Gerbera Music Agencyをつくって半年が経ちました - ブログ|Gerbera Music Agency
Gerbera Music Agencyをつくってから半年が経ちました。良い区切りだと思うので思考の整理を兼ねて今思っていることを書いてみようと思います。
https://gerbera-music.agency/blog/course-of-action/
Photo by Klara Kulikova on Unsplash
「こんなに素晴らしいアーティストがたくさんいるのに、オリコンチャートの上位を占めるのはアイドルばかりで良いのか? もっと多様性のある音楽業界にはできないものか」
大学3年くらいにこんな問題意識を持ちました。これが会社を立ち上げた出発点になっています。
金野は2006年に、大学進学をきっかけに東京でひとり暮らしをはじめました。まだまだCDやレンタルビデオ店が覇権を握っていた頃で、音楽を聴く手段はMDからiPodに移行したくらいの時期でした。
高校までは典型的なミーハー気質で、「周囲で流行っている音楽を受動的に聴くタイプ」でした。中学生になってからBUMP OF CHICKENにハマりだしたことをきっかけに、10-FEET、ASIAN KUNG-FU GENERATION、ELLEGARDEN、Hawaiian6、Hi-STANDARDなどロックを好んで聴いていました。KICK THE CAN CREWやRHYMESTER、Eminemなどのヒップホップも好きになりました。大学に入りたてのころはRADWIMPSばかり聴いていました。
その後大学時代に知り合った友達にTHEE MICHELLE GUN ELEPHANT、ROSSO、BLANKEY JET CITYなどを勧められて聴くようになり、「こういうスタイルのロックもあるのか。格好良いな」と思うようになりました。その流れで吉井和哉と出会います。当時活動休止中だったTHE YELLOW MONKEYに関しては代表曲くらいしか知りませんでしたが、彼のソロ活動(YOSHII LOVINSONと吉井和哉)の作品にハマった流れで最も好きなバンドになりました。
ある時、自分にミッシェルを勧めてくれた友達から「そんなにTHE YELLOW MONKEYが好きならDAVID BOWIEやT-REXも聴いてみなよ」と言われました。THE YELLOW MONKEYのルーツのひとつであるグラムロックも聴いてみたら良いんじゃない? という意図だったのだと思います。これまで好きになったアーティストの楽曲をたくさん聴くことはありましたが、「好きになったアーティストに影響を与えたアーティスト」を掘る経験はしたことがありませんでしたので、とても新鮮な感覚でした。
これを機にロックの歴史をたどるように音楽を聴くようになります。その流れでモッズなどファッションも含めたカルチャー全体にも興味を持つようになります。
井上陽水や矢沢永吉、山下達郎、RCサクセションなど、自分が生まれる前から活動している大御所の音楽も聴くようになりました。
そうやって自分の意志で音楽を掘るようになった頃、音楽チャートに違和感を抱くようになりました。当時はCDの販売枚数で順位が決まるオリコンランキングしかありませんでしたので、アイドルグループがチャートを席巻しており、そこに食い込めるのは一握りの大御所のみ。そういった状況でした。
「もちろんアイドルもポップカルチャーを形成する重要なジャンルだけど、もうちょっと多様なジャンルの音楽が台頭しても良いんじゃないか…」と、思いました。 もっと多様な音楽にスポットライトが当たって欲しい。もっと多くのアーティストが評価されるようになって欲しい。こうした思いから、音楽業界に入りたいと思うようになります。
しかし、OB訪問などを通じて「音楽業界に新卒で入ると潰しがきかなくなるから、まずは他業界で働いてどこでも通用する人間になったほうが良い」というアドバイスをいただき、まずは社会人として早く成長できそうな会社に就職する方針に変更。当時成長著しかった人材サービス会社に就職しました。
1社目では人材サービス会社にて2年半飛び込み営業を、その後音楽活動支援サービスを提供しているITベンチャー企業に転職して1年間、サービスの営業を経験しました。2社目の営業ではバンド側の立場に立った提案が全くできず、新卒からの2年半で身につけた営業力では音楽業界においては残念ながら役に立てないのだと絶望しました。一度音楽の仕事からは離れ、別の会社で修行することを決意します。
2013年の冬、デジタルマーケティング会社の面接を受け、アルバイトで働くことになりました。今になって振り返ればインターネット広告会社に入ったほうが近道だったなと思いますが、2013年当時はコンテンツマーケティングやインバウンドマーケティングが新しいトレンドとしてデジタルマーケティング業界に普及している時期だったため、それらが得意な会社に入社しました。
入社当初、同社ではMTGの議事録や取材に必要な備品の購入、画像の簡単なレタッチなどを行っていましたが、徐々にコンテンツの企画や進行管理、編集、取材の交渉、ライターのスカウト、メディアのアクセス解析なども行うようになり、この経験を通じてようやく自分のなかで「デジタルマーケティング」の輪郭がおぼろげながら掴めるようになってきました。多くのクライアントを担当させてもらい、これらの会社の担当者にはかなり鍛えていただきました。ここで一般企業向けのマーケティングを身に着けたことが、のちのちブランドプレイリスト制作の相談をSpotifyさんからいただいた際に役立つことになります。
2014年初頭に「いま得られているデジタルマーケティングの知見を音楽業界向けに発信したらアーティストの役に立てるのではないか?」と思い立ち、WordPressでブログを立ち上げて記事発信を始めました。当時はYouTubeでHIKAKINが海外でバズり始め、エアロスミスとコラボするなどしていました。
「YouTuber」の黎明期で、HIKAKINの他にははじめしゃちょーや瀬戸康史くらいしか目立ったYouTuberがいない時期でした。「HIKAKINがSuper Mario Beatbox動画でバズった理由」みたいな分析記事がブログの1本目だったと記憶しています。YouTubeで検索上位を取るために必要な設定方法の解説を書いたりしていました。残念ながら音楽業界からの反響は全くありませんでしたが、めげずに記事を書き続けていきます。
そうしているうちに1件、大阪・福島でインディーズCDショップを運営している方から神戸で活動している4人組ロックバンドの紹介をいただきました。そのバンドはプロモーションをサポートしてくれる人を探しているタイミングだったようで、ブログを見て相性が良さそうだと思って繋いでいただきました。個人事業の小さい規模でしたが、このバンドのサポートから音楽の仕事が始まりました。
最初の仕事はミュージックビデオの制作でした。ミュージックビデオの監督さんへのオファー、MVに出演してくれる方へのオファー、衣装さんやメイクさんの手配、MVに出てくる焚き火用の薪や燃焼剤といった小道具の手配、ロケハン…デジタルマーケティング会社の仕事をしながら東京と神戸を往復して制作を進行していくのはハードでしたが、監督さんが敏腕だったこともあって非常に良い作品ができました。撮影は1日で一気に行ったのでかなりハードでしたが、撮影後にチーム全員で飲んだ酒は最高でした。
このミュージックビデオの公開にあたってはアルカラの稲村さんやTHE ORAL CIGARETTESの山中さんからコメントをいただき、プレスリリースを書いたりもしていました。
その後、ご縁あって3組ほどのアーティストのプロモーションをサポートするようになります。2015年頃はDIYでアーティスト活動を行う機運が高かった関係で、アーティストからお金をいただいてブッキングやプロモーションを代行するエージェントサポートを事業にしようとしていました。アーティストからお金をいただくにあたり、自分が個人事業主だとアーティストに源泉徴収の手間をかけてしまう関係で、源泉徴収なしで請求処理を進められるように法人を設立しました。これが会社設立の経緯になります。もはや読むのも恥ずかしいですが、当時の詳細は2016年5月公開のブログに書かれてあります。
今振り返ると愚かすぎて笑えませんが、このブログでは音楽業界の方々をこき下ろすような言葉、例えば「(アーティストと)同じ危機感を共有してしかるべきはずの事務所やレコード会社の社員は、その危機感を本質的には共有できません。彼らは売上不振で減給されることはあっても、給料がなくなることはないから。」みたいなことを書いていました。「知らない」ということは恐ろしいですね。この頃はDIYのアーティストをエージェント形式でサポートし、「事務所・レーベルに所属しなくても活躍できる環境をつくる」ことがアーティストのためになると本気で思っていましたが、結果的にそれは間違っていました。もちろんDIYでも活動できる環境が整うことがアーティストにとって良いことではあると思いますが、日本においてはセルフマネジメント方式で持続可能な活動ができるアーティストはほんの一握りです。当時はこれに気づけませんでした。
その後数年間、何組かのアーティストのサポートをしていましたが、残念ながらどのアーティストのヒットにも貢献できませんでしたし、担当アーティストがメジャーデビューした際に関係が終了してしまうケースなどもありました。全ては自社にこれといった強みがないこと、音楽業界の仕組みや慣習を知らないことが原因でした。会社設立当初は自社の力のみでDIYアーティストをヒットさせられるだろうと思っていましたが、それが思い上がりであったことを痛感します。DIYアーティストをヒットさせるというこだわりを捨て、まずは音楽業界の主要プレーヤーである音楽事務所とレコード会社に求められる会社を目指すという方向転換を2017年にしました。
その後、音楽事務所/レコード会社各社に営業を始めました。当時自社が提供できるサービスはPR系(プレスリリース制作、ライブレポート制作、インタビュー制作、ラジオ局への営業代行、Webサイト制作、ドキュメンタリー映像制作)が多くを占めていましたが、これらはやろうと思えば事務所のマネージャー、レーベルのデジタルプロモーション担当、A&Rでもできてしまうものです。残念ながら良い反響は全く得られませんでした。 このままPR系のサポートをやっていてもアーティストの力になれないのではないか? そんなことを悶々と考えて苦しんでいたのが2017年でした。
そうした危機感から、2018年には新しい試みをふたつ始めます。 ひとつはSpotifyに特化したプレイリストメディアを立ち上げること。もうひとつはYouTube広告の運用でした。
前者に関してはSpotifyプレイリストを通じてアーティストのDSP再生数を増やすサービスをつくることを視野に入れ、文脈特化型のプレイリストレーベルとして『Pluto』を立ち上げました。
楽曲の再生数を大きく増やせるようなプレイリストを育てるのは想像以上に難易度が高く、プロモーションの武器にすることはできなかったのですが、結果的にPlutoは一般企業のSpotifyプレイリストを制作代行するブランドソリューション事業が生まれるきっかけになりました。
後者の広告に関しては未経験でしたが、YouTubeのインストリーム広告を見様見真似でいくつか運用していたところ、古くからお仕事をいただけていたとある新人バンドのインストリーム広告がびっくりするくらいハマり、「広告から来た」といったコメントが多く寄せられました。この広告を実施した後に開催されたワンマンライブ@渋谷クアトロはソールドアウト。所属事務所の社長にも広告のおかげで動員が伸びたとお礼をいただきました。これがデジタル広告に舵を切ってから得られた最初の成功体験でした。
ブランドソリューション事業の立ち上がりとYouTube広告の成功体験。まだ飯が食えるレベルではありませんでしたが、これまで何の役にも立てていなかった状況から少し光が見えたのが2019年でした。
ふとしたタイミングで、ロンドンのリサーチ会社・MIDiA Researchが公開した1本のブログを読んで電撃が走りました。LauvやRex Orange CountyといったAWAL所属の新世代アーティストが、カスタムオーディエンス/類似オーディエンスターゲティング(当時はハイパーターゲティングと呼ばれていた)を活用したデジタル広告を通じて新しいタイプのヒットを生み出している、という内容でした。
当時日本の音楽業界では誰もデジタル広告に関する情報発信を行っていなかったので、果たしてこのハイパーターゲティング広告というものが日本人アーティストの力になってくれるものなのか確証はありませんでした。ただ、この広告手法を身につければアーティストプロモーションにおける強力な武器になってくれるかもしれないという直感はありました。
そんな中、現在のGerbera Music Agencyの方向性を決定づける出来事がありました。 2019年ごろからお仕事をご一緒していたとあるアーティストさんの作品の海外向けプロモーションにおいて、クリック単価4円、インドネシアやロシア、メキシコなどのリスナーから多くのコメントがMVに寄せられ、Spotifyのフォロワー数/リスナー数、Instagramフォロワー数が爆発的に増加するという成功体験を引き当てました。
「明らかに何かが起きている」。クライアントの事務所社長と話した結果、この兆しには全ベットしたほうが良いという結論になり、広告予算を増額。最終的にこのアーティストさんはこの時に生まれた反響によってレコード会社複数社からお声がけがかかり、とある会社さんからメジャーデビューすることになりました。
その後も多くのアーティストさんの広告運用サポートを行いましたが、ことごとく成功しました。「この成功事例には再現性を持たせられる」と確信しました。2020年の音楽業界はコロナによって大混乱に陥っていましたが、その裏でGerbera Music Agencyはクライアント数を飛躍的に伸ばし続け、過去最高益を記録しました。
翌年2021年度からは久岡さんと太田さんを正社員で採用。峯さんには従来よりもコミットしていただけることになりました。今後会社が拡大均衡に入ると仮定して行った、はじめての本格的な「採用」でした。2021年はソニー・ミュージックさんやポニーキャニオンさんをはじめ多くのレコード会社さんと取引が拡大。冬に行われたIMCJさんのセミナーで登壇したあとは大型発注が激増し、社内のリソースが足りなくなる状況に。これまで案件がなくて苦しむことは日常茶飯事でしたが、案件が多すぎて苦しむのは会社設立6年目にしてはじめての経験でした。
金野が兼任していたブランドソリューション事業部は石松さんに権限を委譲しつつ、音楽広告事業部で増大していた案件については塙さん、石村さん、深町さん、岩橋さん、大野さんにチームに入っていただくことで対応しましたが、当時はマネージャーもリーダーもいなかったため窓口担当のリソースが足りず、金野が顧客窓口を行うことで不足分をカバーしていました。このころ、金野は6:00-3:00で稼働しており毎日ソファで睡眠していました。
そうした混乱のなかで終えた2021年度は前年度比で売上が6倍に増加し、会社としての本格的な成長を実感した1年となりました。
「どうしよう、全然Spotifyのフォロワーが増えない」。
2021年度の勢いのまま成長し続けられると思っていた2022年度上半期は、混乱のなかでスタートしました。iOS 14のアップデートによって発生しているコンバージョン欠損が広告の品質に深刻な影響を及ぼしはじめました。従来の勝ちパターンはiOS 14アップデートに機能しなくなりました。Meta広告の機械学習は誰に広告を表示させれば成果が上がるのか分からなくなり、正しい最適化がかからなくなり、思ったようにリスナー数やフォロワー数が増えなくなりました。仮に広告動画とターゲティングが良かったとしても最適化が上手く行かないと成果を挙げられないということにこの時ようやく気づきました。
この状況はじわじわと発注状況に影響を与え始めました。当時の特に多くの案件を相談してくださっていた会社さんなどにおいて案件数が減少。過去初めて赤字が出た月もありました。マズい。クライアントの信用を失っているのも嫌でしたし、経営状況が悪化するのもしんどかった。この時期が一番メンタルが不安定でした。
どうすればMeta広告の機械学習が正しく働くのか? どうすれば担当アーティストと相性の良いリスナーに広告を優先表示できるのか? 国内外の運用型広告の情報を頼りに研究し続ける日々。この過程のなかで、現在当社が勝ちパターンとしている運用方法に行き着きます。
次に、コンバージョンの欠損(本来発生しているコンバージョン情報が機械学習に認識されないこと)が発生しないような仕組みを整えてさらなる品質向上に取り組みました。
コンバージョンAPIを使いこなせるようになってから、広告の品質はゆっくりながらも確実に向上していきました。失いかけた信頼は少しずつ回復していき、クライアント1社あたりの取引額も増加。2022年のサービス品質低下は会社にとって最大の危機でしたが、その後品質を担保できるようになるまでの試行錯誤は、自社にとって最も重要なものが何であるかを教えてくれました。
我々Gerbera Music Agencyは誰の何のために存在する会社なのか? アーティストの自己実現に貢献するために存在している会社です。デジタル広告運用を得意としているので、自己実現に貢献するためのアプローチはファンベースの開拓や販促といったマーケティング面になります。だからビジョンとして「音楽マーケティング領域のリーディングカンパニーとなる」としました。そして7つのバリューの最初に「顧客からの長期にわたる信用」が重要であるとしました。
すでにあらゆる場所で話していることですが、口コミが物を言う音楽業界内のBtoBビジネスにおいて、最も重要な要素は信用です。信用とは高い品質のサービスを安定的かつ継続的に提供し続け、アーティストに寄与し続けることによって少しずつ積み上がっていくものです。ここが疎かになっていてはマーケティング領域のリーディングカンパニーにはなれませんし、アーティストの自己実現にも貢献できません。
2022年に陥った危機は、この大原則を改めて教える良い機会となりました。
Gerbera Music Agencyのこれまでの歩みを振り返ると失敗や試行錯誤の連続でしたが、それら全ての経験が現在の会社の礎となっています。音楽業界やデジタルマーケティングの環境は常に進化し続けており、AIの普及に伴って変化のスピードはこれまで以上に早くなるでしょう。恐らく、変化のスピードについていけずに淘汰される会社も出てくると思います。だからこそ私たちは自ら変化し続けることを選びます。アーティストや音楽業界が潜在的に欲しているサービスを先んじて生み出し、提案し続けることで、アーティストやクライアントにとって最善のパートナーであり続けたいと思います。