はじめに私は1964年生まれ、今年61歳。
2025年10月から「スタジオ・アルカナ」で新入社員として働き始めた。
年齢を伝えると、友人たちから返ってくるのはだいたい同じ質問だ。
• どうして今?
• 何かあったの?
• 借金でも?
• やりたいことがあったの?
• 暇なの?
• その気力はどこから?
結論を言えば、理由はふたつ。
芥川龍之介ではないが、「漠然とした不安からの逃避」と「面白おかしく楽しく、ない」からだった。
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きっかけは「瓢箪から駒」
本当に、瓢箪から駒のような出来事だった。
業務委託の相談で訪れた際、「社員になりませんか?」と声をかけられたのだ。
説明してくれた方の話が絶妙で、途中からもう一人も加わった。
二人とも実に面白く、「この人たちと一緒に仕事をしたら、きっと楽しいだろう」と直感した。
事実、スッゲー面白い。久々に“人たらし”に出会った、そんな感覚だった。
61歳で誘われること自体めずらしい。
では、なぜ私はその誘いに乗ったのか。
振り返ると、理由はひとつに収束する。
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サラリーマン生活の終わりと、不安定で面白くない個人事業主の日々
一昨年、それまで勤めていた会社が破産し、長いサラリーマン生活に幕を下ろした。
10年間、全速力で走り続けた結果、精神的な疲れも積もり、「もう辞めたい」と思い始めていたタイミングでもあった。
3ヶ月ほど休んだのち、個人事業主として仕事を再開した。
在宅での仕事は驚くほど楽で、「もっと早くこうしていればよかった」とさえ思った。
「もうサラリーマンには戻れない」と感じた。
しかし、その快適さの裏側には常に不安があった。
契約が終われば収入はゼロ。
次の案件はきっと来る──はずなのだが、少し仕事が途切れるだけで途端に不安が押し寄せる。
「この空白が永遠に続くのではないか」と。
不安と開き直りを行き来する日々だった。
そしてもうひとつ。
個人事業主の生活は単調で、面白くない・楽しくない。
朝から誰とも話さない日が続き、社会とのつながりは“仕事”だけ。
無味乾燥な毎日だった。
そんな精神的に揺れるタイミングで、旧知の友人が勤務するスタジオ・アルカナから業務委託の話が舞い込んだ。
訪れて話を聞くと、思いがけない一言があった。
「社員になりませんか?」
その瞬間、私は間髪入れずに「いいですよ」と答えていた。
Don't Think, Feel
脊髄反射のような即答だった。
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来た機会を、淡々と受け取っただけ
人生は思い通りにならない。
友人の死、会社の破産、漠然たる不安──未来が保証されていないことを痛感する出来事は、否応なく訪れる。
だが同時に、人生には偶然のチャンスもある。
それを掴むかどうかは、自分次第だ。
人生もサラリーマン生活も、いつかは終わる。
終わるまでは、精一杯、楽しく・おかしく・面白く過ごしたい。
61歳で新入社員──
これは特別な物語ではなく、ただひとつの選択の結果にすぎない。
言葉にすれば、こうだ。
「来た機会を、淡々と受け取った」
気負う必要はない。
いつ終わってもおかしくないし、その時が来れば受け止めるだけだ。
達観ではなく、ただ現実を受け入れ、自分の選択に責任を持つ。
その延長線上に、今の私がいる。