弊社代表・八木澤は20代の頃、プロのDJ・音楽家として活動していました。この情報はもちろん押さえているのですが(いかんせんオフィス入り口にDJ卓がありますから)、具体的に何をしていたのかまでは深く知りません。皆さんに代表の人となりを伝えるべくこの話題を掘り下げてみたところ、アメリカ留学で生命の危機を感じたことやら、大手レコード会社からCDをリリースしたことやら、エピソードの宝庫ではありませんか。代表の波乱万丈、ご覧あれ。
みんなが楽しめる場を作るのが好き
ーー:DJに興味を持ったのはいつですか?
高1だね。先輩の家に置いてあったターンテーブルとミキサーを見て、自分もプレイしてみたいなって思った。9つ歳上の姉がダンスをしていて、その影響で昔からクラブ系の音楽には馴染みがあったんだよね。それでガソリンスタンドでバイトして、自分のDJセットを買ったんだ。14万円くらいだったかな。
ーー:最初に人前でプレイしたときのことって覚えてます?
覚えてる。高2のときにカラオケボックスでパーティーをやることになって、それがデビュー戦。5~60人くらい集まったのかな。1時間半くらいのプレイだったと思うけど、あっという間だった。
ーー:そこから一気にのめり込んでいったわけですね。
うん。今はもうなくなったんだけど、テクノで有名なクラブが地元にあって。自分でイベントを主催して、継続的にプレイするようになったんだ。
ーー:高校卒業後は音楽の専門学校に進まれたんですよね? 音楽に対する熱は冷めなかったんですか?
今もそうなんだけど、自分が本当に好きなことじゃないと性格的にできない。当時は音楽に夢中だったし、DJをしている時間に勝るものはなかったから、その道に進むことはごく自然なことだったな。
ーー:DJの何がそこまで代表を夢中にさせたんですか?
自分のセンスとホスピタリティで場を演出できること。それによってみんなが楽しんでいる姿を見るのが好きなんだ。これは性分だね。飲み会でも幹事になって場を仕切ることが多いし。自分が表立って主役になるんじゃなくて、みんなが主役になれる場を作るというか。
ーー:今の役割もそうですよね。サプライドって社員が主役になれる会社だと思っていて。
そうだと思う。会社を経営していて一番ワクワクするのは、新しいメンバーが入社する瞬間。自分が開催しているパーティーにお客様が参加してくれるような感覚なんだよね。「それでは一緒に楽しみましょう」っていう。みんなが楽しむための舞台を整えるのが社長の役割だと思ってる。
ニューヨークで磨かれた感性と人間力
ーー:専門学校を卒業された後はどういう経緯でプロDJになったんですか?
語学留学で1年間ニューヨークに行ったんだ。クイーンズっていう街にホームステイして。
ーー:当時のエピソードってあります?
ありまくりだね! ホームステイ先がアジア人のいないエリアだったから、奇異の目で見られることが多かった。しかもドレッドヘアだったし、「アジア人のくせに生意気だ」って思われてたんだろうね。生命の危機を感じたこともあったよ。街で遊んで夜中に帰ってきたら、家の前に4~5人くらいの野郎たちが待ち伏せしてたり、自転車で追っかけられたり。
ーー:そんなところによく1年も住みましたね。私だったらすぐに引っ越してますよ…。ニューヨークには日本人が多いエリアもありますよね?
あるけど、せっかくアメリカにいるのに日本人同士でつるむのはどうなのかなって思ってた。それに、ホームステイ先のアパートに住んでいたゲイのおじいちゃんが親切にしてくれたんだ。イタリア系のアメリカ人で、昔はDJをやってて。めちゃめちゃ優しくて、よく街を案内してくれたな。そのおじいちゃんを筆頭に、普通に生きていたら出会わない人たちと触れ合う中で感性や人間力が磨かれたと思う。
ーー:現地でもDJはしていたんですか?
DJでお金を稼いでいたわけではないけど、ハウスパーティーでプレイしたことはあったよ。プロになったのは、日本に戻ってから。西麻布で新しいクラブがオープンすることになって、箱付きのDJとして活動するようになった。
順風満帆な日々を送る中、音楽業界から退いた理由
ーー:どんなクラブだったんですか?
ラグジュアリーな雰囲気で、芸能人もよく来てた。キャパは500名くらい。オールジャンルのクラブだったから、ヒップホップからR&B、ソウル、ダンスクラシック、ハウス、トランスまで、音楽の引き出しをとにかく増やしていったね。
ーー:高校生の頃に描いていた夢が実現したわけですね。
忙しくて寝る暇もなかったけど(笑)。クラブでDJをするだけじゃなくて、メジャーレーベルからCDも出してたし、専門学校でDTMの講師もしてたから。
ーー:順風満帆に見えますが、音楽業界から退いた理由は何だったんですか?
色々な要因があるんだけど、一番大きかったのは人間として成長するためかな。音楽活動をやっていると、周りにDJやラッパー、シンガーが集まってくるわけだけど、本気でやっている人もいれば、カッコばっかりつけてる中途半端な人もいるわけ。薄っぺらく感じる人たちが徐々に目につくようになって、自分が同じ枠にいることに違和感を持つようになったんだ。それを機に、人生を音楽だけに絞るんじゃなくて、もっと違う世界を見てもいいのかなって思うようになって。
ーー:やり切った感覚はありました? メジャーレーベルからCDを出すってすごいことだと思うんですけど。
そうだね。ある程度のところまでやれたから退く決意ができたんだと思う。CDを出せたことは人生の記念になるし。
と、まだまだ話は尽きませんが、前編はここまで。後編ではサプライドの設立背景と未来についてたっぷりと語ってもらいます!