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人生のこれまでと、人生のこれから。

初めまして。

ストーリーをご覧いただき誠にありがとうございます。

私は、現在28歳のグラフィックデザイナーです。

これまでどんな人生を過ごしてきたのか、これからどんなことを成し遂げたいのかなど、簡単に自己紹介をさせていただきたいと思います。


これまでの人生について

1990年10月10日。広島県福山市で生まれました。

3歳年上の兄の影響で7歳の時に、地元の少年サッカーチームに入り、サッカーを始めました。

とにかく楽しかったサッカー漬けの日々。

この頃から「ユベントスで10番を着け、2010年のワールドカップで活躍する」という夢がありました。


初めての挫折

しかし15歳の時、転機が訪れます。

サッカー推薦で紹介していただいた高校に、「学力が足りなさすぎる」という理由で不合格に(笑)

初めての大きな挫折を味わいます。(サッカーばかりで勉強をほとんどしなかったことを本当に後悔しました)

その後、運よく定員割れをしていた公立高校に進学するも、サッカー部は毎年地区予選で敗退。

プロサッカー選手への道は閉ざされてしまいました。


しかし、私はそんなことでは諦めません。

スポーツ用品店や雑貨屋でアルバイトをし、貯めたお金でプロサッカー選手になるためのトライアウトに参加。

岡山・島根・愛媛・兵庫・岐阜・宮城など全国各地を駆け回りました。

結果的にJリーグ入りを目指す島根県のサッカーチームに入団させていただけることになり、夢に向かってもう一度走り出すことができました。


5年間におよぶ、サッカー漬けの毎日


20歳から25歳までプロサッカー選手になるため、ひたすらトレーニングに打ち込みました。
サッカーでお金をもらえる環境ではなかったため、日中はアルバイト、夜はサッカーという毎日。

お金もなく、ハードな毎日でしたが、それでも仲間と共に上を目指して頑張る日々は、とても充実していました。(この頃、いつもチームの先輩や職場の先輩が食事に連れて行ってくれていました。本当に感謝です...)

週末に行われる試合では、徐々にチームを応援してくれるサポーターの方も増え、チャントと呼ばれる選手の応援歌を歌ってもらったことは本当に嬉しかったです。

そして、試合を見に来てくれていた子供達からサインを求められたり、「人に夢や希望を与えられる人になりたい」という1つの夢が叶ったような気持ちでした。

しかし、その後はなかなかチャンスを掴むことが出来ず、5年が経過。

「このままサッカーを続けるべきか...」と悩んだ末、25歳でプロサッカー選手の夢を諦め、就職活動を始めます。


ドキュメンタリー番組がきっかけで...

サッカー漬けの毎日でしたが、生活していくために様々な仕事を経験してきました。

雑貨店の店員、ゴミの回収員、アパレル店員、PCメーカーのテクニカルサポート、水道の管理、食品工場の作業員などなど、数多くの職業を経験させていただきました。

しかし、25歳までサッカーを中心に生きてきて、大したスキルを身につけてこなかった私は、なかなかその後の就職先が決まらず、路頭に迷ってしまいました。

本当に、自分がこれから何がやりたいのか、何を目標に働くのか、分からなかったんです。

でも、1つだけ「なんとなく働いて、なんとなく一生が終わってしまうのは嫌だ」という気持ちがありました。


そんな中、好きでよく見ていたドキュメンタリー番組で、デザイナーの佐藤オオキさんの特集を拝見。

ミラノ・サローネや数々の有名ブランドのプロダクトを手がける佐藤オオキさんはとても輝いていました。

子供のような視線でものごとを見ること。
ありそうでなかったものをデザインし、暮らしに小さな驚きを与えること。
見ていて、とてもワクワクしました。

そして、私はデザイナーを目指し始めました。(かなり単純...笑)


しかし、デザイナーと言っても様々。

どうやってデザイナーになっていいかも分からず、ひたすら調べました。

その過程で、またすごいデザイナーさんがいることを知ります。

それが佐藤可士和さんでした。

ユニクロのロゴで街をジャックしたり、大人のキリンレモンのパッケージの制作を特集した番組を拝見し、またしてもワクワク。

正直デザインのことなんてよく分からないけど、とにかくこんなかっこいい仕事がしたい!

と言うのが当時の正直な気持ちでした。

そして、デザインの無限の可能性を知り、まずはグラフィックデザインを学んで、ロゴやパッケージ、広告を作ってみたいと思いました。


職業訓練校でデザイナーとしての第一歩



しかし、デザイン学校を出たわけでもなく、なかなか未経験から働かせてもらえる制作会社が身近にありませんでした。

そんな中出会った、紳士服のOEM事業を行う会社で働かせてもらえることになり、服の製図を通してIllustratorの基礎を身に付けることが出来ました。

服の展開図を作成し、縫製指示書を作る仕事...。少しデザイナーに近づけた気がしてとても楽しかったです。

その後、職業訓練の募集を拝見し、デザインを学ぶため、WINスクールのWEBデザイナー科に入校。

この時、呆れながらも背中を押してくださった当時の職場の皆さんには本当に感謝しています。

WINスクールでは、DTPデザインからWEBデザイン、コーディングまで幅広く学ぶことができました。

そして、初めて自身のロゴデザインとファッションブランド(架空)のホームページを作成。

・ロゴデザイン(https://naokiono.com/naokiono-logo.html

・ファッションブランド(架空)のHP(https://naokiono.com/naoki_ono/index.html

さらに、同じく夢を追いかけ人生をどうにか変えたいと頑張る仲間たちにも出会うことができ、私はデザイナーとしての第一歩を踏み出しました。


デザイナーとして初めての実務

その後、広島で美容サロンを経営する会社に入社。

社内デザイナーとして、サロンのPRのみならず、ベンチャー事業の立ち上げやイベントの企画にも携わられていただくことができ、とても刺激的な毎日でした。

↓↓その時に作ったものがこちらです(一部)↓↓

https://naokiono.com/amelia-web.html

https://naokiono.com/santebelle_hp.html

https://naokiono.com/beautymarche-logo.html

ベンチャー事業では、自ら営業に出ることも多く、幅広く経験をさせていただきました。

また、サロンのオープンに携わらせていただき、私が作ったロゴが実際の店舗に掲げられ街の一部になった時の感動は一生忘れません。

約2年勤めたのちに、さらなるステップアップを目指し退社。

私の挑戦に真摯に向き合ってくださり、背中を押してくださった職場の皆様にはとても感謝しています。

現在とこれから

現在は、広島でフリーランスのグラフィックデザイナーとして活動しています。

ありがたいことに、サッカーの繋がりなどから、スポーツブランドの立ち上げにデザイナーとして関わらせていただいたり、イベント広告やロゴ制作の依頼をいただくこともあり、感謝の毎日です。

ただ、「かっこいい仕事がしたい!」と始めたデザインでしたが、だんだんと人の役に立てる喜び、人に必要とされる喜びを知ることができ、新たな目標ができました。

その目標は、何かの賞を取ることや世界中から讃えられることではなく、挑戦する人や困っている人の背中を押せる人になること。

誰かに夢を与えるとか希望を与えるとか大げさなことではなく、誰かの夢や希望に同じ方向を向いて一緒に考え、一緒に挑戦する人になりたいと思いました。

25歳までのサッカー選手を目指した日々は私の財産です。決して無駄ではありませんでした。

26歳から始まった遅咲きのスタートですが、30歳になっても、40歳になっても、何歳になっても少年の頃のようなワクワクを忘れず、チャレンジし続けたいと思います。

最後までご覧いただきありがとうございました!

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