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01|創業ストーリー

略歴

2018年 順天堂大学スポーツ健康科学部を卒業。

新卒でアロージャパン株式会社(携帯販売代理店)に新卒採用担当として入社。不人気な通信業界ながら約60名の採用を行う。また、みん就インターン人気ランキングで大手人気企業がひしめく中、400社中全体8位を獲得する。採用コンサルタントとして学生から不人気な業種の新卒採用コンサルティングを経験したのち、AnyMind Group(インフルエンサーマーケティング/広告代理店)へ転職。その後2021年末に株式会社Noah Styleを創業し、独立。
現在はWeb・SNSを活用した企業のマーケティング支援や成長産業でのビジネスを展開しています。


創業者の学生時代

順天堂大学硬式野球部で、2回目の東都リーグ入れ替え戦が終わると、その神宮球場からの帰り道で心の違和感に気づきます。

「今のバッティングがあれば社会人を目指せるぞ」当時のコーチにそう言われます。

ノンプロとして野球で飯が食っていけるかもしれないという意味です。

しかし、僕の心は躍りませんでした。


ある意味、僕の人生が始まったのはここからでした。

小学生に入る前から親父に無理やりマンツーマン指導をされ始まった野球人生。振り返ると自分には野球以外に何も残っておらず、覚悟を決めた中学時代。思い残すことばかりで終わった高校野球最後の夏。

親父が亡くなった後も野球ありきでしか人生を考えることができず、野球指導者を目指した大学時代。親父に引かれたレールの上での人生を歩んでいた僕は、この日ふと思いました。

「なんで野球してるんだろう?」

好きで始めたわけでもなく、指導者として一流になりたいわけでもなく、ただ消化不良で選んだ大学野球で毎日バットを振り、ボールを追いかける理由がわからなくなりました。

そんな時に出会ったのがのちに新卒入社することとなるArrow Group。


そこで衝撃的なスケールの野望を持った仲間や大人たちに出会い、

自分は心のどこかで『どうせ自分には無理。並みの人間なんだ』と決めつけていたことに気づきました。

とても激しい後悔だったことを今でも鮮明に覚えています。

この後悔をきっかけに、
本気になれるものを探そうを決意し、退部届を提出しました。”惰性で続けた野球”から離れました。

これが2016年、大学3年生の夏です。


人生の目的を見つけた日

そこから2ヶ月で約100人の人生を聞いて、近所のマクドナルドで情報を整理。いいなぁと思える人生の共通点は”1度きりの人生やりたいことをやってやる”というマインドでした。

"どうせ自分には無理。並みの人間なんだ"
これと正反対のものを求めていたのです。

大学3年生の冬。この日からどうせ無理だと思うことをやめました。
『”どうせ無理”という蓋を自分からも周りの人からも外せる人間になろう』
人生の目的が明確になった日です。

学生ながらできることはないかと、すぐに就活でできた仲間を集め、不定期にオフィスBarイベントを開くようになり累計1,000名を1年間で動員。”夢活”というコンセプトの講演を通して、蓋を外すことの練習に近い活動も行いました。

たまに開くBarイベント、TAMANI Barの様子


社会人になってから独立までの歩み

略歴でも書きましたが、要点だけまとめるとキャリアは次の通り。

新卒入社したアロージャパンで採用領域を学び、2020年3月に転職。
AnyMind Groupに入社。その頃のAnyMind Groupは、約5年で13カ国展開、1,000名規模に急成長。2022年2月22日東京証券取引所に上場承認され、2022年3月30日にIPO(新規上場)

AnyMindでは、いわゆるインフルエンサーマネジメント業務や企業アカウント運用などの部署に配属されたものの、知見も経験もなく「どうやって伸ばせばいいんですか?」と上司に聞いたところ「自分で勉強するしかないね」という衝撃的な一言。

そこから約3ヶ月毎日寝る時間を削りつつSNSアルゴリズムの解析に明け暮れ、気づいたら他部署の方に『SNSに一番知見ある人って聞いたので質問に来たんですが、、』と毎週のように相談をもらうようになりました。

それほど、社内にはノウハウもない状態で未経験の僕を採用したわけですから、僕自身が独立するノウハウを培うには十分でした。自分でノウハウ構築をしたのち、平均で常に20アカウントほど、担当の入れ替わりなどもあり累計で50アカウント以上を担当。


中には本田圭佑さん、田原俊彦さんなどのビッグIPも担当させていただきました。

田原俊彦さんのTikTokでは100万再生超えを5本創出


創業ストーリー

その後、紆余曲折あって森本さんのマネジメントをしているCKプロダクション様との商談の機会をいただきました。野球×SNSに強い人を探しているというマネージャーさんからのお誘いでした。

(マスク姿がパンデミック渦中・終盤の出来事だったことを思い出させます…)

そんな最中、CKプロダクション代表の工藤さんからビッグサプライズ…

『森本と資本関係作って相互に支えあっていく形はどうですか?』

野球をやっている人ならわかりますが、あの黄金期の日ハムファイターズの中心人物、森本稀哲さんと仕事をする日が来るなんて…と有頂天な気持ちもありつつ、


『こんな強力なサポートをいただけるなら、描いていた理想の会社を創っていける』という確信に近いものがありました。


しかし会社とは何か?どうあるべきか?

その時に熟考し、今でも変わらぬ原点となっている考えは

会社とは『縁ある人を幸せにする』機関である。ということです。


これまででお伝えしたとおり、僕はご縁に生かされてきた人間。だからこそ”大切にしたい人”にできるだけ多くのリソースを使い、少しでもプラスにする機関として、価値提供する。

会社を大きくしたい!などの気持ちよりも、価値提供したい縁が増えたらそれに合わせて拡大する。という感覚で目の前のクライアント、従業員を大切にできる機関こそ理想の会社だと考え、出発しました。


これからを共に作るメンバーへ

Noah Styleという社名は『ノアの方舟』の物語をイメージして名付けました。

ノアの方舟はざっくりいうと、混沌とした世の中を神様が大洪水でリセットする。その時にノアという青年に一隻の大きな舟が渡され、生物のつがいを1組ずつ乗せて洪水後に作る楽園に連れて行けというお話です。

インターネットの始まりは1967年。米国の国防総省の資金提供により研究を開始したパケット通信のネットワーク、ARPAnet(Advanced Research Agency Network)が普及しました。

手のひらに収まる端末で世界中と繋がるようになり、今ではホームページがない企業の方が珍しいほどにWeb制作の需要が高まりました。


そしてSNSの始まりは2003年ごろ。米国で誕生したサービスで、「Friendster」「Facebook」「MySpace」等が有名です。 日本では2004年頃からサービスが始まり、日本最初のSNSと言われる「GREE」や「mixi」もそこの頃に大流行。

そして「Instagram」「TikTok」「YouTube」「LINE」「X」などは現代人のライフラインとも言えるまでになり、『企業SNSアカウント』はホームページに匹敵し、それ以上の拡散効果をもつアカウントまで存在します。


そして今、人々はSNSで情報を求めるようになりました。


下の図表でも分かる通り、世代が若くなるごとに『YouTube』『Instagram』『TikTok』など動画で情報を求める行動傾向が見られており、企業の情報発信には動画が求められている時代です。



インターネット検索の時代は約50年続きました。


そして今、インターネット時代は転換期を迎えています。

国内だけで400万社以上ある企業たちはこの50年で作ってきたホームページと同じような自社のハブをSNSでも作ろうとしています。

この巨大なニーズは当社の業績にも影響しており、創業から3年間で66社とのお取り引きが生まれました。


今後さらに拡大していくSNSマーケティングの市場において、当社も基盤が整ってきたところ。

ここから作る大きな事業拡大の波を一緒に渡っていきたいと思える方はぜひ、ご入社を検討いただければと思います。

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