こんにちは!Antraceの中村です!
今回は!この会社で(自称)一番!!髪色も性格も明るいと噂のこの僕が、
過去どういう経緯で過ごしていて、なぜこの会社に入ったのかをストーリーに書こうと思います!
生まれは鹿児島県の枕崎市という街。
「きばらんかい」という、毎年3尺玉(九州最大級)という大きな花火が打ちあがるお祭りが有名ですね。あとはかつお節といえばここ。
そんな田舎で生まれ、物心つく頃には阪神タイガースの横田選手の故郷、日置市というこれまた田舎で育ちました。
母親が音楽をやっていた!という話を幼少期に聞いたのをきっかけに、
小学校は3年間ピアノを、その後小中高で吹奏楽部でトランペットを8年間担当していました。
せっかくなら強いところいきて~!っていう理由で、
全国で約3000校がエントリーする中で、わずか30校しか選ばれない全国大会の常連校の学校へ進学。
入学してすぐに現実を知ることになるんですけど、
自分より上手い人たちがが当たり前のようにゴロゴロいる世界なので、自分が思っていたより実力の差がそこにはありました。
中学の頃とは比べ物にならないくらい他人と比較されるので、当然上手くはいかないし、悔しいと思う毎日でした。
それでもなんとかくらいつこうと、朝は始発で学校へ、早弁して昼休みも練習に当て、なんとかトッププレイヤーたちにしがみつく様に過ごしてました。
そんな感じで過ごしていたある日、
世界を揺るがした、あのパンデミックが起きました。
コロナウイルスの蔓延。
大規模な自粛が続き、音楽界の甲子園こと、吹奏楽コンクールはまさかの中止に。
全国大会の為にあれだけ必死に練習していたのに、
目標にしていたものが一瞬でなくなってしまいました。
「自分は何のために今、本気でやってるんだっけ?」
ここで頑張る理由が分からなくなってしまい、吹奏楽部を退部してしまいました。
ぽっかり空いた時間の中で、これからどうしようかと考える日々が続きました。
そんな時、鹿児島に音響技術が学べる、という専門学校があるという噂を耳にしました。
「演奏する側」ではなく、「横から支える側」の音楽ってどんな感じなんだろう?
そんな気持ちで、進学を決意。
専門学校に入ってからは、それまで知らなかった音楽の世界がたくさんありました。
ライブ、音響、照明、バンド。何もかもがキラキラして見えてました。
バンドマンとか、PAさんとか、なんかかっこいいな。
そんなワクワクしたことを考えていた中でも、コロナの影響は、当時イベント業界にも容赦なく広がっていました。
感染対策と自粛の影響で、ライブはおろか、小さなイベントでさえ次々となくなっている状況。
そんな中、鹿児島で、コロナ禍にも関わらずフェスをやろうとしているスタジオがあるという話を聞きました。
これはチャンスだろ!と思い、当時バンド好きだった友達と勢いのまま、学校の許可なくライブスタジオにアポなし突撃。
お金はいらないのでフェスの音響手伝わせてください!!と、殴り込みに行きました。
その熱意が伝わったのと、たまたま運が良かったのが功を奏し、
当時対応してくれたスタッフさんが、まさかの専門学校の担任の先生と先輩後輩の関係だった様で、
僕たちだけ特別にフェスの音響スタッフの参加させてもらえることになりました。
そこから、鹿児島のいろんな音響スタッフさんや、バンドの方々と関わる機会が増えていきました。
ありがたいことに、本当に良く面倒を見ていただいて、
現場に立たせてもらえる機会も少しずつ増えていきました。
もちろん、大変なこともたくさん経験しましたが、
自分の好きな音楽を仕事としてできてる。
これが僕にとっては何より幸せなことでした。
ただ、ここにきて人生の試練が訪れます。
「てんかん」の発作。
脳の異常な電気信号によって、突然、体がけいれんしてしまう病気を発症。
僕の場合は、てんかんの中でも症状の重い全身発作型でした。
発作のきっかけはいくつかありますが、
「強いフラッシュの光」をトリガーに、けいれん症状が出てしまうというのがありました。
ライブハウスに照明は付きもので、この病気の発症はかなり致命的でした。
この病気がきっかけに、僕は音響の仕事を続けることができなくなってしまいました。
コロナでも、てんかんでも。
自分じゃどうすることもできない問題のせいで、大好きだった音楽ができない。
落ち込んでいた時、タイミングよく音響でご縁があった方からのお話をきっかけに、
全国180店舗以上を展開している、島村楽器という楽器屋で働くことになりました。
ちょうどよかった!
ここならライブハウスのように強い照明の光もないし、力仕事でもない。
なにより、自分の大好きな音楽な仕事ができるのがすごいよかった!
自分の好きな音楽を、お客さんに伝えられる。
その人のこれからの人生に寄り添う一本の楽器を、自分の手で選び、届けられる。
最初はこんなに楽しくやりながら仕事ができるだなんて、幸せだと思っていました。
でも、仕事は仕事なんだと気づいたのはその後からでした。
実は、島村楽器の販売スタッフは営業職なので、月いくらの基準を売らなければならない、というノルマがあって。
会社として売りたい商品がある中、お客さんが本当に求めているかどうかに関係なく、自分が好きでもない楽器を勧めなければならない場面なんてざらある。
その時、自分が好きでやりたくてしかたなかったはずの音楽が、
いつのまにか「やらないといけない」に変わっていた。
その違和感がどんどん重なっていき、
あんなに好きだった音楽が、いつのまにか嫌いになってしまっていました。
結果として、うつ病と、てんかんの同時併発。
音楽も、人も、そして自分自身さえも、僕は拒絶するようになってしまいました。
お風呂に入る気力もないし、ずっと寝たきり。
当時、唯一の癒しだった音楽は受け付けなくなっていました。
雨のポツポツと落ちる音がすごく耳障りに感じるくらいには、精神が擦り減っていたのを今でも覚えています。
結構どうしようもならないくらいには追い詰められてて、命を経つ寸前の時もありましたが、なんとか止めてくれた友達のおかげで、
もう少しだけ生きてみることにしました。
とにかく今はお金がない。その日暮らしで始めたのが古着屋のバイト。
始めた理由は今すぐ楽な仕事を始めたかったから。
別に好きでもなんでもありませんでしたが、やっぱ生きるためにはお金を稼がないといけないですから。
楽な仕事で、時間通りに終わって、最低限のお金をもらう。
当時の僕にはそれで十分でした。
食べて、働いて、家に帰ってゲームして寝る。
毎日それの繰り返し。周りからとやかく言われることもない。
でも、全く未来が見えない、退屈な生活。
お金もたまらず、何も変わらないこの状況が、この何もない田舎の鹿児島でずっと過ごしていくのかなってふと考えた時、
何やってるんだろうなぁ、って思ってしまったんです。
まだ当時22歳の田舎の若者なので、InstagramやTikTokとかでよくみる、
キラキラしてるインフルエンサーとか、若者カップルとかみると、
「羨ましいな」って思っちゃうんですよね。自分もこんなふうになりたいなって。
だし、昔諦めてしまった音楽の夢を、まだ諦めきれなかった自分もいました。
この状況を変えたい!!
そう強く願い、なけなしのお金を握り締め、東京へ一人旅行へ。
東京に来てまずびっくりしたのが、まず建物が異様に多いし高いこと。
鹿児島で一番高いものといえば桜島くらいだったので、こんなに上見上げて空見えないことあるんや、、、って思ってました。
そして、近未来的に発展している街並み。
あふれんばかりの人の多さ。路上ライブをしている人。鹿児島ではまあみることのない夜の街。何してるのかわからないようなセレブの方達。
とにかく、この人たち実在したんだってくらい、いろんな人たちで溢れかえっていて、
僕が夢見ていた「東京」の景色がそこにありました。
「俺は、ここにいるべきなんだ。」
根拠なんてものはないけど、自分の中でそう強く思いました。
この街に来れば、自分を変えれるかもしれない。
そんな期待を胸に、速攻で鹿児島へ戻り、転職を決めました。
その勢いのままに仕事を探して、決まったのがAntrace。
決まった瞬間に、当時住んでた家を飛び出し、弾丸で東京へ。
そして、そこから自分のやりたいことを、もう一度叶えるために。
その想いで、今ここで頑張っています!
・一度諦めた夢をもう一度叶えたい
・頑張りたい気持ちはあるけど一歩踏み出せない
・今のこの環境を変えて自分の人生を良くしたい
そう思ってる方や、少し気になってる方は、ぜひ僕とお話ししましょう!
僕はこの環境が、本気で自分の人生を変えれる場所だと思ってます。
まずはお気軽に、お話だけでもお待ちしております!