において、Golden Hourはどう戦っているのですか?他社との決定的な違いを教えてください。
決定的な違いは、「売るものが決まっていない」という点です。私たちは特定の広告枠やツールを売る販売店ではありません。クライアントにとっての正解が広告ではないなら、オペレーション改善でも、採用戦略でも、何でも提案します。
だからこそ、メンバーにはクライアントよりも高い視座を持ち、「鳥の目・虫の目」を行き来しながら事業をリードする姿勢を求めています。それは単なる数値管理に留まらず、「もし自分がこの会社の経営者だったら、今どう判断するか」というレベルまで、相手の事業に深く感情移入するということです。
目の前の成果だけでなく、その先にある会社の未来にどう貢献できるか。クライアントの経営判断そのものを「自分事」としてシビアに見つめる視点こそが、私たちが提供できる最大の価値だと考えています。
また「自分だけの仮説」もメンバーには求めます。先ほどもお話しした通り、検索すればある程度の仮説(仮の答え)が出る時代において、ただの情報の羅列には価値がありません。私が学んだ「自分なりの視点がないと、プロとして高い報酬はもらえない」という教訓を、Golden Hourのメンバーにも求めています。
「なぜ、あなたがその提案をするのか」。データや定石だけでなく、そこに担当者としての価値観や独自のストーリーが乗っているか。その「解」へのこだわりこそが、AIや他社との代替不可能性を生むと考えています。
美容医療の、その先へ。事業を作れる人間が、最強の組織を作る
ーー最後に、今後の展望を教えてください。
まず直近の2〜3年は、現在の主軸である「美容医療マーケティング支援」と「自社クリニック運営」の2事業に経営資源を集中させ、収益基盤を盤石なものにしていきます。私たちは今、無作為な事業の多角化よりもまず足腰を固め、堅実かつ緻密にビジネスを積み上げていくフェーズにあります。
この期間に真正面から向き合うのは、情報の非対称性が強く、いまだレガシーな慣習が残る美容医療市場の構造的な課題です。市場の歪みを是正し、確かな技術を持つクリニックに対して、プロとしての経営・マーケティング支援を行う。「業界の健全化」という大義を果たしながら、強固な財務基盤と再現性のあるマーケティングナレッジを蓄積していくことが、今の私たちにとって最も重要だと考えています。
その上で3年後以降からは、ソリッドベンチャーとして事業領域を多角化していきます。私たちが目指すのは、既存の確立された市場の中で事業を横展開していくことではありません。これまでに培ってきた「当事者として事業を立ち上げ、推進しきる力」を武器に、スタートアップ・ベンチャーとして新しい市場に挑み続けることです。
医療というドメインに固執するつもりはありません。
勝てる場所で事業を創り、メンバー一人ひとりが事業家として実力を証明できるフィールドを、意図的に増やしていきます。
ーー未来の仲間へ、メッセージをお願いします。
私たちは、マーケティング支援を行う経営パートナーでありながら、自らもクリニック運営という事業の当事者であり続けています。「受託」と「自社」という二つの立場を行き来しながら、机上の空論ではなく、現場で成果を出すことにこだわってきました。
ただし、私たちは単なる代理店でも、運営会社でもありません。Golden Hourが本気で目指しているのは、メンバー一人ひとりが“事業家として自立できる集団”であることです。誰かに与えられた正解をなぞるのではなく、自ら問いを立て、事業として形にし、最後までやり切る力を身につけてほしいと考えています。
今の自分にどこか物足りなさを感じている人、現状に安住せず、本気で成長したいと願う人にとって、Golden Hourは最高の成長環境になると約束します。
正解のない問いに向き合い、泥臭く考え、実行し、結果で語る。
決して楽な道ではありませんが、その分、得られる成長の密度は高い。
事業を創る側の景色を見たいなら、ここにはそのチャンスがあります。
覚悟を持って挑みたい人と、私たちは一緒に未来をつくりたいです。