障がい者と健常者の「境界」って?
私は健常者と障がい者の「境界」が分かりません。
私の父は冗談で人を笑わせるのが好きで、柔道の練習ではいつもわざと転んでくれました。
少し不思議な歩き方をしていたけれど、あまり気にしていませんでした。それは、例えば私の身長が人より少し小さいとか、視力が悪いとか、そういう「個性」くらいにしか考えられなかったのです。
中学生になり知識もついたころ、あるとき、ふと、父が「障がい者」と呼ばれる立場の人間だと気が付きました。
しかし、疑問に思いました。境界が分からないのです。
身体機能はともかく、私の父と一般人が「違う」とされるのはなぜなのでしょう。偶然父のことを知った友人が、悲しそうな顔をするのはなぜでしょう。
私は父の足のことを、ほとんど人に話しません。それが、「人に話すような特殊なこと」だと思えないためです。
いくら考えても、私にとっては「普通」の父でした。
疑問を抱えながら大学生になり、「障がい児教育」「臨床心理」を履修しました。
そこで分かったのは「境界などない」ということでした。
私の「境界が分からない」という感覚は、不思議でもなんでもなかったのです。もちろん今でも分かりません。
もちろん人の好き嫌いはありますが、私にとって「障がい」はフィルターにならず、誰でも柔軟に受け入れられてしまいます。
だからこそ、この「わからない」という感覚は、父がくれた大切な贈り物なのだろうと思います。