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最高の普通を

月刊ZENIYA&LIFE」のタイトルに併記してある言葉にお気付きでしたでしょうか?「最高の普通を」は錢屋本舗本館がめざすところを示しています。普通をヨシとしながらも、その中での最高を目指したいということですが、普段の生活を丁寧に、基本的なことをより良くしたいという気持ちを表したものです。普通と思えるものの幅を広げられたら、とも思います。

暮らしに必要な「特別」とは?

 暮らしの中に特別な日、特別な人、特別な場所、特別な場面、特別な時間、特別な出来事…言い出せばきりが無いですが、そんな「特別」がどれくらい必要なのかと考えてみたことがあります。
 晴れ着、晴れ舞台という表現があるように特別な日を「ハレ」の日と言いますが、それに対して日常を「ケ」と言いました。明治以降の生活様式の変化によりそれらの境界が曖昧になるに従い、使われなくなったようです。近代化は均一的な豊かさをもたらし、毎日をハレの日にしたのでしょう。昭和に入ってからも戦後復興、高度経済成長、バブル景気など豊かさを求めた生活様式の変化を何度も経験したわけですが、コロナ禍で立ち止まって考え直しながら、求める特別は、更なる豊かさなのだろうか?というのが冒頭の疑問です。

そのままの時間素のままの良さ

 使われなくなった「ケ」という言葉を「ス」と置き換えてみました。現代においては素のままの良さを楽しもうということです。いつもの誰かと、当たり前の日常を、淡々と過ごす普通の時間を見直したいと思います。特別は必要だけれども、その特別に自分なりの幸せのビジョン(像)が想い描けないと、つい世間体やお金に置き換えて価値を計る習慣に影響されがちです。誰かに羨ましがられる生活は必要なく、自分が満足できる生活がしたいと思います。若い世代の方々は、これを老成した発想だと感じられるかもしれません。「やることをやって手に入れるものを手に入れたから」だろうと。
 上本町は幅広い世代、新旧の住人が入り交じり、個性も育った背景も経験も目的も違う様々な立場の人々が交ざって暮らす町ですから、もちろんその違いを認め合うことが前提ですが、互いが自分の幸せを語り、他人の幸せを認めて喜び合えたら、それは特別なコトでなくても十分に幸せだと思います。
 どんな人生も幸せに全うすることは自分の責任ですから、自分の幸せのビジョンもしっかりと想い描きながら、読者の皆様からも色々な幸せをお聞かせいただき、誌面でもご紹介できたらと思います。

月刊ZENIYA&LIFE 6月号より)

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