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セーブ・ザ・チルドレン誕生の物語

みなさん、こんにちは。セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン採用チームです。

セーブ・ザ・チルドレンは1919年の創設以来、これまでに10億人を超す子どもたちに支援を届けることができました。 第一次世界大戦で社会が荒廃していた100年前、敵味方の区別なく子どもたちを守るために立ち上がった、創設者エグランタイン・ジェブ。子どもの権利の実現に向けた彼女の力強いビジョンは、今もセーブ・ザ・チルドレンの中心にあります。  今回はセーブ・ザ・チルドレン誕生の物語をご紹介します。


「敵国」の子どもたちを助ける

セーブ・ザ・チルドレンの歴史は、第一次世界大戦により荒廃した1910年代のヨーロッパにさかのぼります。当時イギリスは、敵対するドイツやオーストリアの海上輸送路を封鎖しており、食料の供給が断たれた国々では、多くの子どもが飢餓に陥っていました。 「敵国」の子どもを助けるなど考えもされなかった時代に、イギリス人のエグランタイン・ジェブは、妹ドロシーとともに、この惨状を社会に伝えようと奮闘していました。 1919年4月、ジェブはこう書いたチラシを、ロンドン中心部のトラファルガー広場で配りました。

“私たちの国が行っている封鎖が、何百万人もの子どもの命を奪っています”

チラシには、飢えて衰弱した子どもの衝撃的な写真も掲載していました。 この行為によりジェブは逮捕され、裁判では有罪判決が下されました。しかし、検察側の弁護人はジェブの行動に心を動かされ、「5ポンドの罰金は自分が支払う」と申し出たのです。これはセーブ・ザ・チルドレンへの最初の寄付になりました。 そして1919年5月、会場いっぱいの支援者の前でジェブが支援の必要性を訴え、「セーブ・ザ・チルドレン基金」の活動が始まりました。

子どもたちに食料を

ジェブたちは、食料難の中で飢えに苦しむ子どもたちのために資金を集めることに奔走しました。ドイツ、オーストリア、フランス、ベルギー、ハンガリー、バルカン半島、そしてトルコのアルメニア難民の子どもたち。ジェブは、これらの子どもに食料や教育の支援を行っている団体に資金を提供しました。 その後、大規模な飢饉に見舞われたロシアの子どもたちへの支援を始めました。全国紙に全面広告を出すのみならず、助けが必要な子どもたちの映像を映画館で上映するなど、ジェブたちはあらゆる方法で寄付を呼びかけます。その結果、1921年から翌年にかけて、セーブ・ザ・チルドレンはロシアで30万人に上る子どもたちの命を支えることができました。

「子どもの権利」の理念を世界へ

これらの活動を通してジェブは、寄付をする一部の人だけでなく、子どもに関わるすべての人が子どもに最善のものを与えなければならない、との思いを強めます。その理念をまとめ、「ジュネーブ子どもの権利宣言」を起案しました。第一次世界大戦で多くの子どもの命が奪われたことへの反省として、この宣言は国際社会に受け入れられ、1924年、国際連合(国連)の前身である国際連盟で採択されました。 ジェブはその4年後、病により52歳でその生涯を閉じました。 彼女が起案した「ジュネーブ子どもの権利宣言」の理念は生き続け、第二次世界大戦を経てつくられた「子どもの権利条約」へと引き継がれました。この条約は1989年に国連総会で採択され、現在、日本を含む196の国と地域が批准。人権条約としては歴史上最も多くの参加を得た条約となっています。

子どもたちの今と未来のために

ジェブがセーブ・ザ・チルドレンを創設してから100年が経った今も、長期化する紛争や、頻発する自然災害、そして貧困や虐待など、子どもたちを取り巻く環境には数多くの課題が存在しています。これらの問題はそれぞれが複雑に絡み合い、解決への道筋は決して容易ではありません。 私たちセーブ・ザ・チルドレンは、ジェブの思いを受け継ぎ、すべての子どもの生きる・育つ・守られる・参加する「子どもの権利」を実現するための活動に、これからも取り組んでまいります。

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