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「秋田の食」で町を元気にしたい。

デザイン事務所が飲食店を作る時代

 はじめまして。代表の東海林です。この度は弊社(株式会社スパイラル・エー)の募集をご覧いただきありがとうございます。こちらでは、なぜデザイン事務所(株式会社シービジョンズ)が飲食店を出店することになったのか。その経緯をお伝えしたいと思います。

 秋田県出身の僕は2006年に縁あって、東京から秋田戻りデザイン事務所を設立する事になりました。秋田県は以前からネガティブなニュースが多く「少子高齢化」「人口減少率」「自殺率」どれをとってもハイクラス(ロークラス?)。この場所でこれから生活して行くことを考えると不安になりました。と同時にネガティブをポジティブにする、クリエィティブを生業としている僕たちなら、何か自分たちの周りを楽しい環境づくりができるかもしれないし、するべきだと考えはじめたのが2012年のこと。


 僕は学生時代から旅行が好きでした。その中でも海外や日本国中の町を訪れ、記憶に残る、また行きたい、ここなら長くいられるなと思える町というは多くが「顔が見える場がある町」でした。
 酒場に行き、隣りに座った現地の方から「あそこの飯がうまい」「ここに行ったらいい」と教えてもらったり、お店で働くおばちゃんから「これも食べなさい」なんてことをされて、気分が良くなるもんです。そしてそんな町はとても元気。町の元気さは飲食店を見るとよく分かると実感しました。

そんな記憶と確信から、飲食店が元気になれば秋田はもっと楽しく生きていける場所になる。少なくとも僕はそうなれると思ったことが飲食店を出店したきっかけだったかな。(もちろんそれだけではないけど)

2013年「酒場カメバル」誕生

 2013年秋田市の中心市街地から少し外れた場所(南通亀の町)に狸小路という暗くて、人が寄り付きそうもない(w)場所を見つけます。それまでは自分が飲食店をやらなくても、クライアント(お店を出したいと考えている方)に出店を促しプロデュースできればとも考えていたけど、前述の通り人が寄り付くイメージを持ってもらえず至りませんでした。ならば「自分でやってみよう」「使われなくなった建物を、この時代にあった見かたで変えよう」と一念発起することに。当時はまだ東京の超人気バルで修行していた友人の畠山 満に思いを伝え、参加を決意。すぐにスペイン行きのチケットを取って二人でバル巡りでかけました。

 2013年9月秋田市南通亀の町に「酒場カメバル」をオープンします。暗い小路の中に明かりが灯り、これまでの雰囲気が一変し、訪れたことがない若者や、懐かしさを感じるおじさんたちが利用してくれる場所となりました。酒場には人と人をつなげるだけでなく、他にもたくさんの役割があるんだと実感しています。この酒場カメバルを皮切りにまずは楽しい町のコンテンツ作りが始まりました。




つづく

3年間で3店舗のリノベーションコンテンツ作り

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