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豊島の魂 -創業の歴史-

1豊富な漁場、瀬戸内の讃岐

瀬戸内海は内海で、平均水深は31メートルしかないため潮の干満差が大きく、強い潮流が生じます。
強力な潮流によって海底部の養分が巻き上げられる場所があることにより、植物プランクトンの育成が促されています。
これこそが瀬戸内の海が豊かな漁場をもつ根本的な所以です。
鯛などの瀬戸内で生息する魚類は、美味しく栄養豊富な餌を食べ、速い流れで揉まれ鍛えられて育っているため、とても美味しいのです。

当社は半世紀以上に渡りそんな豊かな海の恩恵を受けて、海と共に成長してまいりました。

2安岐水産の原点 ―それは一隻の漁船から始まった

創業者である安岐豊は、瀬戸内の小さな豊島の漁村で漁師の息子として生を受けました。なんと兄弟は10人。
決して豊かとは言えない家庭で育ちましたが、当時としては珍しい高等学校まで進学し、18歳で地元の漁協組合に就職します。

さて、成人した創業者はその後どんな人生を歩んできたのでしょう?
当時の豊島は、漁業と農業の一次産業が盛んに行われていました。良質な漁場に恵まれたことと、豊かな水資源によりたくさんの農産物が生産され、島の様子は活気に満ちたものでした。
しかし、高度成長期と共にこれらの産業は急激に衰退し、過疎化と共に豊島を離れ、現在の津田に根を下ろし水産加工会社を設立しました。
その後、安岐豊は商社と共に海外を渡り歩き、多くの人たちと出会い、多くのことを学んでチャレンジを繰り返していきます。

そのみちのりは険しく、信じていたパートナーに騙され破綻寸前まで追い込まれたことも…そんな時、さすがに家族の顔が浮かんだといいます。
それでも家族を守りたい一心で、更なる変革を求めてひたすらに走り続けていったのです。

転機が訪れたのは、安岐豊がもう50歳になろうとしていた時のことでした。

3良い素材を海外で調達できないか ―新たな挑戦

安岐水産の強み、それは先代から受け継いできた魚に関する豊富な知識と生まれてから新鮮な魚に慣れ親しんできた確かな味覚。それが海外進出にも活かされたのです。
「日本に劣らない素材を海外から調達できないだろうか?」そんな疑問から、また新たな挑戦が始まりました。

そんな折、世界で日本食ブームが沸き起こります。
水産物の需要が拡大したことで乱獲と環境の変化による素材の不足、コストの高騰に見舞われます。このダメージは想像以上に大きいものでした。
「もう猶予はない!」
その確かな味覚と嗅覚をもって、良い素材を探求するため海外へ。ASEAN諸国を制覇したといっても過言ではなく、時には命の危険を冒してまで想像を絶する秘境に足を踏み入れたことも。
いいビジネスパートナーと出会えたことで素材開発に専念できたことは、現在の安岐水産の基盤となっています。

当社はアオリイカの製造日本一!日本で初めていかそうめんマシーンを作った老舗です。
子供からお年寄りにまで愛されている、いかの王様アオリイカ。
現在も更なる進化を遂げながら、最高の商品を日本の食卓にお届けしています。

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