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しみじみする覚悟

薄暗い暗いバーの片隅で、一人しみじみ酒を飲む。そういうイメージに強い憧れがある。

昭和歌謡を聞いて育ったからだろうか。大人になったら、バーボンやスコッチが並んだカウンターに座り、夜な夜な一人でグラスを傾けているだろうな、と思っていた。

大人になった今でも、しみじみ飲むという行為を完全には理解できていない。意味通り、自分と向き合い思索にふけるためなのか、純粋に酒の味を楽しむためか。そもそも、この憧れはどこから来たのか。

一体、しみじみと一人で酒を飲みながらどんなことを考えるのだろうか?

令和の今では、酒のイメージは変わってきている。「酒の消費量が減っている」「若者の酒離れ」などのニュースも目にしたりする。また、付き合いで飲みに出かけることも減っているだろう。感染症予防のために夜の経済活動も止まっていたこともあるし、付き合いより個人の自由を重視する風潮もあるかもしれない。

そもそも、酒は毒だ。科学的には、「酒は百薬の長」という諺も酒好きの飲む口実とも思えるほど、酒には良いことがないと結論する研究が多い。

酒は、イメージも悪いし、体にも悪い。

しかし、人には酒は必要だと言い切れる。人というより社会に欠かせないのだ。社会の礎である生存と繁殖に有効だからだ。どういうことか?

太古の昔、狩猟採集の時代から、人はグループで食事をしてきたと言われる。村や部族など、人はグループに所属しなければ、効率的な狩りや食料の収集や料理ができず、生存が難しかったからだ。そのために人は互恵的に協力し合う。そのため信用が重視され、裏切り者に敏感になるよう進化した。

酒は、理性を麻痺させ本性を出させるのに有効だ。特に、グループへ新たなメンバーが所属する際は酒の出番だ。世界中いたるところで、歓迎会と称し、酒と食事が振る舞われ宴が催されるのは、信用チェックの習性の名残なのではないだろうか。

繁殖はどうかというと、同様に酒で理性を麻痺させることが有効だろう。現代でも男女間の一線を超える手段に用いられている。夜の経済活動の抑制が、出生率の大幅な減少と相関があるのは明らかだ。

所属したい、配偶者を得たい。両方とも遺伝子の誘惑だ。この欲求を満たすことが社会の原動力であり、酒がその燃料の一つということになる。酒と同じく20歳で解禁されるタバコとの違いはここにある。

一人で酒を飲むということは、この誘惑に克つことと言える。群れることもせず、色恋沙汰に浮つかないない。抗いがたい誘惑に克つというこの覚悟ある姿が、憧れを得るかっこよさなのではないだろうか。

そんな哲学めいたことを、いつかはバーのカウンターでしみじみ考えてみたい。

とはいえ世の中は、夜を家で過ごす人が多くなってきている。だからこそ、酒場だけでなく家でもしみじみできるのならばそれに越したことがない。しかし実際は、その貴重な機会をYouTubeやNetflixの動画など流行りの情報で損ねているのではないだろうか。

そうならば、しみじみと酒を飲むにはデジタル窓「アトモフウィンドウ」ほど肴になるデバイスはない。

昭和歌謡の一つ「舟唄」は、しみじみ飲む素晴らしさを感じさせる歌だが、その歌にこんな一節がある。

店には飾りが ないがいい
窓から港が 見えりゃいい
流行りの歌など なくていい
時々霧笛が なればいい

阿久悠 作詞「舟唄」より引用

窓に港を写して、流行りの動画などの誘惑を断つ。しみじみとした時間は、環境を変えることで作り出せるのだ。

しみじみと自分に向き合う時間を作り、虚ろな生き方から脱する力を磨くことが、これからますます増える誘惑に抗う手段になっていくのではないだろうか。ならばあとは、しみじみする覚悟があるかどうかだ。


(ハードウェア担当:杉山)

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