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第三話 『前兆』-Discover JALIシリーズ-

2010年夏。我々 FAR EAST は初めてウガンダのビクトリア湖に浮かぶブッシ島 ジャリ村へ足を踏み入れた。島の対岸から木製のカヌーを漕ぎ、蓮の華が咲き乱れパピルスが覆い被さるように生い茂る水面を滑るように進み、島の入り口 ジャリ村 の船着場に着く頃、太鼓の音に合わせて歓声が響き渡り、激しく踊る島民の姿が目に飛び込んできた。この島の歓迎の挨拶のようだ。村の子供達は、初めて目にする日本人の姿が珍しいらしく、目を皿のようにしてじっと見つめており、話しかけると跳び上がって喜んだかと思えば急に恥ずかしがり黙りこくったりする。島は赤土と眼前を埋め尽くすほどの緑に覆われ、なるほどこの島が「ある意味で」豊かであることは間違いないようだ。

この村の貧困を解消すべく Muwanga兄弟 が 『Jali Organic Project』 を立ち上げたのが1995年。そして世界一といわれるウガンダのパイナップルの中でもとりわけ美味しいとされる ジャリ村 のパイナップルをドライフルーツにして国際市場で販売し、現金収入基盤としようとしたのである。はじめに井戸を掘り、清潔な水を確保した。それから工場を作り、乾燥機を運び、来る日も来る日も作業者の訓練が続き、ようやくドライパイナップルが形になってきた。商売はここからが勝負である。つまり売らなければ意味がない。しかしその後思うように海外のマーケットを拓くことができず、長らく足踏みの状態が続き月日は流れ、我々がこの島に足を運ぶまでにプロジェクト開始から既に15年が経っていた。

島を見渡しまず驚いたのは、あまりに豊かに映る島の植生であった。パイナップル、バナナ、ジャックフルーツ、パッションフルーツ、アボカド、コーヒー、サトウキビ、ジンジャー、バニラ、唐辛子のほか多種多様な植物が所狭しと自生或いは群生しているのである。しかもそれぞれの植生に勢いがあるのは、余程この土壌が豊かであり、ビクトリア湖に浮かぶ孤島ゆえ生態系が特別なのだろうか。とにかく住民のホスピタリティと一面青々と生い茂る様に「この島には金と物以外は何でもある」と思ったものである。


船着場から30分ほど歩くと 『Jali Organic Project』 の工場に辿り着く。息を呑むほどに美しい景色に溶け込むかのように佇むレンガ造りの工場は、簡素でありながら、皆の夢が詰まった宝箱のように見えた。

中へ入ると島の男女がいきいきと作業をしている。印象的であったのが生え抜きのジェーン(Jane)。彼女は15人の子を持つ母親だ。元々は首都カンパラで暮らしていたというが、兄夫婦が AIDS で命を落としたのを機に7人の実子と共にこの島へ越してきて8人の甥姪を養うに至ったという。この手の話は Jali村 では決して珍しい話ではなく、多くの孤児、未亡人が暮らしている。

ジェーン は 『Jali Organic Project 』最大のパイナップル生産者にして工場労働者の中心的存在である。工場の設備は簡素ながらも最低条件は備えている。当面の課題は、設備ではなく他にありそうだ。最初に発注したサンプルの品質は、日本市場で通用するには遠く及ばず、殊に衛生管理、品質管理、保存技術、包装技術に多くの問題点が見られた。ウガンダ国内の市場では、決して求められないスペックが日本市場では当たり前に要求される。日本で通用する品質に到達できれば、つまりそれは国際水準である。




見知らぬ東洋人が突然現れて彼らが必要と感じないことを必要だと言い、あれが駄目これが駄目と連発し改善を迫る。それでも可能性を信じ、諦めることなく、文句一つ言わずに要求に応えようとする彼らの進歩には目を見張るものがあった。手始めに虫や埃などの異物混入を根本から絶つ改築工事や作業手順に始まり、包装資材の変更、脱酸素剤の使用保管方法、保存技術、生産効率、品質安定、生産管理など彼らにとっては聞いたこともないことばかりで面食らった様子であったが、それでも諦めずに食らいついてきた結果、日本のハイエンド・マーケットで十分に通用する水準までわずか1年足らずで到達したのは予想を超える成果というよりほかない。

エフライム(Ephraim) 曰く、「何より有難いのは、我々が諦めなくなり、考えるようになったことだ。」

ーーーーー第4話へ続くーーーーー

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