こんにちは!ULC広報担当です。
ULCグループは、ライフサポート事業を展開している会社です。
記念すべき初ストーリー投稿。
今回は、代表取締役である”増本社長”に生い立ち~未来の展望までインタビューしてみました。
~増本社長プロフィール~
小学1年生~大学まで14年間、サッカーに没頭する日々
2014年~2020年
自動車販売会社に入社する。
国家1級整備士・検査員の資格を武器にサービス・鈑金、フロント、店長を経験。
2020年5月
カーショップマスモトを起業。
2023年5月
株式会社ULCを設立。
2024年8月
株式会社ULC-Iを設立。
保険事業をはじめる。
株式会社ULC-Sを設立。
レンタカー事業をはじめる。
2025年2月
株式会社S.h.i.v.aを設立。
不動産事業をはじめる。
緊急事態宣言の日に起業――嵐の中の船出
ーご経歴の紹介
岡山県笠岡市の出身で、子どもの頃から車が身近な存在でした。最初は姫路の医療系の学校に進学したのですが、自分にはどうも合わず、2年で中退しました。
その後、徳島の工業短期大学に入り直し、二級整備士、そして一級整備士の資格を取得。トータルで6年間、学生生活を送ったことになります。
卒業後は岡山に戻り、当時年商130億円規模の自動車販売会社に就職しました。社員数はおよそ300人。整備の現場からスタートし、フロント業務、新店舗の立ち上げ、転勤も経験。最終的にはサービス責任者的なポジションを任されるまでになりました。
24歳から31歳まで、車の世界で必死に走り続けていた7年間でした。
そして31歳のとき、独立を決意。起業日は2020年5月1日――奇しくも全国に緊急事態宣言が発令された日であり、まさに“嵐の中の船出”となりました。
家族への劣等感がエンジンになった
ーなぜそこまでして独立を?
一番大きかったのは、「家族に対して抱いていた劣等感」ですね。
姉は某大手の人材会社でバリバリ働いていて、弟も建築の道に進み、いわゆるエリートコースを歩んでいました。家族で集まると、自然と「将来どうする?」とか「どんな価値を社会に出せるか?」といった仕事の話になる。でも、自分だけは普通のサラリーマンで、胸を張って語れるものがなかったんです。
――小さい頃から、親には「欲しいものがあるなら、自分で稼げ」と言われて育ちました。祖父も、父も、母方の親戚もみんな経営者。だから、自分も当たり前のように「将来は社長になるんだ」と思っていた。でも、大人になった自分は、ただの会社員。それが、ものすごくモヤモヤしていて…。
だからこそ、「車しか知らない自分だからこそ、車で勝負するしかない」と腹を括りました。
ちょうど実家の近くにいい物件が出たこともあり、資金をかき集めて準備をスタート。でも、開業直後にコロナ。お客さんが全然来ない。資金繰りは厳しく、年末には手元の資金が100万円を切って、「ああ、これは本当に潰れるかもしれない」と覚悟した瞬間もありました。
そんなときに出会ったのが、ロードサービス事業でした。
JAFから「この地域を担当してほしい」と声をかけてもらい、24時間365日の待機業務を、たった一人で引き受けることに。正直、もうお金もなく、やらないという選択肢はありませんでした。
寝ていても呼ばれればすぐに飛び出す。体力的にも精神的にもギリギリの毎日。でも、必死に食らいついて続けていたら、いつの間にか案件数が西日本トップに。売上も、全国トップ10に入るまでになりました。
ロードサービス事業とは:車の事故や故障などで走行不能になった際に、レッカーでの移動、タイヤのパンク修理、バッテリー上がりへの対応、キーの閉じ込み解除などの緊急対応や応急処置を行う事業。
社名に込めた、仕事への原動力とは?
ー会社名「ULC」の意味とは?
「Unlimited Chance, Unlimited Challenge」
僕自身、これまで何度も壁にぶつかってきました。でも、挑戦することでしか、人生を切り拓くことはできなかったと、心から実感しています。
だからこそ、これからの仲間たちにも、“挑戦できる舞台”を用意することを約束できる会社でありたい。
挑戦は不安を伴うものですが、その先にしか、ほんとうの成長や喜びはありません。
この言葉には、そんな想いを込めています。
ーそこまで社長を突き動かすものって何ですか?
僕の原動力は、ふたつあります。
ひとつは、幼少期から抱えてきた劣等感です。
家族の中で、自分だけが「平凡」だと感じていた。姉や弟がそれぞれの道で輝く中で、
「自分はこのままでは終われない」と、ずっと心のどこかで焦っていました。
もうひとつは、人への感謝です。
たとえば、能登半島地震のとき。発生から2日後には、物資を積んだトラックで現地へ向かいました。知り合いもいない土地で、インスタを通じて繋がりを探しながら支援活動を続け、1週間泊まり込み。最終的に、計4回現地を訪れました。
あのとき、現地で出会った人たちの温かさや助け合いの心を、全身で感じました。
「自分も、社会に助けてもらってきた。だからこそ、その分を返したい」
――その想いこそが、今の僕の原動力になっています。
ー社員の特徴ってありますか?
僕の勢いを「面白い」と感じてくれる人が、周りに集まってきてくれている気がします。
「なんかこの人、やるんじゃないか?」って思ってくれているのかもしれません。
社員に対しても、「やりたいことがあるなら、遠慮なく言ってほしい」というスタンスです。
たとえば不動産事業は、「新しいことにチャレンジしたい」と相談されたのがきっかけでした。僕自身もその想いに共感して、一緒に立ち上げたんです。
僕は“箱”を用意するから、あとは自由にやってもらう。
そんなふうに、誰かの挑戦を後押しするカルチャーが、この会社にはあると思っています。
50歳で引退。次は起業家の伴走者に
ー会社の今後のビジョンはありますか?
車の性能や強度は年々向上し、事故の件数も減少傾向にあります。
そのため、ロードサービスの需要は、今後右肩下がりになることが予想されます。
だからこそ僕は、40代・50代になって体力的にロードサービスの現場が厳しくなったとき、
「もうあなたは働かなくていいです。さようなら」
――そんなふうに社員を切り捨てるような会社には絶対にしたくない。
自分の人生を預けてくれる仲間に対して、最後まで責任を持ちたい。
そして、社員が定年まで安心して働ける、そんな会社をつくりたいんです。
「この会社で、この先もずっと働き続けられる」。
そう思ってもらえる環境を用意するために、事業の多角化に取り組んでいます。
ーご自身の将来像は?
僕は、50歳までしか働かないと決めています。
それまでに、会社が自走できる仕組みをしっかりと整え、50歳以降は「起業家を支援する側」へと回りたいと考えています。
起業初期の、あのどうしようもない孤独や不安のつらさは、僕自身が身をもって経験してきました。
だからこそ、これから挑戦する後輩経営者の話を聞いたり、背中を押したり、寄り添える存在でありたいです。
今もすでに、起業家へのメンタリングを行っていますし、逆に自分も大手企業の経営者から学びを得ている最中です。
人生の後半は、「恩返し」に全力を注ぐつもりです。
不器用な社長を支える右腕とは?
ー弊社では社長のナンバー2となる方の募集をしていますが、どんな方と働きたいですか?
正直に言えば、僕は不器用な人間です。
やりたいことはたくさん浮かぶのに、それを具体的に形にしていくのが得意ではない。
だからこそ、僕が描いたビジョンを実行に移し、
組織の動きを見ながら現実に落とし込んでくれる“右腕”の存在が必要だと感じています。
僕の勢いやアイデアを、地に足のついた形に変えていく役割。
いわゆる「ナンバー2」として、一緒に経営を支えてくれる人。
社員の間に入り、現場の声を拾いながら、チームを前に進めてくれるような、
そんな存在を、いま本気で迎えたいと思っています。