少し前、デザインのことで少しだけ揉めた。
誰かが悪かったわけじゃない。
むしろ、全員が善意だった。
だから難しかった。
3店舗目のオープンに合わせて、記念品をつくろうという話になった。
コアメンバーで話し合い、アイテムを決め、デザインを起こし、見積もりまで進んだ。
あとは発注するだけ。
そんなタイミングだった。
少し時間にも余裕があったので、自分は何気なく言った。
「せっかくだし、みんなにも意見を聞いてみようか。」
今思えば、これが失敗だった。
話し合いの流れを把握していないスタッフに、
「これどう思う?」
と聞いてしまった。
人は、意見を求められると、良かれと思って改善点を探す。
「強いて言えば。」
「もっとこうした方が。」
本当はそのままで十分だと思っていても、何か返さなきゃと思う。
それは悪意ではない。
むしろ優しさだ。
問題は、そのあとだった。
集まった意見を、自分がほとんど整理せず、そのままメインデザイナーへ送ってしまった。
「そもそも、なんでこのアイテムなんですか。」
「なんでこのデザインなんですか。」
デザイナーからすれば、
「そこは何週間も前に決めた話なんだけど。」
である。
アイデア出しから始まり、
方向性を決め、デザインを何度も調整し、
見積もりまで動いてもらった。
その積み重ねがある。
それなのに、最後になって土台から話が戻ってしまった。
「ここまでの時間は何だったんだ。」
そう思わせてしまった。
今振り返ると、誰も悪くない。
意見を言った人も悪くない。
デザイナーも悪くない。
強いて言えば、その意見をそのまま運んだ自分が悪かった。
そこで思った。
意見には役割がある。
だから、意見を集めることよりも、
いつ、誰に聞くか。その設計の方がずっと大事だ。
豊田章男さんが、
「1000人の無責任な情報を集めるより、本当にこの車が欲しい10人の声を聞いた方がいい。」
という話をされていた。
マクドナルドも昔、大規模なアンケートで
「もっと野菜が食べたい。」
という声を受けてサラダマックを発売した。
でも、大きくは売れなかった。
人は、聞かれたら答える。
でも、その答えが、本当に求めているものとは限らない。
最近思う。
大事なのは、意見を集めることじゃない。
誰の、どの意見を採用するか。
そこに責任を持つことなんだと思う。