■プロフィール
1968年長野県生まれ、青森県育ち。
高校卒業後、就職。OA機器販売の営業として、入社9ヶ月目で手取り60万円超えを達成。その後友人の経営するシステム製作の会社に転職も、倒産。フリーランスエンジニアを経て、2003年コミット創業。
人生で3回の倒産を経験。決して順調なキャリアではなかった。
初めて倒産を経験したのは小学校3年生の時。父親の会社である工務店が倒産。それまでの日常がガラリと変わったその日のことを、昨日のことのように覚えています。その後父は再起し、青森県で土建業を始めるのですが、中学3年生の時に父が事故に遭い、最終的には再度倒産することになりました。
そういった経済的に苦しい状況ではあったものの、当初は横浜の大学への進学を考えていました。ただ、本当に家にお金がなく、大学の入学金も払えない状況でした。悩んだ末に就職することにしたのですが、就職となると当然仕送りもなく、最初は持ってきたお小遣いを切り崩し、なんとか生活をはじめました。
キャリアのスタートとして選んだ営業職は、訪問販売というスタイルでしたが、自分には向いていたようで、入社2年からは月の手取り100万円超えを達成するなど、成果を残していました。その後、友人の起業に誘われる形で、営業マンとしてIT企業に就職。しかし、思っていたより簡単ではありませんでした。
それまでの私はOA機器という目に見えるもの、いわゆる有形商材の販売をしていましたが、システム開発となると実際のモノではなく、人材を営業する形になるため、そもそも知識がないと難しい。とはいえ何もできないからと言ってぼーっとしているのはもったいないと、エンジニアのお手伝いとして現場に入ったのが、私のエンジニアとしてのスタートです。
最初は全く仕事になりませんでした。基本的なことが分からず、最初の半年ぐらいは何をして良いかもわからない状態…。足手まといもいいとこの、落ちこぼれエンジニアでした。
それでもプログラミングができるようになり、“何のためのプログラムなのか…何を求めているのか”をとにかく模索し続けました。後になって、それらの「何故」がシステムの要件定義や設計において重要な要素だと気づくことができました。
ただ…、友人の会社は不況のあおりもあり、経営不振で倒産。バブル崩壊で求人募集も殆どない中、消去法的にフリーランスのエンジニアとしてのキャリアをスタートさせました。
不安しかない。でもやるしかない。やって、結果を残すしかないと思った。
当時は週2回出ていたアルバイト求人雑誌が週1回になり、隔週になり、やがて廃刊になるというぐらい仕事がない時代。エンジニアとしての最初の契約は3ヶ月更新ではあったものの、そういった社会情勢の中で、契約はいただいているものの、明日も分からぬ不安は常にありました。
結局、エンジニアとして軌道に乗るのには5年くらいかかりましたが、「お客さまの未来はどうあるべきか」「システムの未来はどうあるべきか」を常に考え、発信した結果、多くの賛同者と協力者を得て、プロジェクトの中でも重要な役割を担わせてもらいました。その後はPMとして、様々なプロジェクトに携わらせていただきました。当時はマルチベンダーという、「メーカー依存をやめ、ベンダーフリーのシステムを作っていく」という流れがある中で、24時間/365日止まらない銀行システムの構築という大プロジェクトにもPMとして参画。このプロジェクト以外にも全国規模の金融システムに携わり、成果を上げていく中で、着実に信頼を積み上げてこられたと感じていました。
起業のきっかけは結婚。本当は就職しようと思っていた。
30歳になるタイミングで結婚を考え、就職を決意。一緒に働いていたメーカーやSIerに「うちに来ないか」と言われ、お付き合いのあった全ての会社から内定をいただきました。ただ、そこでふと思ったのです。“自分はなんで就職をしたいのだろうか?就職に何を求めているのだろうか。”と。
振り返って考えてみると、それまでのエンジニアのキャリアの中で、自分は立場で仕事をしていなかったのですよね。エンジニアとして働く上では元請けも下請けも関係ありません。技術の前では皆、平等なのですよ。偉い人が言ったことをやる、ではなくて、お客様の要望を叶えるために一番近い、正しいことをすることが大事で、大手じゃなくていい。
そもそも大手がいいのか、と考えると、バブルのタイミングでは上場企業も潰れていたのですよね。それに、自分はフリーでプロジェクトに参画していたものの、スキル的な観点で自分がプロジェクトに残って社員の方が外されることもあり、社員=安定ではないというのは感じていました。
やれることで考えると、フリーも社員も相違ない。じゃぁなんでフリーではダメなのか。1人だと、何も残すことができないんですよね。自分がやってきたことを後輩に引き継いでいけないのは寂しい。そう考えた時に、組織に所属する必要があると思いました。ただ、やりたいことが決まっているのに、既に出来上がっている組織に所属して、本当にやりたいことができるのか悩みました。
周りには「起業するしかないな」と言われ、それでも悩みましたが、32歳で企業を決意。3年で300万を貯め、それを資本金とし、35歳の時に起業しました。
後編の記事はこちらから。