AIが答えを出し、絵を描き、文章を書き、仕事を効率化する。では、人間は何をすればいいのか。私は、遠回りやくだらない会話、意味のないことに熱中する時間こそ大切になると思っている。
AIが目的地までの最短ルートを教えてくれても、あえて一本裏の道に入ってみる。そこで見つけた変な看板がデザインのヒントになったり、知らない店の店主との会話から新しい企画が生まれたりするかもしれない。目的地に着くためには必要なくても、自分をつくるためには必要だった道がある。私は、そんな道を「余道」と呼びたい。
私は中学校で美術を教えていた。同じ絵を見ても、綺麗だと思う人もいれば、気持ち悪いと思う人もいる。どちらが正解ということもない。その感じ方には、一人ひとりの価値観や生きてきた過程が表れるからだ。
判断は早い方なので、教員は半年で辞めた(笑)
教員を辞めた理由の一つは、その人の価値観や生きてきた過程に、他人が評価をつけることへの違和感が消えなかったから。一本の線や選んだ色の背景には、その人にしか分からない記憶や感情がある。作品を見て何も感じないなら、それも一つの答えでいい。宿題を親が代わりにやってきても、そこに愛があるなら、それも素敵なことだと思ってしまった。その人のすべてを知っているわけでもない誰かが、限られた観点から価値をつける。その立場にいることが、どうしても心地いいとは思えなかった。
だから授業では、「上手に描く方法」よりも「あなたはどう思う?」を大切にしていた。りんごを上手に描く方法なら、AIにも教えられる。でも、なぜ青く描きたいのか、なぜ半分だけ描きたいのかは、その人の中にしかない。「なんか好き」「なんか嫌い」という曖昧な感覚にこそ、その人らしさがある。
AIは完成した絵を生み出せても、何度も消して悩んだ時間までは生み出せない。結果はAIでもつくれるが、失敗して恥をかいたことや、悔しくて眠れなかった夜、誰かと笑い合った時間は、その人だけのものだ。
効率も合理性も大切だけど、それだけでは人間はつまらなくなる。会議室で出なかった企画が、帰り道のくだらない会話から生まれることもある。無駄を増やしたいのではなく、無駄に見えるものを最初から捨てたくない。
AIで仕事を効率化するのは、人間まで効率化するためではない。生まれた余白で遊び、迷い、面白そうなことに本気になるためだ。
死ぬ間際に思い出すのは、効率よく終わらせた仕事ではなく、誰と笑い、何に夢中になり、どんな余道を歩いたかだと思う。人生を埋めるのは予定でも、人生に残るのは余白。私はAntraceを、そんな余白から新しい価値が生まれる会社にしたい。