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【社員インタビュー】ビリから同世代最速昇進を果たしたコンサルタントが人材開発部にジョブチェンジするまでの道のり

こんにちは。ACCSの採用担当です!
今回は入社4年目・人材開発部の鶴見さんに、入社から今までの歩みを振り返ってもらうインタビューを行いました。

コンサルタントとして入社し、圧倒的な成果を出せるようになるまで……そして人材開発部門への転身。その背景にどんなことがあったのか、時系列で語ってもらいました。

―今日はよろしくお願いします!まずは簡単な自己紹介をお願いします。

今年で入社4年目の鶴見です。現在は人材開発部で新卒・中途の採用から研修まで包括的に担当しています。2022年の7月までは名古屋支社コンサルティングチームのリーダーを務めていました。

―では就活生時代からお聞きできればと思います。ACCSとの出会いはどんなものでしたか?

正直なところ、就活には前向きではありませんでした。大学時代は海外を放浪したり、ドレッドヘアにしたりしていて、とにかく自由に生きていきたいなと思っていたんです(笑)
ただ、どう生きるにしても「このままではいけない」「生きていくための技を身に着けないといけない」という危機感はありました。当時はその危機感から就活を始めてみた、という感じです。とりあえず、ドレッドヘアを切り落とすところから就活が始まりました。

就活の大きな軸としては、最初から中小企業に絞っていました。当時流行っていた池井戸潤さんの作品の影響もあって、大企業の働き方は向いてないだろうなと思っていたからです。
あと、業種はコンサルに絞っていました。私の実現したい働き方が「仕入れがない商売で放浪しながら体一つで生きていく」ことだったのですが、そんな理想と照らし合わせて、自分自身の価値で勝負できるコンサルが合っていると感じていました。

ACCSとの出会いは大手採用媒体で見つけた会社説明会です。大学4年の春になって、大規模な合同説明会などには何回か参加していましたが、初めて個別に訪問して説明会に参加したのがACCSでした。最初は履歴書の書き方も全く分からず、学歴の欄は中学から書いていました(笑) そんな感じだったのですが、当時の採用担当の方とお会いして、色々聞かれたことに対して素直に答えていたら「いい目をしているね!」と褒めていただいたことを覚えています。そこから広瀬さん(※弊社代表)との最終面接まで5人の先輩社員と会いました。並行していくつかのコンサル会社を受けていましたが、ACCS以外は正直あまりピンと来ていませんでした。ACCSでは選考以外にもランチやフライデー(※毎週金曜日に社内で行われている自由参加の懇親会)などに誘っていただいて、細かくコミュニケーションの機会をもらっていましたね。

そのうちに、ACCSの魅力はずば抜けて「人が良い」ことだと感じました。また、履歴書以外の人間性の部分をちゃんと見てもらえた実感もありました。私の履歴書がなかなかの内容だったのもあると思いますが(笑) 同じ時期に選考に進んでいたコンサル会社は4社ほどありましたが、ACCSの内定が出たらここに行こうと早い段階で決めていましたし、面接でも明言していましたね。

面接時に印象的だったのは、当時入社4年目の公文さん(※現在は西日本営業統括担当)という営業の先輩社員との出会いです。私が今まで出会ってきた大人とは全く次元が違う、「トップ営業マンの頭の回転の速さ」に衝撃を受けました。今でも尊敬している先輩です。
先ほども言ったように、「仕入れのない商売で生きていける力を身に着けたい」という漠然としたイメージをずっと持っていましたが、公文さんに会って「こんな人になりたい」という明確なイメージを持つことができました。

広瀬さんとの最終面接もよく覚えています。実は広瀬さんと大学が同じで、それを面接中にアピールしたら会話につながって、認知していただけたのかな?と思いました。

広瀬さんとの面接の最後は握手で終わったのですが、そのとき、「ここでやっていこう」と強く思いましたね。

―入社1年目はどんなことがありましたか?

まず、入社前に4カ月くらいインターンをしていました。それで少し会社のことや業務のことには慣れていたつもりだったのですが、入社後すぐに同期との差を痛感することになりました。4月から入社後研修の傍らでインターンでも経験していたインサイドセールス業務にあたりましたが、成績トップの同期と比べて常に4分の1程度の結果しか出せなかったんです。ビリの成績でした。
GW明けもどんどん差が開きました。そのうち、目標件数を達成できていた2人の同期は次のステップに進み、別の商材の販売にも関わっていくようになっていました。でも、私はずっと同じところにいる。焦りましたね。

転機となったのは5月の中旬頃、新人歓迎会があった日です。歓迎会の後、社内の会議室に当時の名古屋支社長と取締役に呼ばれて、「名古屋支社に行かないか」と打診がありました。今思うと他の同期にも同じ打診があったのかもしれないですが、当然驚きました。「どうして私なんですか?」と素直に聞いてしまいました。
それで、お2人から「鶴見はガッツがある。ここまでの結果に悩んでいるかもしれないけど、入社2カ月で何かが決まるわけではない。鶴見はどちらかというとフォローにも向いているし、営業との二刀流もできると思う」というようなことを言っていただきました。
もちろん悩みましたが、その日には名古屋に行く決断をしていました。それからはあっという間。2週間後には名古屋に行って、アポの同行などをさせてもらったり、研修を受けたりしていました。正式に異動になったのは新卒入社から3か月後、2019年の7月ですね。

―名古屋支社に移った後もインサイドセールスの業務は続けていたんですか?

続けていました。目標件数も同じように課されていました。ただ、不思議なことに名古屋支社に異動することが決まってから、インサイドセールス業務の月間目標を達成することができるようになったんです。
ユーザーフォローに関する研修や商材の研修など、東京本社にいるメンバーとは異なる研修を受けるなか、時間的には大変なこともあったのですが、研修の内容にとても興味が持てたのを覚えています。興味が持てると目標も具体的になって、自然と行動量も変わるんですよね。それで、本社にいたときは精神的につらいと感じていたことも乗り越えられるようになりました。7月以降もその行動量は担保できていましたね。支社という場所で離れていても、社内のツールで本社の同期の行動量はわかるようになっているので、それもやる気につながりました。

また、当時の上司が言っていた「モチベーションで仕事をするな」という言葉もよく覚えています。上司はプライベートでは感情で動くことも多いタイプだったのですが、仕事のときはまるで別人で、新卒の私にはそれがかなり衝撃でした。でも、調子がいいときに成果が出せるのは当たり前で、モチベーションに依存せずに成果を出すことの重要性はすぐに理解できました。上司の背中を見ながら目の前のことを黙って淡々とこなしていく。それがだんだんと楽しくなっていった頃ですね。

それから3カ月くらいして、自分の役目みたいなものを感じていました。当時は月20件くらいのアポを取れるようになっていたのですが、もう少しユーザーフォロー側の人員が必要ではないかと感じていたんです。それで上司に自分から相談したら、上司からもそう考えていたと言ってもらえて、特定の商材のユーザーのお客様を包括して担当することになりました。
当時、名古屋支社の業績は非常に好調で、社員総会の表彰や営業MVPなどを名古屋メンバーで総なめしていました。だからこそ、ユーザーの数も伸びていましたし、そのフォローを手厚くしていく必要があると新卒ながら感じていて、任せてもらえることになったんです。

―名古屋に行ってからは順調だったんですね。

そうですね。ただ、2020年にコロナが流行りだしてから状況は一変しました。期末(6月)に向けた一番大事な時期に慣れない在宅ワークとなり、結論、名古屋支社はその期の目標達成ができなかったんです。

さらに、以前から先輩が1人退職の予定があったのですが、それに次いでご家庭の事情でもう1人の先輩が退職するなど、離職が相次ぎました。この頃が一番きつかったですね。
結果、3桁に及ぶユーザーを私が1人で担当することになったんです。2年目でユーザーの管理・統括業務をやらなければならない。もちろんつらいこともありましたが、同時にチャンスだと感じていました。何より、たくさんのお客様のもとに足を運んで、お客様からに教わることがとにかくたくさんあり、それが支えになっていました。毎日ユーザーの成果を出すことをひたすら考え続けて、がむしゃらに働いていましたね。

ユーザーのお客様へのフォローは、契約いただいているプランの更新のほか、クロスセルのご提案なども行うのですが、実はお客様から別のお客様を紹介していただけることがとても多かったです。これは本当にありがたいことでした。

結果、その期にユーザーフォロー担当としては異例の売上をあげることができました。とにかく大変な時でしたが、結果につながってとても嬉しかったですし、大きなやりがいを感じましたね。

▲2022年の社員総会にて

―それは大変でしたね……。3年目以降はどんな経験をされましたか?

3年目を一言でいうなら「改革」です。2人体制になっていた名古屋支社に、先輩1名と後輩1名が異動になったんです。それで、新・名古屋支社ということで体制づくりをどんどん進めました。マネジメントや体制づくりにはもともと興味があり、ここでもやりがいを感じましたね。実は2年目の終わりにはリーダーに立候補して昇進もしています。これは同期のなかでは最速の昇進でした。

後輩への研修なども3年目からは積極的に行いました。支社に来てくれた後輩はもちろん、リモートで本社の後輩にも研修を行っていました。周りの人に協力を仰ぎながら、名古屋支社からいろいろなことを発信できるようになっていったのもこの頃でしたね。売上も順調に上げていました。

そして4年目、再び転機があって人材開発部へ異動することになりました。入社4年目までの社員を対象とした社長研修が今年の5月ごろにあったのですが、そのときに代表から「いつ東京に戻るの?」と声をかけていただいたんです。最初は冗談かと思っていました(笑) だからそのあと先輩にこっそり聞いてみたんです。そうしたら、広瀬さんは本当に私のことを考えてくださっていることがわかりました。

とはいえ、即決はできませんでした。名古屋支社でのやりがいはもちろん、住環境としても名古屋はとても居心地のよいところでしたし、気に入っていました。だから、もし東京に戻るなら今までとは違うことをやりたいと思ったんです。それで、こちらからやりたいことを3つほど考えて広瀬さんに直々に提案させていただく機会をもらいました。その中の一つに「人材開発部へのジョイン」がありました。ばっさり斬られた案もあったのですが…。

―どうして「人材開発部」だったのでしょうか?

先ほども話した通り、「せっかく東京に戻るなら今までとは違うことをやりたい」と思っていたことと、ACCSの人材開発部にはもっと多くのことができるポテンシャルがあると感じていたからです。純粋に自分が働く会社をよりよくしていきたいですし、さらにそれを士業の先生方に還元できれば最高ですよね。

すでに、社内から有志で集まった採用チームには参加していましたが、やはりもっと本格的に採用や研修にリソースを割く必要があるとも感じていました。「MotifyHR(※ACCSで提供している人材開発プラットフォーム)」の活用についても、まだまだ社内でも推進の余地があると感じています。また、私のこれまでの経験から活かせることや、学生に伝えられることもたくさんある。私が就活生時代に当時の採用担当の先輩に見つけてもらえたように、ACCSに来てくれた就活生の可能性を上手く見つけ出してあげられるような人事になりたいという思いもあります。

それで、プレゼン資料を作って広瀬さんにお話を聞いていただき、人材開発部への異動が決まりました。人材開発部での活動はまだまだこれからですが、今まで通り採用委員会としての活動も続けながら、研修などの運営などに関わるようになりました。具体的には説明会の講師や新卒研修の講師を担当したり、中途採用の施策を考えたり、社内イベントの司会進行などです。やはり、これまで営業で培ってきたコミュニケーションスキルやトークスキルが活かせる場は特にやりがいを感じます!学生との面談など、1対1で話す時間はもちろん、大勢の前で話をすることも好きだったので純粋に楽しいですね。

そしてゆくゆくは、HRサービスを提供し人材開発に取り組む企業として、先進企業の地位を確立していきたいと考えています。独自の企業文化で中小企業全体にムーブメントを起こしてきた企業は過去にいくつもありますが、そういった1つの事例を作れたらいいですね。弊社のフライデーや社員総会などのイベントもかなり面白い取り組みだと思っていますし、文化づくりの面からブランディングを強化していくことも企業にとって重要だと思います。

また、そういったブランディングに関してはただ取り組むだけではなく、その取り組みを「発信」していくことも重要だと考えています。ここについてはまだあまり具体的ではないですが、これまで士業の先生向けのセミナーに何度も登壇した経験を活かして、トークを中心とした広報活動のようなことができたら理想です。人材開発部はACCSの看板という意識をもって活動していきたいですね。

そして、これから人材開発部門として活動していくなかで得られるノウハウを士業の先生方にも還元していきたいです。弊社のお客様である士業の先生方にはさまざまな場面で支えていただきました。関わり方は変わりますが、今まで通り先生方とのコミュニケーションを大切にしていきたいという気持ちは変わりません。

―鶴見さん、ありがとうございました!

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