蒸し暑い日が続いてますが、皆さま体調はいかがでしょうか。
かなり暑がりの私はもう外に出ると溶けそうな毎日で、
8月どうなるのだろうかと今から不安です。
本日は看護師が「当たり前」のことをする難しさについて書きたいと思います。
日々様々な現場を見学させて頂くことが多くその過程で、最近感じていることです。
衝撃的なニュース
日々様々ニュースがあるのですが、看護師関連でインパクトに残っているニュースがあります。
最近と思っていましたがもう半年近く前のニュースになるんですね(時が経つのは早すぎる)。
このニュースが流れた時私周辺のX(旧twitter)もかなり荒れました。
私も本当にこのニュースには衝撃を受けました。
あくまでもニュースの情報しか得られず詳細不明ですが、
このニュースを見た瞬間に思ったことは
「もう全員オムツかバルーンやん!!」
※バルーン=膀胱留置カテーテル、繋ぐと自動的にカテーテルから排出されて、袋に溜まるので排尿の度にトイレへ行く必要はない)
かなり極論ですが、
患者を歩かせたことで看護師が訴えられるのであれば、
看護師は自分が訴えられるリスクを負ってまで患者を歩かせたくなくなると思います。
つまりもう全員バルーン繋げば良いですよね、
もしくはもうオムツですよ、
これで患者はトイレのために歩く必要はなくなり、
看護師も訴えられる心配が1つ減ります。
ただよくニュースを読んでみると、
睡眠導入剤を内服
上記ニュースリンクより
と記載があるので、
内服した導入剤の種類や量、内服からの経過時間によっては、
車椅子にするべき患者だったかもしれません。
この辺りは諸々詳細がわからないので、
その時どう現場が判断したのか知りません。
(睡眠薬についてここでこれ以上議論する必要はないと考えています。)
という細かい点は気になりますが、
多くの看護師がこのニュースを見た時、
「もう患者歩かせられないじゃん!」
「全員オムツにするか」
といった私と似たような感情を抱いたのではないかと考えています
看護師が患者を歩かせる意味
看護業務の1つに療養上の世話があります。
療養上の世話といっても壮大過ぎて(だから看護師は忙しいのですが)、
様々な考え方や解釈があります。
看護師が療養上の世話をする上で、
ある程度の方向性や考え方が世界中にたくさんあるのですが、
その方向性の1つに残存機能を活かすという考えがあります。
漢字のままですが、「今残っている機能を活かす」という考え方です。
例えば「食べる」という1つの行為には、
多くの機能が上手い具合に調和した結果可能となる行為です。
「食べる」という行為をざっくり因数分解すると、
- 空腹を感じる
- 食べたいと思う
- 目の前の食べ物を認識する
- 認識した食べ物を適切な道具を使って掴む
- 掴んだ食べ物を口元に運ぶ
- 歯を使って咀嚼する
- 舌を使って食べ物を口の奥に運ぶ
- 嚥下できると判断する
- 嚥下をする
もっと細かくできるのですがこれくらいにしておきます。
この中に1つでも上手く働かないと「食べる」という行為はできないのです。
しかし、
この中の1つでも上手く機能しない=食べられない=チューブで栄養補給をする。
にはなりません。
「掴んだ食べ物を口元に運ぶ」ことが難しい人には、
口元まで誰かが運んであれば良いし、
「歯を使って咀嚼する」ことが難しい人には、
予め刻んだ食事を提供すれば良いです。
このように今出来ないことを補うことで、
行為そのものを諦める必要もないし、
その方に残っている機能を活かすことができるのです。
1つでも出来ない=食べられない、
と判断して例えばチューブで栄養を与えるような方法に変えると、
本来であれば使えるはずの機能も使う機会がなくなるので、
本当に食べられなくなってしまいます。
前置きが長くなってしまいましたが、
多くの看護師はなるべく患者さんの残存機能を活かしながら、
療養上の世話を行なっています。
上手く食べることができない患者さんを、
「この人食べられない」と判断して、
チューブに繋ぐのは簡単です、
そして正直なことを言います、
看護師の業務量という観点だけで見ると、
そっちの方が楽です。
食事介助をしたり食事を見守る手間と時間が削減されます、
チューブに繋いでおけばある程度自動的に栄養が一定の速度で注入されるのです。
でも多くの看護師をはじめ、医療介護職はそうしていません。
- この人はどこまで出来るのだろう、
- ここまで出来るのであれば、ここを手伝おう
- この手伝い方だと上手くいかないか、では次はここを工夫しよう
- リハビリの結果ここも出来るようになっている!では次はこうしよう
毎日この繰り返しです、
常にみんなで試行錯誤しながら、
今の患者さんの状況に適した療養上の世話をしています
ここでやっとタイトルと繋がるのですが、
だから患者さんを歩かせるのです
車椅子に乗せるのは簡単です、
むしろ車椅子に乗せて移動した方が時短ですし、
患者が転ぶ心配もないです
でも介助で歩けるのであれば歩いた方が、
患者さんの残存機能を残すことができるし、
今後できることが増える可能性だってあるのです
だからわざわざ患者さんを歩かせるのです
「当たり前」の難しさ
「プロなんだから、その人に合った世話をするのは当たり前じゃん」
と言われてたらそうです。
確かにどういう情報を元にどう判断するのかという、
思考のプロセスを看護師は訓練されているし、
現場でも日々この繰り返しです。
でも今の現場看護師にとってこの「当たり前」を「当たり前」のようにすることは、めちゃくちゃ大変なのです。
看護師自身が努力と工夫をしないとできない現実があります。
正しい判断をするためには、
多くの主観的データや客観的データを元に、
今の患者さんの状況をじっくり観察する必要があります。
時間がかかる患者さんはとても時間がかかります、
思わず手を差し伸べそうになりますが、
そこはグッと堪えて、
この人が今どこまで出来るのかを判断する必要があるのです。
この「待つ」とか「患者のペースに合わせる」というのは、
それこそ周りの方から見ると「当たり前」に見えるかもしれませんが、
現場は常に1分1秒を争っています、
冗談抜きでみんな本当に分刻みで毎日動いています。
そのような中でこの「待つ」という行為はある意味忍耐力が問われます。
お子様がいる家庭だと似たようなご経験をしたことがあるかもしれません。
朝のバタバタで1分でも早く家を出なくてはいけない状況で、
子どもが自分で靴を履こうとしている、
でもそれを待っているとバスに間に合わない、
だから子どもが履きたいのを遮って、
大人がパッパと履かせてしまう・・・
子どものやりたい意欲を無視して、
大人の都合で動いてしまうような経験をある方は多いのではないかと思います、
少なくとも私は数え切れないほどあります・・・
看護師が患者さんの今の状況を正しく把握するために、
じっくり観察する、
そのために待ち、その方のペースに合わせることを「当たり前」にするのは本当に難しいのです。
「当たり前」を実践するために日々努力している現場
日々様々な病院の看護の現場を見学させて頂く機会が多いのですが、
看護師はこの「当たり前」を実践するために、
本当に毎日試行錯誤しています。
看護師同士で情報共有し、
他職種とカンファレンスをしながら、
出来る限り今目の前にいる方のに適切な看護を提供しようとしています。
働き方改革という言葉が当たり前になりつつあるこの時代に、
働き方改革とは真逆の、ある意味ではどろくさい業務を、
毎日看護師は繰り返しています。
働き方改革の観点だけで考えると、
もう全員チューブに繋いで時間管理すれば良いのです。
時間で決まった量の栄養を注入して、
時間でオムツ交換をして、
時間でバルーンに溜まった尿を回収すれば良いです、
決まった時間にあらかじめ設定した所要時間内で、
機械的にシャワーに入れれば良いのです。
こうすれば看護師は業務時間内のスケジュールも立てやすいし、
時間外業務をする必要もかなり減ります。
でも皆さまご存知の通り、
実際の現場はそうではないです。
日々現場の方の試行錯誤と努力と工夫の繰り返しの結果、
今の現場があるのです。
看護師が「当たり前」を実践するために日々努力をしているし、
中には自分の一部を犠牲にしてこの「当たり前」を実践している看護師も、
全国に多くいると思います。
私は看護師個人の自己犠牲や努力の上でしか成り立たない看護はおかしいと思っています。
これが私が現場看護師を辞めて、キャリアチェンジをした理由の1つです。
メディカルギークは、
現場で毎日目の前の患者さんと真剣に向き合っている看護師たちが、
個人の努力や工夫がなくても当たり前に、
その患者さんや家族に寄り添った看護が提供できる社会を、
チーム一同毎日真剣に目指しています。
当社の事業に興味を持たれた方は、遠慮なくご連絡頂けますと嬉しいです。