全国渡り鳥生活倶楽部 株式会社 代表取締役 牧野知弘
みなさんこんにちは。
全国渡り鳥生活倶楽部の牧野です。
前回は、人生100年時代を迎える日本人を取り巻く環境についてお伝えしました。
今回は地方生活についてお伝えしたいと思います。
地方には「人がいない」
最近、地方でのお仕事が増えました。
地方創生が叫ばれるようになって久しいですが、人が減り、産業が衰退していく地方。「なんとかしなくては!」との想いから様々な地方を訪ねていた所、お手伝いする機会が増えたのです。
そこで気づいたのがとにかく地方には「人がいない」ということでした。
長年にわたって地方は東京や大阪に人を供給してきました。
ところが都会に行った若者たちは地方に戻ることはなくそのまま都会に定住してしまいました。どの地方に行ってもだいたい事情は同じです。
「移住・定住」や「観光」で人を集める
そこで様々な自治体が掲げるのが「移住・定住の促進」です。失ってしまった人をまた呼び戻そうという取り組みです。
地方は「自然が豊か」「食べ物がおいしい」とみなさん宣伝をするのですが、この理由だけで移住・定住政策で大きな成果をあげているところはほとんどありません。
しかもいったんは移住しても数年で帰ってしまう事例が後を絶たないのが現状です。
「観光」をアピールしようとしている自治体もあります。
「自然が豊か」や「食べ物がおいしい」に加えて「歴史や文化がある」「様々な体験ができる」などを盛り込んで観光客を呼ぼうとしています。
「インバウンドが増えた」あるいは「元気な高齢者が観光に足を運ぶ」ようになって潤ったところもありますが、観光だけでは儲かるのはホテル、旅館や一部お土産業者だけという指摘もあります。
ましてや観光客が増えすぎて市民の生活が脅かされる「観光公害」が声高に叫ばれる、かと思えば新型コロナウイルスの蔓延でインバウンドはおろか国内観光客まで一度に失い阿鼻叫喚状態の観光地も出てきました。
これでは本当に自立した営みができる地方とはならないのです。
地方には「何」が足りないのか? 「何」をすべきなのか?
それでは、いったい地方には「何」が足りないのでしょうか?
そして「何」をやるべきなのでしょうか?
観光客をいくら集めたところで所詮は2、3日滞在するだけ。短期間の滞在で観光客が来るのは旅行サイトやテレビで取り上げられたお店や名所をスタンプラリーのようになぞるだけです。
私は大分県別府市で約4年半、九州初の5スターホテル「ANAインターコンチネンタル別府リゾート&スパ」の事業企画、プロジェクトマネジメントの仕事に携わりました。
そしてこれがご縁になってたくさんの地元の方々と知り合いになりました。
今でも毎月のように大分県各所を訪れるようになったのもこのお仕事を通じて得た貴重な財産です。
毎回せいぜい2泊程度ではありますが、通算すればおそらく100回近く大分県に通っている計算になります。
このように何度も訪れるにしたがって私にとって大分県は、まるで「第二の故郷」のような存在になっています。レンタカーで県内を走る時もあまりナビゲーションを見なくても良いくらいですから。
こんな気持ちはおそらく一度きりの観光旅行では決して味わうことができない経験だろうと思います。大分の地に「仕事」がある。
これって「観光だけではない大分の中にどっぷりつかって得た贅沢」なのかもしれません。
全国各地の豪邸や素敵な家があまり使われていない
全国各地で仕事をしていて時々驚かされるのが、素晴らしい仕様の豪邸や絵になる素敵な家に巡り合うことです。
東京ならば何億円もすると思われるような家が地方ではざらに目にすることができます。
ところがこうした家が実は「あまり使われていない」のです。
親御さんは高齢者施設に入所し、息子や娘は東京や大阪にいて普段は使われていない。盆と暮れだけ親戚の人も含め集まるときだけ鍵を開ける、そんな家になっているのです。
「先祖伝来の家だから売ることはできない、人に貸すにもマーケットもない。管理は結構面倒で特に草木の剪定や通風の確保、家の中の掃除などで悩んでいる。」と仰る家主様も数多くいます。
家はそこに住む人々の歴史です。
ところが家族の生活の舞台はすでに東京や大阪といった大都会に移ってしまっています。取り残された家は自らの役割を探して彷徨っています。
美しい田園風景が傷ついている
地方で車を走らせていて、あるいは電車の車窓から風景を眺めていて最近気になることがあります。
日本の美しい田園風景が傷ついているのです。
農業の継手がいないために田や畑が放置され、そこに雑草が生い茂り荒れ果てた姿を晒しているのです。その様子が近年、年を追うごとに顕著になってきています。
兵庫県の淡路島を訪れた時のこと。
島の南東部南あわじ市の沖合にある沼島(ぬしま)という島に渡りました。島の住民は470人ほど。漁業で生計をたてる人がほとんどですが高齢化が激しく、島の中心にある市街地にも人影がほとんどありません。
昭和30年ころには人口も2500人ほどあって活気にあふれていたそうです。仕事を終えて、連絡船が発着する港の待合所に戻るとそこには昭和40年当時の島の写真が飾られていました。
正直同じ島の風景とは思えないほど「ひとの臭い」がする写真です。
私は思わずその写真が撮影されているのと同じ構図に写真を重ね合わせました。
港の姿は変わらないもののその背景となっている島の斜面はすべて「美しい段々畑」があるではありませんか。
それが「現在ではただの雑木林」です。ここに島の50年の歴史があります。
自然は美しいものではない。
人の手が入ってしっかりと管理されてこそ美しい田園風景が保てることをこの昭和40年の写真と今ある現実を見比べながら考えてしまいました。
人生100年時代と人がいなくなった地方
圧倒的に人がいなくなってしまった地方。
美しいはずだった田園風景や自然も人の手が加わらなくなってしまってはただの雑木林に。
そんな地方の街に主のいなくなった家々がひっそりと佇んでいる。
いっぽうで東京や大阪といった大都市に住むことへの疑問。
長い時間をかけて会社という組織に隷属するがゆえに通勤を続けるサラリーマン。
定年後35年間の人生計画に何ら目標も戦略構築もできていないシニアたち。
ひしめきあって都会で生きることのリスクを思い知ったコロナ禍。
これからはAIにどんどん仕事を奪われていく現役たち。
生きる意味、存在価値は今までの成功の方程式
=都会に出てよい学校を卒業して一流企業に入り、都心のタワマンを、一生住宅ローンを背負いながら維持していくこと
ではなかったことに気づいていくのがこれからの時代です。
この時代に私達はどうすべきなのか?
それこそが私達が目指しているものにつながります。こちらについては次回書きたいと思います。
全国渡り鳥生活倶楽部
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