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田舎の眼鏡屋が世界のカール・ツァイスに認められるまで                             ~1話~ 小松眼鏡店から株式会社パーソナル・グラス・アイックスまでの歴史

入社4年目と入社2年目が社長に今まで聞けなかった会社沿革に載っていないEYEX’のことについて聞いてみました!



松岡大:某大手アパレルブランド、IT企業を経てEYEX’に入社。7月で4年目。



伊藤風喜:舞台俳優を経て、EYEX’に入社。4月で2年目。



松岡

まずは僕から聞かせてください。

先代から引き継ごうと決めた時の思いや契機、引き継ぐまでの経緯を教えてください。


社長

実際独立したっていうかアイックスにしたのは33歳の時、引き継いだのもね。


松岡

引き継がれるまでは先代の元で?


社長

23歳の時に福岡で2年間務めとったところをやめて親父がやってた眼鏡屋に、実家に帰ったんよね。

でその時にはまあ、うちには兄貴がおって。

兄貴が親父とやってたけれども、帰ってきてくれということで帰って。


松岡

はじめは別のところで働かれていたんですね。


社長

そうね。それで家業に入ることになって。俺は外回りして兄貴は店番で。

でも売り上げがなかなか見込めんし、その時に小松眼鏡店っていう名前に変えたんよね。小松時計店からね。


松岡

あー、”時計店”から”眼鏡店”に。


社長

そうやりながら、まあその次の年に俺、結婚して。

兄貴夫婦と専務と俺と 4 人でやりながら、俺だけは外回りに行って営業してくる。兄貴と兄貴の嫁と専務とで店番して。でもまあそんなに売れるもんじゃないしさ。


松岡

結構厳しかったんですか?


社長

福岡で勤めた時、売上の 20% 給料もらえよったけん、まあ少なくとも30万ぐらい給料あったんよね。売上150万あったら30万もらえるけん。

多い時は300万売ったりもしよったけどさ。60万ぐらい貰ったりしよったよね。

22、23ぐらいの時。


松岡

おー、すごい。


社長

で、(実家に)帰って、給料固定給。15万。


松岡

えええ。


社長

でも家は実家やったけん。

で結婚して、給料変わらず。専務がなんぼやったかな、7万円ぐらいやったかな。

だから15万と7万で22万で、アパート借りて。

でもなかなかその、店の売り上げが上がらんもんやけん、俺、給料ももらえんような状況になってきたよね。


松岡

それはどれぐらいですか?何年後ぐらいなんですか?


社長

7 年ぐらいかな?で、もう専務がそこで働いても給料もらえんけん、水道の工事の事務とかで働き始めたんよ。

俺は外回りしながらやったけども、まあ、なかなか。

給料がもらえんような状況があって。アパートの家賃が払えんようになったんよ。


松岡

厳しい状況になってきましたね。


社長

で、そのちょっと前ぐらいに、兄夫婦と両親は眼鏡屋の2階に住んどったけど「うまくいかん、面倒みきらんけお前ら面倒見れ」っていう風に言ってきたわけよ。

で、兄貴たちが出るんかと思ったら、「いや、俺はもうここの眼鏡以外のことはしきらんけんお前ら親連れて出れ」って言ったわけ。


松岡

このタイミングでですか。


社長

俺ももう腹を括って、ボロの 1 軒家借りて。

その時は生まれる前やなちひろが。ひろみとよしひろと 2 人やって、まあそれとおれと(専務と)親父とお袋とで 、6 人家族でその 1 軒家のボロ屋に引っ越しして。

でそれでちょっと、親父お袋の給料をね、生活費を取らないかんけんて言いよったのに実際、親父お袋の給料ももらえなくなったわけよ。


松岡

厳しいなあ…ジリ貧じゃないですか。


社長

家賃も払えんけん。俺の友達が家主やったけどさ、不動産から電話あってさ。

家賃の請求が。


松岡

きますよね。


社長

そんなようなことがあったね。

それで、まあちひろが生まれてちょっとして、もうこれ、ちょっとらちあかんわと思って。

それで、兄貴が店辞めんのやったら、もう俺、家出るけん店辞めるっちゅうことで。


松岡

辞めたんですか?


社長

銀行に行ってから借金返して。

昔のペンタックスカールツァイスが玉すり機を安くわけてくれたりとか。手ずりの機械をくれたりとか。独立祝いにね。

というようなことがあったよね。


松岡

独立の手助けがあったんですね。


社長

で、「外回りは行くな」と。

結局は小松眼鏡店の支店やけん、お前行くなと、俺が行くって言って、兄貴が言うわけよ。

今まで俺があてにして商売しようと思ったとこに行くなって言うけんさ。


松岡

繋がりがありますもんね。でもそれを封じられて。


社長

で、そうするともう、 2・3 ヶ月ぐらいしてかな。それを知った友達がみんな「俺が 1 番のお客さんになっちゃっ」て言って。


松岡

うおおおお。友達熱いですね。


社長

それで始めたんやけど、そしたら 2・3 ヶ月ぐらいで親父のとこに兄貴が来て「もうこの店やりきらんけん」て。2・3ヶ月。


松岡

あれ?


社長

で、加工機からなんから全部ダブったわけよ、そこで。


松岡

そうなりますよね。


社長

商品は勝手に兄貴が問屋に返せるやつは仕入れの半額ぐらいの値段で返したわけで。

店見たら売れん商品ばっかりがいっぱいあって。結局ほら、問屋が引き取らんようなのばっかり残っとるわけよ。

で、借金だけ、がっぱり残ったまま出て行ったわけよ。まあ、そういうことがあったね。


松岡

借金どれぐらいだったんですか?


社長

いやもう覚えん。

ただ、国金の借金とかもあったし、それも親父の名前やったけん。商工会議所に行って。親父が店を辞めて俺に代わるっていう時に、全額返さないかんのよね。借金。

そこの商工会議所の事務局しとる人が俺の先輩でさ。事情を分かってくれて、引き継ぎの手続きを取りましょうっちゅうことで。俺、自分の借金もあるし、親父の借金もあるし。それから問屋に対する借金もあるし。借金だらけやったったい。

それでもなんかね、親父の悲しい顔見るのがちょっとな。


松岡

その時社長おいくつですか?


社長

33ぐらいやった。


松岡

いやぁ…今の僕ぐらいです。


社長

その時ちひろが生まれとったけんね。

3 人おったって子供。

店は、小松眼鏡店でやるのがちょっとね。

もう俺も気分悪かったけん親父引き継いだ時に名前をね。


松岡

アイックスに。


社長

そう。



~第2話に続く~

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