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祖業の酒造を復活!これから10年の柱にします

私どもは100年以上続く酒造会社です。
しかし、二代目が急逝し、倒産寸前だった世嬉の一を売ることや廃業することなく続けられたのは、三代目が思い切って工場を共同工場(他社と一緒になる)に変え、余った蔵をレストランやクラフトビール工場、直売所にし、なんとか蔵を保存し、会社を維持してきたからです。
この地で醸造の火が消えたのが40年前になります。

さて、そんな中、事業再構築補助金認定されました!
あまり自慢できないのですが、売上減少している会社が事業を再構築するともらえる補助金です。

当社は今まで、売上構成比でビール、レストラン、清酒・・・の順でしたが、世嬉の一酒造といっているのですが、ほぼビールとレストランで会社を運営してきました。
コロナ禍で、レストラン需要が望めない現状で、今後10年を考えた時に祖業である清酒づくりを本腰入れようと考え申請しました。

新しい酒の工場(工房レベル?)を造ります!めいいっぱい申請しました。
事業終了は来年の8月までです。

最近は、三浦杜氏さんと打ち合わせ、設備屋さんと打ち合わせ、明日も設備屋さんと打ち合わせ・・・普段と異なりワクワクする打ち合わせです。

実は新しい清酒工場を造る計画(酒蔵復活計画)は、共同醸造になった40年前からずっとあったのです。しかし、倒産しそうな会社をまずは立ち直らせるのに一心で・・・軌道にのってからも宮城県沖地震があったり、岩手内陸地震があったり、東日本大震災があったり、で毎回被害がでてそれどころではなくなって・・・最後はコロナでまた延びるか・・・と思った矢先に、逆転の事業化再構築補助金!
ツイテイルとしか思えないです。

酒造りをなんでしたいか・・・清酒づくりは地域と密接につながっています。農業とのつながり、農業は自然とつながる、そして飲むシーンは人生の喜怒哀楽の中で、町の中では祭りや神事など・・・

今一関の街も元気がないです。10年後、20年後・・・100年後はどうでしょうか?今のままでは元気ないかもしれません。

昔勤めていた会社の上司が「22世紀の子供たちへ」というコンセプトで経営を考える必要があると言ってました。25年も前の話しですが、その当時から地域に生きる企業は100年先を見て経営していかないとという話です。

父は、地域の風景だからということで、無理して蔵を存続させました。蔵のある風景は一関の宝であり、たまたま世嬉の一が管理しているだけだという考え方です。

私は、22世紀の子供たちに(たぶんひ孫の世代)に残せるものとして、地域の自然、一次産業、と酒蔵が結びつき、地域の文化を伝えられ、結果として世界から来訪者が来るような事業に成長するのかなぁと思います。

それが自身のためだけでなく、地域のためにもなると思うからです。

その第一歩です。だからタンクの設計図をみるだけでワクワクします。
甑の設計図、麹室の設計図・・・ワクワク和します。
唯一現実に戻されるのは見積書を見た時です。

でもワクワク感ってコロナ禍であまりなかったのでは・・・人生で大切な気持ちですね。このワクワク感があれば多少の困難はなんとかなりそう。

そして、今必死に頑張っているスタッフにも報われるときがくる予感がします。

楽しみです。

皆様も期待していてください。

そして、共感してくれる新しい仲間も同時に募集しています。
酒造りスタッフ1名とブランディング・マーケティングスタッフ1名を追加で募集します。清酒はゼロからのスタートに近いですけど、興味のある方はご連絡ください。
製造スタッフ募集はこちら

https://www.wantedly.com/projects/672552

ブランディング・マーケティングスタッフ募集はこちら

https://www.wantedly.com/projects/672615

コロナで当社もどんどん新しいことを行っていますが、常に思うのは今の困難なことは未来が良くなるためにあると思うことです。震災から10年たって、あの震災があったから今の世嬉の一の成長があると言えます。次の10年後はコロナ禍で苦労したから今の嬉し楽し世嬉の一があると自分に胸張れるようにがんばります。

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