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【代表が語る】#前編:生きる道を常に探し求めていた

私が代表を務めるリクロマ株式会社は”気候変動の産業化”に向けてあらゆるサービスを提供する会社です。

https://rechroma.co.jp/

現在は気候変動・温室効果ガス算定に関する課題を抱える企業へのコンサルティングと研修を軸にしていますが、これらはミッション達成のための1つの事業にすぎません。

あくまでも目指しているのは100年先の気候変動の産業化で、そこからの逆算で私たちのミッションや事業は組み立てられています。

思い返せば"逃げ"の姿勢から創業されたリクロマは、なぜ遠い先までを見据えた社会課題に取り組んでいるのか。また、そのためにどんな事業計画を立て未来を描いているのか。

この記事では、私自身がよく尋ねられることについて前編・後編に渡り、起業時のエピソードまで遡ってお話ししていきます。

ニッチな生きる道を常に探し求めていた

大学時代の私はろくに授業も出ずにAIESEC(アイセック)という海外インターンシップを運営する学生団体に入り、海外によく行っていました。今思い起こすと自分の生きるスペース探しをしていたのかもしれないと思います。

そんな状態を悲観していたわけではありません。ゴールを決めてそこに走るのが得意な人はたくさんいるが、自分はそういうタイプではない。しかし興味のある海外に関わることなら頑張れるという思いだけは持っていたので、自分を活かすために行動していました。

開成中学・高校という進学校に通っていたことから、半年間勉強しただけで東大に余裕で合格する同級生を見てきたなかで、メインストリームではなくニッチな生き残る道を探すというのが当たり前の考えになっていたのです。

それでも大学3年の後半からは一応就職活動をはじめました。何社かから内定はもらったものの、それらの会社で働くイメージがまったく湧かなかった。そのうち一社が外資系企業に買収されたりもしながら、内定をすべて辞退したのは大学4年の2月でした。

就職はしないけど、中高私立で大学まで通わせてくれた親に申し訳ないという気持ちもあり、AIESECのつながりで海外に行って時間を稼ごうと思い、卒業後半年間はメキシコの会社でインターンとして働こうと思いました。

メキシコ滞在中の詳しいエピソードはまた別の機会に譲るとしてここでは割愛しますが、異国の地で改めて自分と向き合ってみると、進学校で落ちこぼれて2年浪人した挙句、大学にもあまり行かなかった自分は社会適応性がない。

こんなマインドの人間を雇ってくれるところもないだろうから、やっぱり起業しかないなという思いを強くしていきました。

大きな概念に逃げたくて、気候変動の領域で起業

そう考えていた矢先、日本企業の知り合いの方から北米のスタートアップを調べてほしいという依頼(より正確には不憫なのでなにか仕事をあげたいという温情)があり、かなりのリサーチをしました。

すると、どの会社の創業者も華々しいキャリアで、すごい額の資金を調達していることを知りました。そもそも10万円以上のお金を使ったことないような人間だったので◯◯億という数字を獲得して使っていくという意味がよくわからなかったのを覚えています。

これでは受験という短期的なゴールに一直線で走れなかった自分に起業はできないかもしれない。「自分には起業という選択肢もないのか」と絶望感を抱いたことを覚えています。

しかし、リサーチの手を止めてもこれから何をやるのかという問題は解決しません。それ以外の道はないものかとスタートアップ以外の企業を調べてみると、最初に資金はそれほど必要なさそうなことがわかりました。

また、将来的には成長しそうな領域でも、はじめはゆっくりと、徐々に大きくなっていく企業が多いこともみえてきました。自分でも地味で目立たずにやっていけばなんとなるんじゃないかと仮説を立て、長期で勝負できる領域探しに希望をつなぐことにしました。

結果としてリクロマでやっている気候変動の産業化につながる環境領域を選んだわけですが、その理由は3つあります。

1つは、将来性のある領域だったことです。

環境領域にはメキシコ滞在時に自然災害を目の当たりにするなかで興味を持っていたのですが、それとは別に私自身が高校までバスケットボールに打ち込んでいた経験からスポーツ領域で起業することも選択肢にありました。

その2つを天秤にかけると、スポーツ領域ではすでに力のある企業や人といった構造ができあがっているが、環境領域のほうは自由度高く創り上げていける可能性が高いことがわかりました。

当時は、SDGsやESGがいまほど世間に認知されている状況でもなく、環境領域で先行していた人はほとんどいなかったのではないかと思います。

2つめは、大きな概念に逃げたかったからです。環境や自然や歴史などは、逃げる対象としてぴったりでした。

正直に言えば、環境領域を選べば「自分がすごいことをやっている」感が出るのではないかとその程度の考えもありました。高校卒業して、浪人し、大学もほぼ行かず、結果メキシコでふらふらしているという「ヤバいヤツ」という自己認識による事実から逃げたかったのを覚えています。

3つめは、長期的、持続するものへの憧れです。自分自身が7歳までに4回転校してきた経験からか、人間関係が短期的なものだと刷り込まれている節がありました。

しかし願いとしては人と長期的につながっていたいし、事業も同じく長期的に続いていくものであってほしい。振り返ってみるとこの理由で今の道を選んだように思います。

リクロマで働くスタッフも転職や独立でいつか組織を離れることもあるでしょうが、どこかのタイミングでつながっていたり、戻って来られるという関係性を続けていきたい。いまはそれを作り出そうしているんじゃないかと思います。

「気候変動の産業化」に本気になった瞬間

環境領域で起業を決めたものの、起業当初はそこから何に取り組めばいいかがわかりませんでした。

それで視野を広げようといろいろな人に会っていたのですが、そのうちの一人で、気候変動に取り組むNGO「CDP Worldwide-Japan」代表の森澤さんという方に「うちで契約社員としてやってみたらどう」と声をかけていただき、自分の会社をやりながら契約社員として働くことになりました。

結果としてこれが大きなターニングポイントになりました。CDPで働くなかで気候変動という大きな社会課題と、それを取り巻く業界の構造も知ることができたのです。

構造として大きな流れがあって面白い、しかし誰もやっていない、やろうと思っている人たちは金融関係者が多く長期的な視点を持っていない――。

この領域なら自分でも何かできるかもしれないと思い直し、気候変動にフォーカスすることにしました。

実際に事業をはじめてからはマーケットが伸び続けるなかで事業も順調に成長し視野も広がり、それゆえに楽しいという気持ちが強かったですが、「このままやり続けることは自分にとってどうなんだろう」という問いも持ち続けていました。

あるタイミングで、「そもそも自分はどういう人生を送りたいんだっけ?」と、子どもの頃までを振り返ってみて、自分自身のミッションを「安心安全の場を作り出し、チャレンジし続けること」と紡いでみました。

そのミッションと気候変動を重ねてみると、「天災は安心安全を脅かし、何かをやっていこうとするチャレンジを阻む」という意味で、この領域でやり続ける意義を捉えることができ、将来にわたって自分がすごく頑張っていけると感じた。自分の意識が明確に変わった瞬間です。

そこからは会社や人としての成長がうれしいだけでなく、自分たちがいることによって気候変動が緩和されるかもしれない、10年、20年、30年先には、社会のためにいいことをやっているんじゃないか、と思えるようになりました。喜びの種類が増えた感覚ですね。

→後編へ続きます

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