皆とは違う点を極める職人肌の私が、1人での100%より皆での200%の価値を学ぶまで
まだwantedlyに慣れておらず、少しずつ自分のプロフィールを充実させていってます。
紹介文には書けなかったことをここに書いていこうと思います。小さな自分史です。読んでいただいて私のことが少しでも伝われば幸いです。
タイトル通り、私は昔から他の人たちとは違うところで得意なものを見つけ、それを一心に極めていくタイプのちょっとしたひねくれものです。
小学生時代はあまり記憶がないのですが、覚えている限りでは中学生時代からそれが出ていました。
『皆と違うサーブを武器にする』
中学時代はソフトテニス部に所属していました。入部したのは友達が入るからという単純な理由でした。周囲の子たちは、威力もあり先輩たちもみんながやっているジャンプサーブを習得していきましたが、私は元々運動音痴、体力もあまりなく、練習してもジャンプサーブがうまくいかないのなんの…ジャンプサーブがうまくいかないために、私のサーブミスでゲームがとられていくことも多くありました。情けない。もっと役に立つ選手になりたい、私にしかできないことはないかなと模索していたとき、1つ上の先輩がカットサーブをしているのを見ました。ジャンプサーブより少し難易度が高く、威力・迫力はないものの相手を混乱させるには強いサーブでした。ジャンプもする必要がないので低身長&ジャンプ力無しの私はこれだ!と思い、同級生の中で一人だけカットサーブを始めました。先輩の技を盗みつつ、顧問にアドバイスをもらいつつ自己流で習得しました。当時カットサーブをする人があまりいなかったので、試合では相手を翻弄させる良い武器になりました。もっと私にしかできない武器にしてやるぞと思い、スイングのスピード・回転数などいろいろと研究していました。カットサーブだけに関しては、当時の部長・副部長にも負けていなかったと自負しております…!
『センター試験で数学は半分白紙、文系教科は満点近くという正反対ぶり』
次は大学受験時について。私は昔から理系教科が得意であったことがありません。その代わり、文系教科は大好きで、特に英語と社会(日本史・倫理)が大好きでした。といっても、センター試験は自分の好きな教科だけではうまくいきません。なるべくオールマイティーを目指すことが安全圏です。一応嫌いな数学や生物に取り組みながら息抜きとして英語・社会を勉強していました。日本史・倫理に関しては教科書の内容が全部頭に入っていたくらい好きでした。英語は当時好きだった海外ドラマにかぶれていたことがモチベーションでした。苦手な教科を頑張るべきなのに、自分の得意な文系教科は何があっても満点を取るぞという気持ちで学内のテストに臨んでいました。不得意なものができなくても、得意なもので一番になれたらとりあえず満足、という頭だったのでしょう。全てまんべんなく点数を取りに行くという考え方は当時の私にはなかったようです…
センター試験当日、生物は空欄はあったもののどうにか持ちこたえましたが、数学は分からなすぎて半面白紙で出してしまいました。黒歴史です。一方、社会や英語の点数は満点に近い結果に終わりましたが、もう二次試験(英語・社会・国語)でどうにかやるしかないという状況でした。全ての教科で点数を上げていこうという他の同級生と比べると、かなり危ない橋を渡っていたと今では思います。二次試験の国語の結果は記憶に残っていないのですが、英語と社会の記述問題のおかげで私が大学に入ることができたと言っても過言ではありません。
『英語を放って、フランス語に傾倒しまくる』
大学入学直前、英語以外の初修外国語を選択しなければなりませんでした。当時英語が大好きで、英語圏に留学したいと意気込んでいたので、正直その時他の言語にあまり興味はありませんでした。それでも必修なので、世界的に話している人口多いからというふわっとした理由でフランス語を選択しました。その時はフランス国旗の3色の並び方さえよく分かっていないレベルでした。
さて、大学で授業が始まります。楽しみにしていた英語の授業です。高校時代とは違って、大学っぽい活発な英語トークがクラス内でできるんだろうな~と想像していました。が、実際は逆でした。オーラルのクラスなのに先生は非常に無口な方でテキストにあることしかやらず、同級生の中にはもう高校時代に留学して英語がペラペラな人がいたり、シャイな人が多くて英語で話すことおろか日本語で話すこともあまりないというクラスでした。思っていたのと違うなあと思いつつ授業を受けていました。
一方でフランス語のクラスは、非常にやる気に溢れている人が多かったです。全員がフランス語ゼロスタートで学習意欲に燃えていました。そこで、大学時代の良きライバルとなる友人に出会います。彼女は中学時代から憧れのフランス留学を目指していました。一緒に過ごすうちに私も、フランス語が楽しくなってきて、毎回先生に質問攻め、図書館閉館時間まで文法や語彙の復習など、彼女と必死にフランス語を勉強する日々を送っていました。気づくと、英語がおもしろくなくなり、それをポーンと隅に追いやってフランス語漬け&フランス留学を目指す毎日になりました。友人と並んでクラス内で有名な「フランスバカコンビ」になっていました。
フランス語はやはり癖の強い言語で、2年次になる頃にはフランス語をあきらめてしまう同級生が多くいました。私の大学は2年次に専攻を選びます。希望を出すとき第三希望まで出すところ、私と友人は第一希望に「西洋言語文化学プログラムフランス言語文化学」とだけ書いて紙を提出するという…この学科、通称「仏文」は相当(フランス大好きな)変人が多く集まる学科で、私の年は仏文の同級生は私含めたった4人でした。(私のいる人文学科は一学年だいたい200人ほどいます)
『初めての外国がフランス』
2年次後期に、フランス・ナント市に1年間の交換留学をしました。人生初海外、不安と期待でいっぱいでした。ナント大学附属の語学学校に入り、クラス分けテストを受けて初心者レベルからスタートしました。様々な個性と国籍を持つクラスの中で、文法はたくさんやって書くのは達者だけど話すのは苦手!というタイプの私は、友達作りに苦戦しました。話せなさすぎて、相手にならないと思われたのかクラスメイトの女の子に無視されるということもありました。それでも、韓国人・台湾人・中国人の友達ができました。この交換留学中、得意としていたライティングをさらに伸ばし、話せないを克服すべくフランス人の友人もたくさん作り、留学後半は初期の初心者レベルから日常会話にちょっと毛が生えた程度にまで成長することができました。最初から将来については全く考えず、フランス語上達だけしか頭になかったのですが、語学学校での恩師との出会いをきっかけに、フランス語を使って生きていきたい!と思うようになりました。ですが、思った矢先に留学が終わり、帰国となってしまいました…
『2度目のフランス留学』
帰国後、非常にモヤモヤしていました。フランス語を使って生きていくと決めたわりにこの自分のフランス語力は一体何なんだと。誰からも認められる語学力がないと何も始まらないぞと思い、まさかの帰国早々2度目の留学を決意しました。この決断は正直、あまり簡単ではありませんでした。同級生たちは就職活動へ乗り出し、私はこの決断のために1人、卒業が一年遅れることに。1度目とは違って交換留学ではないので奨学金を自ら見つけなければなりませんでした。私の心が折れそうになったのは、この決断に対して先生から猛反対を受けたことです。それでもやっぱりフランス語を最大限に極めたいという思いで、先生の反対を押し切って、留学準備に奔走しました。一人の先輩の助言によりどうにか奨学金を受けることになりました。この時点で、他の同級生とは違う道を歩き始めたことで「人とは違うことを極める」という私の性格がより強く出ていたと思います。
留学後というのは、向こうで培った語学力の維持が難しいと思います。それに屈したくなかったので、フランスの大学入学資格の1つとなる語学検定にチャレンジして、フランス人留学生のチューター業務を利用しながらさらに語学力を伸ばしました。これが功を奏して、2度目の渡仏後は語学学校で1番上のクラスからのスタートを切ることになりました。
留学先は交換留学時と同じナント市です。理由は、もう町の大体のことは分かっているので住む場所の見つけやすさなど、勉強により集中できる環境になると考えたからです。しかし半年間をもっと集中的に利用するために、私は交換留学時にしていた1人暮らしではなく、ルームシェアを選びました。日本語を勉強していた3人のフランス人の友人に声をかけて、お互いの語学力を伸ばせる!という思いの下、家を探してフランス人3対日本人1の4人で生活を始めました。
無論、ルームシェアは思っていたより難しいところがありました。お互いの好みの違いや生活スタイルの違い等々、4人での試行錯誤でした。フランス人同士でもなかなか難しいとされるルームシェアですが、日本人の私が入ることでさらに異色な空間でした。お互いの文化の違い・考え方の違いで衝突することも少なくはありませんでしたが、その度に話し合って理解を深めていきました。ルームシェアをして一番よかったことは、学校での悩みや難しい課題など、精神的につらいときは彼らに吐き出して、聞いてもらうことで救われたことがとても多かったことです。お互いに何でも話す関係になっていたので、彼らは一生ものの友人になるだろうと思いました。留学最後に挑戦した自分史上最難関の語学検定は、彼らの協力なしには達成できませんでした。
この2度目の留学で語学力以外に学んだことは、「お互いに嫌なところが見えても、やっぱり大好きでいられる」という人間関係の在り方と、「周囲の協力なしには成功はない」ということでした。ルームシェアをしながら、お互いの悪いところが見えて時には嫌になることもありましたが、結局良いところがたくさんあってお互いに尊敬し合えるという関係を築きました。
今まで、1人で何かに向き合って自分の好きなことをコツコツ極めてきたのですが、2度目の留学において「1人での100%より皆との200%」にできることが分かりました。留学準備段階、私に協力して色々な情報をくれた人々がいなければ1人では何もできなかったと思います。留学中、ルームメイトたちがいなければ語学力もどうなっていたか分かりません。半年間一人で生活していたら人間的に成長することも、一生ものの友人を手に入れることもなかったかもしれません。私の2度目の留学は、ルームメイト、直談判してアシスタントとして私を受け入れてくださったナント大学の先生方、ボランティアに挑戦する機会を私に与えてくれた友人や先生方がいなければ、今の私はないと思います。選択が皆と違っても、1人ではなくて多くの人と協力して何かを成し遂げたことでその選択も間違っていなかったと自信になりましたし、改めて周囲と協力することの重要性を痛感した経験となりました。