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【代表が語る】創業までのストーリー

はじめまして。株式会社スダチ代表の小川と申します。

スダチは、鳥の”巣立ち”に由来しています。私たちは教育事業をやっている会社です。教育を通して、”巣から飛び立つ鳥のように、誰もが社会という大空へ羽ばたけるように”という想いを込めています。

改めて小川という人間は何者なのか、なぜこの会社をやっているのか、についてお話しする場を設けさせていただければと思い、筆を執っています。どうぞよろしくお願いいたします。

学生時代

私は1994年3月生まれの現在28歳です。出身は徳島県で、高校まで徳島で過ごしました。徳島の中でも田舎の方が地元で、小中時代は常に学級崩壊が起きていました。生徒が授業中にタバコを吸ってたり、廊下で花火をしてたり、先生と乱闘騒ぎなんかもありましたね。なんとか生き延びるため、ヤンキーの先輩方のパシリをしていたことも今ではいい思い出です。家庭も父親が引きこもりだったりして、とても良い環境で過ごしたとは言えなかったかなと思います。

高校は何とか自称進学校へ入学し、ヤンキーの方々にぶん殴られるような環境から抜け出すことができました。しかし、勉強をまともにしたことがなかったため、周りのレベルについていけずすぐに挫折してしまいました。部活はバスケ部に入ったのですが、県内ベスト4の強豪だったこともあり、試合に出れるはずもなくベンチウォーマーとして活躍していました。最終的には監督と揉めて退部することになります。(もちろん自分の不甲斐なさが原因です)

そのまま何気ない日常を過ごし、受験期に突入しました。しかし受験勉強にも身が入らず、適当な受験生活を送ってしまいました。このように高校時代までは何の努力もせず怠惰な毎日を過ごしていました。(酷いやつです)

大学は奇跡的に大阪の関西大学へ進学することができました。当然毎日怠惰な生活を送っていましたが、転機が訪れます。アルバイトを始めたのです。といってもただの焼肉屋です。”ベンチャーでインターン”みたいなかっこいいやつじゃないです。でもこの焼き肉屋での経験が人生を大きく変えてくれました。
その焼き肉屋で学んだことは3つです。

1.結果を出すためには努力が必要
当たり前過ぎて何言ってるんだって感じかもしれませんが、当時の私はこんな当たり前のことも知りませんでした。というより腹落ちしてなかったという表現が正しいかもしれません。今までの話で分かると思いますが、これまでの人生で一度も努力したことがありませんでした。なので結果が出ないのは全て才能のせいだと思っていました。「あいつが勉強で結果が出るのは才能があるからだ」「あいつにバスケで勝てないのは自分に才能が無いからだ」と本気で思っていました。しかし、アルバイトを通して初めて「結果は努力を積み重ねることでしか出ないものだ」と身をもって知ることができました。この経験は本当に大きかったです。この考えが身についたことで、どんなことにも努力を重ねることができるようになったからです。

2.仕事というのは楽しいもの
当時の私には「そもそも仕事というのは辛く、面白くないものだ」という固定観念がありました。これは今も多くの方が思っているかもしれません。日本全体に漂っている価値観ですよね。でもそんな固定観念はこのアルバイトを通して壊すことができました。
「仕事とは誰かの役に立つことの対価としてお金を貰えるとても素敵なこと」
「昨日できなかったことが今日できるようになると嬉しいし楽しい。次はこれもできるようになりたいと思ってまた頑張れる」
「仕事ができるようになっていけば、周りの困っているメンバーを助けることもできる。メンバーからも感謝してもらえる」
毎日働きながら「こんな最高なことがあるのか!」と思っていました。

3.環境が人を作る
当時私が働いていたアルバイト先は俗に言う”ブラック”でした。食べ放題、飲み放題のお店でオーダーが無限に来ます。開店から閉店まで気を休める時間が1分もないなんてことはザラでした。忙し過ぎて人の入れ替わりも激しかったです。店長も厳しい方でミスをするとかなり強く詰められます。でもそんな厳しい環境が自分を成長させてくれました。時給だけを考えるなら暇でゆるい感じのお店がいいかもしれません。でも自分のように怠惰な人間は厳しい環境だからこそ努力できたと思います。それは私だけではなく周りのメンバーもそうでした。ただの飲食店のアルバイトなので色んな方が働いています。もちろんピカピカな経歴の方なんていません。でもみんな総じて人として大きく成長していました。この時に「環境こそが人を作るんだな」と気付きました。いい環境に染まることができれば、人として大きく成長することができる。今までの経歴がどうだとかは関係ない。人には無限の可能性があると強く感じました。

このアルバイトを通して私には人生で初めて夢ができました。それは「日本中の会社だってこのバイト先みたいに楽しい職場にできれば、もっと世の中で幸せな人が増えるんじゃないか。そんな職場をもっと増やしたい!」というものです。



大学時代も終わりに差し掛かると就活が始まりました。就活では焼肉屋のアルバイトのエピソード一本で勝負しました。というか大学時代はそれ以外何も語れることがありません笑 ありがたいことにいくつかの会社から内定をいただき、最終的には第一志望だったアビームコンサルティングというコンサルティング会社を選びました。コンサルティング会社を選んだ理由は、会社へのコンサルティングを通して「働いていたバイト先のような素敵な会社を増やしたい」という想いからです。

入社後は140名の優秀な同期との競争が始まりました。同期はみんな高学歴で、英語も話せて、能力も高い子ばかりでした。私は完全に落ちこぼれで、みんなの足を引っ張る存在でした。でも挫折することはありませんでした。なぜなら「結果を出すためには努力が必要」と知っていたからです。また「環境が人を作る」と知っていたので、厳しい環境も自分を成長させるために必要だと思っていました。こんな環境でも「仕事は楽しいもの」と感じることができていました。バイト先で培ったマインドがあったからこそ、努力を続けることができ、自分の成長を楽しむことができました。結果、多くの仕事を任せてもらうことができるようになりました。もちろん自分の実力だけでなく、素敵な上司との巡り合わせや運が良かったこともあったと思います。

創業経緯

夢中で仕事をして3年目になった時、ふと現状を振り返る瞬間があり、「あれ?俺って何でこの仕事始めたんだっけ」と思い返しました。「働いていたバイト先のような素敵な会社を増やし、より多くの人を幸せにしたい」という想いでした。
がむしゃらに働いてきた3年間、ありがたいことにいい役割も与えてもらい、評価もいただいていました。でもこのまま今の仕事を続けて夢が達成できるかなーと考えました。正直、このままじゃ難しいかなと思ってしまいました。コンサルティングはとても素敵な仕事だし、アビームも本当にいい会社でした。でも会社をコンサルティングしても、本当に自分が望むようなことはできないと気付きました。

もう一つ気付いたのは「同じ会社で働いてても楽しそうにしている人もいれば、毎日辛くてうつ病になってしまう人もいる。もしかして会社を変えるだけじゃダメなんじゃないか。もっと根本的なところを変えないとダメなのでは」ということです。この時に「人間の考えの根幹を作っているのは教育。そこを変えないと世の中は変えられない」と自分の中で結論を出しました。逆に教育が変わり、みんなの考え方もいい方向に変えることができれば、全員を幸せにできるかもしれない。1人ずつ説得してたら時間はいくらあっても足りない。だけど教育を通してなら日本中、いや世界中だって変えられるかもしれない。そう思いました。そして、「教育を通して世界を変えることに人生をかけよう」と自分に誓いました。

あと私自身、元々子どもが好きなんですよね。子どもってめちゃくちゃ可愛いじゃないですか。街中で出会う子ども達をすぐに目で追いかけてしまいます。年末年始は毎年親戚家族と過ごすのですが、ずっと子ども達と遊んで癒やされています。「この子達のためにも良い未来を残してあげたいな」といつも思います。どうせ人生を賭けるなら、これからの未来を作る子ども達のために尽くしたいなという想いもあります。



起業を決意したのが平成最後の年である2018年の5月でした。「来年ちょうど令和に変わる良いタイミングだ。その日を会社の設立記念日にしよう」と決めました。
そして、3年間働かせていただいたアビームを卒業し、2019年5月7日に会社を創業しました。(本当は5/1にしたかったのですが、祝日の関係で5/7が令和で登記できる最初の日でした)当時25歳になったばかりでした。



今までにない学校「逸高等学院」設立

いざ起業したはいいものの、何の事業をするか決めてないことに気付きました。完全に見切り発車でした。とりあえず生きていかないといけないので、前職の経験を活かしてコンサルティング業を始めました。会社員時代にがむしゃらに働いた経験のおかげで、すぐに仕事は見つかりました。「これでとりあえずご飯を食べていける…」ととてもホッとした記憶があります。

そこから教育事業のアイデアを考えるため、まずは教育の現状を知ろうと色んな情報をインプットしました。そこで今の日本で不登校が大変大きな問題になっていることを知りました。この時率直に思ったのは「日本の学校ってダメなところだらけだもんな。そりゃ不登校増えちゃうよな」という気持ちでした。
詰め込み型で暗記中心の学習、偏った偏差値教育、個性を潰す集団教育、社会で何の役に立つか分からないような内容。とても時代に合っている教育とは思えません。

この時私が出した結論は「教育を変えるためには学校を変えるしか無い。学校を変えるためには国が動く必要がある。でも国を変えるのは難しい。だったら自分が理想の学校を作ってやる!」でした。そこで立ち上げたのが通信制サポート校「逸(いち)高等学院」です。

通信制サポート校とは、通信制高校に通うお子さんが通学する学校になります。通信制の場合、基本通学がないため家庭で学習します。しかし、家で一人だと学習が難しい子もいるため、そのようなお子さんが学習するための場所として通信制サポート校があります。よく勘違いされますが、通信制高校と通信制サポート校は全く別物です。この2つは学校と塾の関係に近いかなと思います。通信制高校が学校で、サポート校が塾です。通信制高校は学校法人のため教員免許が必要ですが、サポート校は塾なので教員免許も必要なく、誰でも設立が可能です。また、単位を認定する訳でもないので自由な教育ができます。「これは自分がやりたい教育ができるとてもいい仕組みだ!」と思いました。

サポート校の存在は、「ゼロ高等学院」という堀江貴文(ホリエモン)さんが学校を立ち上げたというニュースを見て知りました。当時「これは時代が変わるかもしれない!」と興奮したのを覚えています。実は逸高等学院の「逸(いち)」はゼロ高さんにあやかって名付けたんですよね。「0の次の1になる」という意味です。たまたまあるイベントでゼロ高代表の内藤さんとお話しさせていただく機会があり、「”ゼロ高”に対抗して、”いち高”作っちゃってもいいですか?」と聞いたら「いいんじゃない?」と言っていただいたのでご本人には了承済みです笑

逸高でやりたかったことは、「子ども達が人生をかけて夢中になれるものを見つけるサポート」でした。
「そもそも子ども達はどんな人生を送りたいかが明確じゃないのでは?」
「自分が何をしている時が幸せかが分かっていないんじゃないか?」
「自分がやりたいことを見つけ、そこに熱中することが本当の幸せではないか?」
「今の時代は学校の勉強がいくらできても社会で活躍できるわけではない。それよりも自分がやりたいことを突き詰めた方がいいのではないか?」
「例え不登校でもやりたいことを見つけ、突き詰めることができれば幸せに生きていけるのでは?」
「不登校の子どもは今の学校が嫌なだけ。好きなことができる学校なら行けるのでは?」
「むしろ不登校の子どもの方が無限の可能性があるのでは?」
「学校の勉強はやらされているから面白くないだけ。自ら主体的にやりたいと思ったことは頑張れるんじゃないか?」
と考えました。こんな学校があれば理想だと思いました。



一人で学校は作れないので、高校時代から親友だった友達に声をかけました。当時彼はTOTOという大企業でトップセールスとして活躍し、数々の賞を総なめしていました。そんな彼に、
「このまま一生便器を売り続けるか、俺と共に世界を変えるかを選べ
と言い放ちました。かの有名なスティーブ・ジョブズの名言のオマージュですね笑
結果、彼は仕事を辞め、広島から上京してくれることになりました。周りからは「お前頭おかしくなったんじゃないか?このまま会社にいればトップの座も狙えるのに…」と何度も止められたそうです。今思えば本当に頭おかしいと思います笑 こんな意味のわからない状況で意を決してくれた彼には本当に感謝です。校長は彼に任命しました。
準備も整い、晴れて2020年4月に逸高等学院は開校することができました。起業してちょうど1年後でした。

そして、これは見事なまでの大失敗に終わります。

大層なビジョンを掲げ、「日本の教育を変えてやる!」と息込んだ男の夢は、ものの見事に砕かれてしまいます。

完全にやってしまいました。

粘り強く2年ほど続けましたが、最終的に生徒は一人も集まりませんでした。生徒0人で先生しかいない学校。そんな学校見たことあります?笑

今振り返ると失敗した理由は明確だなと思います。
なぜ誰も集まらなかったのか、それは「顧客の声を聞かず、誰も欲しくないものを作ってしまった」からだと思います。起業でよくある失敗例を思いっきりやってしまいましたね。専門用語で言うとプロダクトアウトってやつですね。
そもそも学校のお客さんは子どもではなく、親御さんです。親御さん目線で考えると、子どもの人生を預けるとても重要な場所です。慎重に選ぶのは当たり前です。選ぶにあたって大事なのは”信頼”です。教育方針に対する信頼、そして先生への信頼も必須です。
教育方針は既存の教育と真逆で尖っているし、先生は教員免許もない素人の若造2人がいるだけです。教育方針、先生、どちらも信頼を得るには不十分でした。

起業後初めての事業、逸高等学院は大失敗で幕を閉じました。

不登校のボランティアを通して

サポート校の立ち上げ準備をしている最中、実は個人的な活動として不登校のボランティアを始めていました。実際に、不登校の現場を自分の目で見て学びたいという想いからです。
ボランティアの内容は、メンタルフレンドというものでした。メンタルフレンドとは、不登校のお子さんの家に訪問し、一緒に遊んだり話をすることで心の支えを担うというボランティアです。

私は通信制高校の1年生だったお子さん(A君)の担当になりました。A君は小学5年生から5年間不登校でした。小学5年の頃、友人関係が原因で不登校になってしまったそうです。それからはゲーム漬けの生活で昼夜逆転にもなっていました。
中学はほとんど行くことができないまま受験期を迎え、通信制高校に入学されました。通信制は基本的に通学の必要がないですが、年に数回学校に行く日があります。その日は学校に行かないと単位認定が難しく、通信制高校を卒業することができません。A君はこの日の出席も難しく、留年の危機を迎えている状況でもありました。

私が担当する前に、複数人のメンタルフレンドがA君を担当していました。しかし、いずれの方もA君が拒否反応を示してしまい、会えなくなってしまったそうです。A君は繊細なところがあり、慎重にコミュニケーションを取る必要がありました。また、人として尊敬される存在にならないと担当を継続することは難しそうでした。

初めてA君と会った日のことは鮮明に覚えています。A君は外出もほとんどしていないため、髪や爪も伸び切っており、体格も小さめでした。でも話してみるととても素直で良い子でした。私の話をよく聞いてくれ、質問にもしっかり答えてくれて、頭の回転も早いなーと感じました。話をしている限りは、他の高校生と全然変わらない印象でした。
初日は楽しく会話を終えることができました。A君もとても楽しんでくれていたと親御さんからありがたいご報告をいただきました。私の中でも「このまま続けていけば、良い方向に導けるかもしれない」と手応えを感じていました。

その後も何回か訪問する中で、私は自分の人生観についてよく話すようになりました。
「自分も高校時代までは全くダメダメな人間だった。だけどそこから色んな経験を乗り越えて今がある。人生に遅すぎることなんてない。A君だって今から頑張ればきっと大丈夫。まだまだ人生は長い。今がどんな状況だとしても未来はここから変えられる。誰が何と言おうと僕はA君のことを信じている。」と何度も熱く語りかけていました。

その結果、A君は私と会うことを拒否するようになってしまいます。

「小川さんはキラキラしたことばかり言うからもう会いたくない」とのことでした。この報告を聞いた時、私自身本当にショックを受けました。「もっとこうすれば良かったのでは」という後悔ばかりが浮かびました。何よりA君、そして親御さんには本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。自分がもっとちゃんとしていればA君を救うことができたかもしれないと。今でもあのショックは癒えていません。
この経験を通して学んだことは大きく2つあります。

1. 明確な軸がないまま支援をしても上手くいかない
私自身、昔から人とのコミュニケーションが好きでした。周りから相談を受けることも多く、誰かにアドバイスをすることも多かったように思います。そんな経験から、誰かにアドバイスすることには自信がありました。そのような背景から、正直メンタルフレンドの仕事も上手くできるだろうと思っていました。しかし、これが全くダメでした。
なぜダメだったかを振り返ると「自分の中で明確な軸がないままノリでやってしまっていたから」だと感じます。不登校のお子さんに対してどのような気持ちで向き合い、どういった声掛けをすべきかといった軸を持っていませんでした。当たり前かもしれませんが、これでは上手くいく訳がありません。

2. 本人を対面で支援することの難しさ
本人を対面で支援する場合、お子さんが拒否反応を示すと、強制的に支援が終了してしまう難しさがあると感じました。もちろん支援が上手くいかなかったのは、私の実力不足が主な原因だと思います。しかし、私の前任の方々もみんなA君の支援を終了せざるを得なかったという経緯もあります。本人を対面で支援するとなると「もしこの子が自分と会いたくないと言ってしまったら支援は終了してしまう…」という考えが浮かぶのは仕方ないです。その考えを持ちながら、お子さんの懐にどこまで踏み込むかの判断はとても難しいと感じました。

このボランティアを通して本当に多くのことを学びました。実際に現場で不登校のお子さんとお話しできたこと、親御さんの生の声を聞けたことはかけがえのない財産です。同時に多くの乗り越えなければいけない課題があると知ることができました。

後日、他のメンタルフレンドの方々とも集まって支援の状況について話し合う機会がありました。メンタルフレンドの方々は、みなさんお子さんと本気で向き合い、色んな角度からアプローチされていました。みなさん学業や仕事がある中で時間の合間をぬって、不登校の子ども達のために動かれている素敵な方ばかりです。全員が少しでもお子さんが前に進むきっかけを掴めるようにと真剣に考えています。それでも、子どもが学校に行くようになったという話や、社会に出て働くようになったという話はありませんでした。中には長年に渡って支援されている方も多く、どうにも動かない状況に頭を抱えられていました。それほど不登校とは根深く、難しい問題だと強く感じました。

私自身も何とか打開策がないかと不登校関連の本をたくさん読み、ネットの記事も大量に目を通しました。でもそこに解決策はありませんでした。
そこにあったのは「学校が全てではない」「親が不登校を受け入れる気持ちが大事」「不登校は子どものエネルギー不足。親が不登校を受け入れ、見守り続ければいつか学校へ気持ちが向く日が来る」という内容ばかりでした。
これらの情報とボランティアの経験を通して「本当に不登校を解決する方法なんてなくて、どうにもならない問題なのかな…」という気持ちが強くなっていました。

3週間で不登校を解決するメソッドとの出会い

不登校の解決方法が全く見つからず、出口の見えない暗闇のトンネルを進むような気持ちでした。それでも何か突破口がないかともがき続け、色んな教育関係のイベントなどへも参加していました。そんな中ある方との出会いがありました。その方は「3週間で不登校を解決するメソッド」を用いて不登校支援をしているNPOの代表でした。初めて聞いた時は「え、そんなことありえるわけがない」と思いました。

「こんなにも大きな社会問題になっていて、未だ誰も解決方法が見つかっていないのに」
「そんな魔法みたいなことができるならもっと広がっているはずでは」
と思いました。

早速その方へお話しを伺う機会をいただきました。受講料を支払えば、メソッドの内容を使って各自自由に支援をしてもらって構わないという話でした。受講料は安くない金額でしたが、「どうせ他に選択肢は無いし、例え騙されたとしても勉強代だと考えよう」とお支払いしました。

しかし、その内容はまさに目から鱗でした。

今までの不登校の常識を全てひっくり返すような内容でした。全ての内容が論理的で、かつ実践的で、成功するビジョンが目に浮かびました。
そのメソッドには、以下の特徴がありました。

1.原因を追求する必要がない
これまでの私の認識では、不登校の原因が本人の気質(発達障害やHSC、うつ病など)の場合は諦めるしか無いと思っていました。むしろ、無理やり登校なんてさせたら危険なのではと考えていました。他にも学校でのいじめや人間関係、これも本人だけではどうにもならない問題で解決方法なんてないと思っていました。
しかし、このメソッドでは原因を追求しないということでした。どんな原因であれ、家庭の環境を整え、親御さんの接し方次第で再登校できるという話でした。当時は信じ難い気持ちでしたが、後ほどそれらが現実になるのを目の当たりにします。

2.お子さんと会う必要がなく、親御さんとやり取りするだけ
今まで見てきた支援はどれもお子さんを直接支援するものばかりでした。私がやっていたメンタルフレンドも同じ形でしたが、上手くできなかった経験から難しさを感じていました。そんな自分にとってお子さんと会わないというのは、とても納得感がありました。例えお子さんが拒否したとしても、親御さんとであればやり取りすることができますよね。
もちろん私たちもお子さんを対面で支援することを全否定している訳ではありません。(実際に私たちも一時期お子さんへ直接支援を行っていたことがあります)
お子さんを直接支援したことによって改善したケースも多くあると思います。これは選択肢の話で、直接の支援が合うケースもあれば、間接的な支援が良いケースもあると思っています。それぞれの選択肢を見て、各ご家庭に合うものを選べる状態がいいと考えています。

3.3週間という短期間で再登校まで導く
それまでの私は「不登校は改善まで多くの時間が必要で、長期的に付き合っていくもの」と認識していました。”3週間で解決”なんてとても信じられませんでした。しかし、その後見事に3週間で再登校できる事実を数多く目の当たりにします。
どれも今までの不登校の常識とは異なっていて、こんなのどう考えても詐欺としか思えませんでした。でも、もしこれが仮に事実だとしたら「日本の不登校の現状を大きく変えることができるかもしれない」と思いました。

こちらのNPOは代表の方が一人でやっていて、お客さんも不定期のタイミングで紹介のみ受け付けているという形でした。また面談は全て対面で行っており、直接お会いできる距離にいる方のみ対応されているようでした。
すぐさまこのメソッドを社内に持ち帰り、体系化を進めました。そして、今まで学んできた多くの知見も混ぜ合わせ、独自のメソッドを完成させました。また、オンラインでの面談やWebでの集客も活用し、全国の方へ支援ができる状況を整えました。

より多くの方に知ってもらうために無料セミナー・無料相談というステップも設けました。詳細の料金は無料相談の場でお伝えする形としました。料金は元の方が設定されていた金額より手の届きやすい額に改定しました。それでも決して安くはない料金をいただいています。料金を個別にお伝えしている理由は、”サポート内容、私たちが届けられる価値を知った上でご判断いただきたい”という想いからです。その部分を合わせて伝えない限り、本当の価値を知ってもらえないと思っています。

サービス名は「逸高等学院」としました。当時はまだ生徒0人のサポート校を諦め切れていませんでした。「サービス名が2つあると覚えてもらい辛い。どちらも同じ名前でサービスの中身は分けることにしよう」と決めました。事業部長は逸高等学院の校長だった社員に兼任してもらいました。
ただ、この時点でもまだ半信半疑でした。「これで本当にお子さんが再登校できるのだろうか…」という大きな不安がありました。

これはよく聞かれるのでここでお答えしますが、これまで小川は一度も支援をしたことがありません。初めから支援については事業部長に一任していました。もちろんメソッドの中身については2人で議論しながら作成を進めましたが、お客さんと直接向き合っていたのは彼自身です。私が支援しなかった理由としては「経営者であり会社の代表である私が現場に立ってしまうと、組織の拡大を止めてしまう」と思ったからです。これは経営について勉強する中で得た知識でした。

これもよく聞かれることですが、私自身不登校だった経験はありません。「そんな奴に不登校の子どもの気持ちが分かるのか!」とご意見いただくことがあります。実際に不登校の支援を行っている方々の多くは、元々不登校経験がある方が多いです。でも私たちとしては、不登校の経験がないことは逆に強みにもなると思っています。

不登校の経験があると、お子さんの気持ちや痛みに強く共感することができます。この点は不登校経験がある方の強みだと思います。逆に捉えると、共感が強くなるあまりお子さんに寄り添いすぎてしまう点もあるかなと思います。寄り添いが強いと、どうしてもお子さんへ踏み込んで向き合うことが難しくなってしまいます。私は不登校の経験がないので、共感の強さは経験のある方に勝てないかもしれません。でもその代わりに、お子さんへ踏み込んで向き合うことができていると感じます。どちらにも強み弱みはあると考えています。

もう一つよく言われるのは「お前子育てしたことないだろ!そんな奴に何が分かるのか」という指摘です。おっしゃる通り私自身子育ての経験もありませんし、結婚もしていません。なんなら彼女もいません(起業して約5年、彼女が一人もできない悲しい現実と向き合っています)

これも不登校の経験がない理由と同じですが、もし自分に子育て経験があるとしたらもっと親御さんに寄り添う気持ちが強くなると思います。寄り添う気持ちが強いと、どうしても親御さんに踏み込むことも難しくなると感じています。

事業立ち上げのタイミングは困難も多く、逆風の中を突き進まないといけません。そんな時少しでも気持ちが弱くなると事業も上手くいかないと思います。もし私に不登校の経験があって、子育ての経験があったとしたら、ここまでやり切れたのかは分からないです。

しかし、今後組織を拡大し、より多くの方々にメッセージを届けるためには共感が大事になると考えています。これからはもっと不登校のお子さん、親御さんと寄り添えるようになる必要があるとは思っています(そして現在絶賛婚活中です)

一番初めに支援したご家族のことはとても印象に残っています。小学4年生で「給食が怖い(特にイカフライが)」という理由で不登校になったお子さんでした。不登校期間は2ヶ月ほどでした。
初めての支援で右も左も分からずとても不安な中、事業部長の彼はやり切ってくれました。本当にすごいと思います。

結果、こちらのお子さんはサポート開始22日目で無事再登校することができたのです。再登校できたという報告をいただいた時は、感動と驚き、そしてホッとした気持ちが混じった不思議な感情だったことを覚えております。2020年の7月でした。

それからも多くの親御さんからご相談をいただき、累計では500名以上のお子さんの再登校を支援してきました。
今では支援をしているサポーターも増え、組織として拡大を進めることができてきました。まだまだ大きな組織とは言えませんが、今後さらなる拡大を目指していきたいと思っています。

再登校までに要した期間も、平均3週間弱となっています。
ここで言う私たちの再登校の定義ですが、「朝から放課後まで2日連続でクラスに登校できること」としています。なので、保健室登校や午後から登校した場合、再登校とはしていません。
もちろん上手くいくことばかりではありません。思うようにいかないケースもあります。現在支援を受けていただいた方々が期間内に再登校できた率は90%となっています。

それでも私たちが自信を持っているのは、再登校できなかった10%の方々もみなさん支援前より状況が良くなっているということです。10%の中には、五月雨登校まで行けた方、保健室登校までは行けた方、午後からの登校までは行けた方なども含まれています。家庭環境や親子関係が改善することによって、みなさん明るく元気になっていきます。再登校までたどり着けなかった親御さんから感謝の声をいただくことも多いです。

私たちは正直、学校に行くことが全てだとは思っていません。学校に行くことが目的ではなく「挑戦できる子どもに育つような環境を整えること」が本当の目的です。
そして、目指すべきゴールは、子ども達、そしてご家族が幸せな人生を生きていけることです。そういう意味で、再登校どうこうに関わらず、みなさんに良いサービスをお届けできていると心から自信を持っています。

累計500名以上のお子さんを見てきて思うのは、一つといって同じケースはないということです。みなさん色んな経緯で不登校になられています。お子さんそれぞれの特徴も異なれば、家庭環境、家族構成、学校の状況、うつ病などの精神疾患や発達障害の有無など、色んな要素が絡み合っています。しかし、私たちはどんな状況で、どんな原因があったとしても諦めませんでした。社内のメンバーで徹底的に話し合い、そのご家族にとってベストな方法が何かを考え続けてきました。

いじめ問題も、発達障害も、起立性調節障害も、うつ病も、リストカットも、自殺未遂を繰り返している子も、親に包丁を突きつけるような子も。どんなお子さんも諦めることはなかったです。なぜなら「子ども達の無限の可能性、そして親御さんがお子さんと本気で向き合った時のとてつもないパワーを知っているから」です。今までも数多くの奇跡を見てきました。

・病院で起立性調節障害と診断されて「2年位は治らない」と言われていた子が、短期間で症状が改善し再登校できたり
・自殺未遂を繰り返していた子が元気になり、再登校できたり
・発達障害で家族のコミュニケーションもままならなかった子が再登校できたり
・うつ病の診断を受けて薬を飲み続けていた子が元気になり、薬から抜け出して再登校できたり
例を挙げるとキリがありません。

正直私もこれらの奇跡を見て、未だに毎日驚きの連続です。「今回の子はさすがに難しいかな…」と思ったことが100回はあります笑
なので、今この文章を読んでくださっている方が信じられないという気持ちになるのは痛いほど分かります。そりゃそう思いますよね。
でも実際に支援を受けて再登校を果たされた500名以上の方は、実際に奇跡を目の当たりにされています。できるだけ信憑性を高めるために、その方々から直筆のアンケートをいただきHPに掲載させていただいています。(しかし、これも全てサクラだと言われてしまうので、これ以上どうしようもないのですが…笑)

もう1つ私たちのサービスでお伝えしたいことがあります。それは、不登校どうこうに関わらず、全ての親御さんに知って欲しい内容になっているということです。
今の日本は不登校だけでなく多くの問題があります。
自殺問題、うつ病などの精神疾患、発達障害、HSP、起立性調節障害、無気力、暴言・暴力、若者の犯罪…など。
これらの問題も、私たちのメソッドが広がれば同時に改善できるのではないかと考えています。
もし日本中の親御さんが私たちのメソッドを知り、実践することができれば、これらの問題もきっと減らすことができると思っています。
なぜなら、実際にそのような症状が改善するケースをたくさん見てきたからです。

不登校で相談に来たお子さんが、過去に自殺未遂をしていた、うつ病を抱えている、発達障害、起立性調節障害の診断を受けている、過去に犯罪を起こそうとしたことがある、というケースは非常に多いです。そんなお子さん達がみるみる元気になり、学校に行けるレベルにまで回復をすることができています。

こう言うと「親が悪いということですか?」と批判が来るかもしれません。それに対して私たちは、「親御さんが悪いなんて全く思っていません!」とお伝えしたいです。悪いのは親御さんではなく「子育てを学ぶ機会がない日本の教育」だと思っています。「人を憎まず、仕組みを憎む」というのが私の考えです。私たちのもとには毎日親御さんから相談がありますが、みなさんお子さんのことを愛していますし、お子さんのことを思っていない人なんて一人もいません。そんなことは私たちが一番良くわかっています。

だからこそ伝えたいんです。親御さん方が悪いわけでは全くなく「ただ必要な方々に情報が届いていないだけ」だと思っています。
こんなことを言うと「ビジネスを広げるための営業トークだ!」とか言われるかもしれませんが、それは否定しません笑 より多くの人に知ってもらえるのであれば、どんな手段も厭わないです。そもそも私たちのセミナーは無料で受講できますし、約30分の無料相談も実施しているので、それを受けてもらうだけでも全然いいと思っています。
とにかく「今子育てで悩んでいる方々にとって少しでも役に立つことができれば」と心から思っています。

もう1つこのメソッドのすごいところは、人生を生きていく上で大事な考えがたくさん詰まっているということです。

私は大学時代の焼肉店で3つの大事なことを学びました。
1.結果を出すためには努力が必要
2.仕事というのは楽しいもの
3.環境が人を作る
まさにこれら3つのことを今お子さんに伝えることができていると感じます。

1.結果を出すためには努力が必要
私たちは「大事なのは結果ではなく、結果に至るまでのプロセスです」と常に親御さんへお伝えしています。現代の日本は結果至上主義です。勉強のいい成績を褒める方は多いかもしれませんが、それまでのプロセスを見て褒められている方は少ないと感じます。でも本当に大事なのは結果ではなく、プロセスですよね。誰しも常にいい結果を出すことはできないですが、結果を出せるように努力することはできます。だからこそ、過程の部分を親御さんに褒めてもらうようお伝えしています。そうするとみるみる子どもが変わっていくんですよね。勉強や部活にも精を出すようになったり、家事を手伝ってくれるようになったり。色んなことに挑戦できるようにもなっていきます。これはまさに私がアルバイトで学んだ「結果を出すためには努力が必要」という考えと繋がっています。

2.仕事というのは楽しいもの
世間一般的に仕事は辛く、面白くないものだと思います。学校も同じですよね。行かなくていいなら本当はみんな行きたくないんじゃないでしょうか。この点は学校も仕事も似ています。でももし仕事を楽しんでできるなら絶対その方がいいですよね。学校も同じだと思います。私たちは「嫌なこととどう向き合うか」は今後の人生においてもめちゃくちゃ重要だと思っています。親御さんの声掛けを通して「お子さんが嫌なことと向き合い、どうすれば乗り越えられるか」についてもお伝えしています。これもまさに私がアルバイトで学んだ「仕事というのは楽しいもの」という考えと繋がっています。

3.環境が人を作る
そもそも人間とは弱い生き物です。自分の意思だけで現状を変えることは難しいです。もしそれができるなら勉強も部活もみんな上手くいっていると思います。それは怠惰である自分が一番良く知っています。でも人は環境に染まる力があります。環境を変えることができれば、人は変わることができることを知っています。だからこそ私たちは親御さんを通して、ご家族の環境を変えることでお子さんの現状を変えています。これもアルバイトを通して学んだことでした。

伏線回収的な展開ですが、私が人生を通して伝えたかった想いは、このメソッドを通して今多くの方に伝えることができています。

さらに伏線回収が続きますが、大失敗した学校事業(逸高)を通して伝えたかった想いも今伝えられていると感じています。逸高では「子ども達が人生をかけて夢中になれるものを見つけられる」というコンセプトでした。当初の私はこれを実現するために、学校という存在が邪魔をしていると考えていました。だからこそ「不登校でもいいじゃないか、むしろ不登校の方が色んな可能性があるのでは」と思っていました。でも現実はそうではないと知りました。

実際に不登校のお子さんの現場を見ていると「自分のやりたいことを見つけて、そこに向けて頑張っている状態」とは言えないお子さんばかりでした。ゲームやYouTube漬けで生活リズムも崩れてしまい、親御さんにも甘え、自立できていないお子さんがほとんどというのが実情です。

今の学校が時代遅れであることは事実かもしれません。でもだからといって家でゲームし放題、好きなことだけやっている、親子関係も崩れている状態が良いとは思えませんでした。
そんな状態を見ている中で「子どもに好きなことを自由にやらせることだけが正解じゃないかもしれない。それよりもちゃんと家庭環境を整え、生活リズムを整え、親子関係を正しい状態にすることの方が子どもの未来のためでは」と考えるようになりました。

今ではこのメソッドも「子ども達が人生をかけて夢中になれるものを見つけられる」ことにも繋がっていると確信しています。実際に不登校を解決したお子さんが、次のステップに進み、目標や夢を見つけ努力するようになっていく姿を見てきたからです。学校事業で成し遂げられなかった想いも今実現することができています。

スダチへの批判的な声について

SNSなどで発信を続ける中で、批判的な声をいただくこともあります。その中で、「炎上商法ですか?」と聞かれることもありますが、全くそんなつもりはありません。本当にただ自分の気持ちを届けたくて呟いてるだけなんです。誰かを意図的に傷つけようと思ったことは一度もありません。もし傷つけてしまっている方がいたらこの場で謝罪させてください。本当に申し訳ございませんでした。私自身の不徳の致すところです。
これまで批判をいただいたことにより、感じたことが2つあります。

1. 本当に伝えたいことは簡単には伝わらない
自分のツイートが全く意図していない形で捉えられることが多々ありました。SNSでは本当に伝えたいことが伝えきれないことがあります。「こんなにも自分の想いが伝わらないものか」と日々悩んでおります。こればかりは正しく伝えるための努力を続けるしかないかなと思っています。伝えたいことは、より長い文章でちゃんと説明する必要があると感じています。

2. 批判も受け入れて前に進むしか無い
いわれのない批判を受けることは、精神的に大きなダメージがありました。自分自身メンタルは強い方だと思っていましたが、心無い言葉も含めて多くの方から批判を浴びることは精神的に辛かったです。自分だけが被害を受けるならまだいいですが、社内にも不安が広がり、社員から私への批判の声も挙がりました。社外からだけでなく社内からも批判があると、誰も味方がいないような気持ちになり本当に辛かったです。

この時に思ったのは、「自分レベルでこれなら著名人や政治家の方々は本当にあり得ない数の批判が毎日来ているんだろうな…」でした。それと同時に「何か事を成し遂げようとして批判が出ないなんてあり得ない。社会を変える使命を掲げるなら批判も受け入れて前に進むしか無い」と思いました。

批判をきっかけに、改めて自分の中で覚悟が決まりました。例えどれだけ批判されたとしても、自分の中での信念、正義を貫き通す覚悟です。

私自身が多くの批判を受けていた当時、安倍元首相の銃撃事件がありました。速報のニュースを見て衝撃を受けました。そのニュースを見た時「安倍さんは命を失ってまで日本を変えようともがき続けた。今の自分はそれほどの覚悟を持てているだろうか」と自問自答することがありました。

安倍さんの政治的是非は、私にはよく分かりません。でも、命をかけて日本を変えようと動いていたことは事実だと思います。何もせず動かなければ誰からの批判を受けることもないですし、まして誰かに命を奪われるようなことになんてならないと思うので。

「自分のような何もない人間が、社会を変えるために命をかける覚悟がなくてどうする。むしろ自分の命1つで未来の子ども達の未来が良くなるなら本望じゃないか」と思うようになりました。この日から自分の中での死生観が大きく変わったと思います。命を捧げてもいいという覚悟を持てたことで、何も怖いものがなくなりました。

自分で言うのもなんですが、ここまで命を張って教育を変えようとしている人なんて多分いないと思うんですよね。教育者としては未熟かもしれないし、大した学がある訳でもないです。でも教育にかける想い、世の中を心から変えてやるという想いは誰にも負けない自信があります。

過去を振り返った時、私は昔から「誰かが損をしても自分だけ得をすればいい」という考えが嫌いだと気付きました。それなら自分が損をしても、誰かの役に立った方が良いと心から思ってます。だってその方がかっこいいじゃないですか。これは偽善とかではなく自分の中での美学的なものだと思います。その究極の形が自分の命を捧げて、世の中の誰かのために尽くすことだと思うんですよね。

だから詐欺師とかめちゃくちゃ嫌いなんですよ!死んでも詐欺師にはなりません。
あいつら自分の利益だけを考えて他人を蹴落としてる訳じゃないですか。にも関わらず私自身が詐欺師と言われることが…。悲しき現実です。笑

これからの未来

最近学生時代の友人と話すことが多かったのですが、色んな人に「お前って昔から変わらないよな」と言われます。

何が変わってないのかと聞くと「そういう野望とか夢を語って本気で成し遂げられると勘違いしてるところ」らしいです。

思い返すと大学のバイト時代、ただの焼肉屋でバイトしてる少年が「自分なら世界を変えられるかもしれない」と思うって結構頭おかしいですよね。

思い返せばサラリーマン時代も、1年目の何もできない若造時代から「僕がコンサルで世界を変えます」と上司に豪語していたことを思い出します。

高校時代の友人にも「昔から同じこと言ってるよな」と言われました。どうやら頭のネジが外れてしまったのはもっと前からのようでした。

思えば、昔も今も言っていることは変わっていません。
学生時代、サラリーマン時代、そして起業してからも、同じ想いでやってきました。手段は変わっても「より多くの人を幸せにするために世界を変えたい」という想いは変わっていません。これだけは人生を通してブレたことがないと思います。そして、これからもブラすつもりはありません。そのためにも「教育を通して世界を変えること」に全身全霊を注ぎたいと思います。

実は私自身これまで教育事業を展開しながら、コンサルティング事業も片手間で続けていました。そして、ようやく全ての案件から抜けさせていただくことになりました。創業から3年半、会社の売上を少しでも上げるためにと続けてきました。一時期は同時に5社の会社を受け持っていたこともあります。机の上に4台のPCを並べて馬車馬のように働いていたことが懐かしいです。やっと教育事業の売上も安定し、本格的に本業へ専念できる状況が整いました。ここまで長い道のりでした。ようやくここからが本番です。



スダチのビジョンは「誰もが巣立ちゆける世界を」です。教育を通して、誰もが自立して人生という大空へ羽ばたいて行って欲しいという願いを込めています。今は不登校の支援がメイン事業ですが、それ以外にも多くの事業展開を考えています。

・ニート・引きこもりの方への支援
国内には100万人の引きこもりがいると言われています。不登校解決のメソッドを転用することで、引きこもりという大きな社会問題の解決にも挑戦したいと考えています。

・うつ病などの精神疾患に対する新しいアプローチ
これまで私たちが支援してきたお子さんも、うつ病などの精神疾患を抱えている子が多くいました。そのようなお子さんも症状が改善し、元気に登校できるようになっていきました。この経験を活かし、うつ病などで悩むお子さんへ薬とは別の新たなアプローチをしたいと考えております。

・子育てで悩む全ての人に”子育ての教科書”を届ける
今の日本では、誰も正しい子育てのやり方を教えてくれません。これは大きな社会問題だと思っています。私たちはこれまでの経験から、子育てにおいてより良いアプローチがあることを知っています。この経験を活かし、全ての親御さんに“子育ての教科書”を届けたいと思っています。

・国、自治体との提携
最終的に教育を司っているのは国であり地方自治体です。より多くのご家庭に教育を届けるためには国、自治体との連携は欠かせないと考えています。実は既に自治体には何度もアプローチしているのですが、思うように話は進んでいません。まだまだ私たちの知名度、実績、信頼ともに小さいことが理由だと感じています。完全に実力不足です。より多くの方に私たちの存在を知ってもらえるよう精進しなければと感じます。

今後は事業、組織共にさらなる拡大を目指し、会社の上場も見据えています。社会の公器となるため、より多くの方々の信頼を得るためにも上場は欠かせないと考えています。悪徳ビジネスではないという証明にもなると思いますので笑

また日本の教育だけでなく、グローバルで教育事業に挑戦したい想いもあります。このままで終わるつもりは全くありません。これからも人生をかけてビジョン実現のために全力を尽くします。

ここまで大変長文にも関わらずお読みいただき本当にありがとうございました。
これからも小川を、そしてスダチを温かく見守っていただけると嬉しいです。


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