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【#5】なぜ重度障がい者の私が起業したのか?(前を見るきっかけ編)

はじめての充足感。パソコンという私を自由にしてくれる友達を手に入れた私は、一心不乱にインターネットをやり続けた。何をやっても満たされない。ただ、ひたすらにネットサーフィンで色々な所に訪れ、情報を手に入れ、ゲームをしたり、ニュース・映画を見たり、小説を読んだり、音楽を聴いたり、漫画を読んだり、ちょっとエッチな大人の画像や動画などまで、食い入るように、朝から晩まで貪欲にパソコンに向かい合っていた。多い時は1日15時間程度は、ザラだった。その時だけは、障がい者である自分を忘れることができた。ただ心は満たされなかった。何をやっても空気を掴んでいるように虚しかった。 無料でできることも限られている...

【#4】なぜ重度障がい者の私が起業したのか?(はじめての社会との関わり編)

外と関わる。決断。友人たちと出かけた後は、虚しい日常が私には待っていた。外出をきっかけに、なんとなくだけれど、何か行動を起こさなければ、ずっと母や家族といることになる。母や家族から脱出できないことは、なんとなく分かっていた。が、さらにそれが腑に落ちていくようになる。とは言え、母には毎日迷惑かけているし、私に付きっきりなため、見たくもない現実を見ながら、私のケアも行う。そのため仕事もできない。それは収入も得られないことも、意味していた。このまま貯金を食いつぶして行くだけの生活は、将来に不幸が待っている気がしてならない。母親もできるだけ、気を紛らして欲しいし、経済的な収入も得て欲しかった。そ...

【#3】なぜ重度障がい者の私が起業したのか?(はじめてのおでかけ編)

うるせえよ、黙ってろ。 一刻も早く、母から介護を受ける生活、朝起きる意味も見出せない。深夜までテレビを見ていて、ずっと母親と喧嘩の日々。。。この先の見えない生活。この現状から抜け出したい。 喧嘩をして、意地を張って「車椅子からベッドへ移して」と言えず、早朝5時までずっと車椅子にいて、テレビが砂嵐になるまでずっと車椅子にいる日も何日もあった。 ああ、、、今思い出しても死ぬほど辛かった(笑) そう思いながらも、私にはどうしようも、何もできない。携帯も持ってない。自分のお財布もない。持ったところで電話をかける友達も人もいない。お金を使う場所もない。そんなことが巡る日々から早く抜け出したい。延々...

【#2】なぜ重度障がい者の私が起業したのか?(引きこもり編)

もうひとつの苦しみとトラウマ。 リハビリテーションセンターから退院して、母親と喧嘩する日々が続きました。高校1年生の時(※#1参照)に家や財産をすべて失ったため、母が祖父に頭を下げて、祖父母が暮らす一軒家に私が帰れるように説得し、和室をフローリングに改修して、なんとか帰れるようにしてもらいました。 嫁姑の確執があり、決して母と祖母の仲は良好でありませんでした。私は、その関係性を見るたび心が苦しくて、苦しくてたまりませんでした。今でも女性のネガティブな感情に対して、反射的に恐怖心を抱いてしまうのは、きっとそのトラウマに身体が反応してしまうからでしょう。 きっと、祖父母も孫が困っている状態に...

【#1】なぜ重度障がい者の私が起業したのか?(事故編)

九死に一生。中途半端な?重度障がい者に。 当時18歳の時、商業高校を卒業後、株式会社ヨークマート(現セブン&アイ・ホールディングス)に入社し、精肉部に配属されました。入社わずか3か月後、予想だにしない交通事故という、人生最大のアクシデントが起こりました。 幼少期からサッカーをずっとやってきた、超健康で五体満足だった私は、その事故で身体の胸から下が動かせなくなり、いわゆる重度障がい者になりました。その時まで、生きているのに身体が動かせない、という中途半端な状態があることに驚きました。毎日がとても苦しくて、苦しくて、逃げたくてたまらない、頭を引きちぎりたくなる入院生活の日々が続きました。 高...

消去法で福祉を選んだ男がワクワクする新しい世界を見つけた話

こんにちは!株式会社LIFEクリエイトの日高です!ストーリー記事1本目ということで、何を書けばいいのやら手探り状態ですが…今回は自己紹介がてら、私自身のことについて書いてみようと思います!・なぜ私がLIFEクリエイトに入社したのか・そもそもなぜ福祉の道を志したのかなどなど、、、赤裸々に語っちゃいます!(笑)趣味などプライベートな部分も少しだけご紹介しますね^^まずはプロフィールから改めまして、日高滉人(ひだかひろと)と申します。下の名前は初見で読んでいただけたことは人生で一度もありません。1994年生まれ、今年で26歳になります。好きなものは、お酒とスイーツです!!!お酒は、ビール・日本...