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「適当さ」とのつきあい方

Photo by Cullen Carter on Unsplash

改めまして、今年もよろしくお願いします。
新年1号目の今回は趣味の話題です。

私事で恐縮ですが、コロナが始まる1年前の2019年頃から、
高校時代の同期生たちと俳句の会を始めました。
その名も「一句会」。
といっても、座長はある男性が務めてくれていて、
奉行と呼ばれる幹事役は3カ月交代の持ち回り方式です。
幽霊会員もいますが、毎月十数名が投句、選句に参加し、
かれこれ3年少々続いてきました。

私が続けてこられたのは、自分が言い出しっぺの一人であるという責任感と、
大人の遠足と称して出かけた後の飲み会の楽しさゆえ。
俳句自体にはある意味「適当」に取り組んできました。

具体的には、投句の締切日、締め切り時間の直前に、
ちゃちゃっと作って投句するという具合です。
切れ字の使い方もろくに学んでいないので、
季語が入っていて、五七五である...という程度のゆるい取り組み。
まあ、それでもOKというのが会のスタンスだったので、
お茶を濁してきたわけです。


で、この「適当さ」に関して言うと、
真剣に取り組んでいる人は少数派で
私が適当派の最右翼ですが、
見方によっては、みんな気軽につくっていて、
ある意味、似たようなものでもありました。
それでも、他人の日記を読ませてもらうような楽しさがあったのも事実です。


「適当さ」のおかげで続いたとも言える反面、
私は、時間が経つに従って、段々飽きてきました。
つまらないと思っていると、ぶっちゃけ辞めたくもなる。

そんな話をしていたら、友だちの一人が本を貸してくれたのです。
NHK俳句 あるある! お悩み相談室 「名句の学び方」。

読んでみると、読めば読むほどおもしろい!
気を良くした私は、もう1冊別の本を取り寄せたところです。


「適当」はラクだし、それが悪いわけではありません。
人生には「適当」という楽しみ方もあっていい。
だけど、「適当」というスタンスには「好奇心」が働いていません。

好奇心を持って主体的に知識を取りに行くと、
まったく別の楽しみに触れることができる。
今回のことで痛感しました。
もしかしたら、語学学習や筋トレなどについても、
同じことが言えるのかもしれません。


で、その好奇心。抱くにはきっかけが必要で、
周囲の人との雑談や、情報のシェアなどがそれになりうるのでしょう。
リモートワークの時代だからこそ、
一人の世界に入り込みすぎないようにすることが大切だとも思います。


ちなみに当社では、毎週1回、自分の調べたことや
おもしろいと思ったこと、気づいたことなどをシェアする勉強会を行なっています。
話す人は持ち回りです。
話す人にとっては、自分で取りに行った知識だから身につきやすいですし、
聞く側にとっては、知識をお裾分けしてもらうメリットがあります。
でも、この勉強会、負担になりすぎると持続できなくなるので、
「適当」で良いことになっています。

良い点、悪い点のある「適当さ」。
うまくつきあっていきたいものですね。
さて、当社ではインターナルコミュニケーション支援のクライアント担当を募集しています。
ご興味がありましたら、ご連絡ください。
https://www.wantedly.com/projects/1165302

寒い日が続くようです。
体調を崩されませんようご自愛ください。

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