マーケターになったから、命をかける価値ある仕事に出会えた。さぁ君はどうする?
おはようございます、小川剛史です。
今日は、成長著しい株式会社iCAREで連載されている「リレー入社ストーリー」に参加させていただきました。ありがとうございます。
iCAREでの立場を説明すると、Sales&Marketing部に所属しています。「マーケター」として、新規客獲得のためのマーケティングの責任者を担っていますね。さて、実はこう見えて転職回数が多い(iCAREは8社目)のですが、そんな私から今日は2つのことをお話いたします。なんてことはない、たあいもない2つの経験です。
※ 例のごとく、とっても長いなが〜い入社ストーリーです。お時間のある時にお読みください。
ひとつめ、恐怖を知る経験
何の恐怖か?仕事を失うことの恐怖です。
はじまりは1本の電話からでした。大学4回生の1月4日、友人たちと一緒に卒業旅行の計画をたてていたその時です、内定をもらっていた会社から電話がかかってきました。
「〜〜という事情で、小川くんとは一緒に働けなくなった。申し訳ない」
内定取り消しの連絡でした。時は2009年、リーマンショックは日本経済に大きくのしかかり、その余波は日本の就職戦線に大きな影をおとしました。就活中は売り手市場だったのが一転、内定取り消し者が続出しました。私もその一人だったのです。
こうして小川剛史はまだ就職していないのに職を失ったのです。
ホームレス就活生、はじめます
2回目の就職活動が大阪ではじまります。
言い忘れていましたが、私の地元は広島県尾道市。大学進学を機に大阪に出てきて、就職は広島市内のコンサル会社の予定でした。はじめはすぐに仕事が決まると思っていました。だって、就職活動していた時は売り手市場でしたからね。1ヶ月もあれば内定がもらえると、その時の私は勘違いしていたのでしょう。
1ヶ月後、2月半ばでまだまだ冷え込む大阪の公園にて僕はホームレスになっていました。所持金が底をついたのです、、、もちろん仕事は決まっていません。
ホームレス生活、経験された方はいるでしょうか?
私が居を構えていたのは、大阪市旭区の阪神高速下にある公園。ベンチ裏にダンボールと新聞紙を重ねてベッドを作りました。ベッドの作り方を教えてくれたのは、先にいらっしゃったおじさん(名前忘れちゃった)。ダンボールも新聞紙も、あとプチプチも分けてくれた、命の恩人と言っても過言ではありません(名前忘れちゃった)。
1ヶ月と1週間、その公園を拠点に毎日面接を受けに行く日々を過ごしました。
食事はカップラーメンを半分に割ったものを水で戻します。お湯が手に入らないんです。水はヤマダ電機にあったウォーターサーバーを利用しました。
冬とはいえ身体や髪はちゃんと洗わなければ臭ってきますし、受かる面接も落ちてしまいます。そこでペットボトルで作った手作りシャワーを使います。ペットボトルはコーラの2L、水は公衆トイレからお借りして。真冬の水シャワーはまるで修行僧が滝行をするかのごとく、面接前の私の精神を磨き上げてくれました。
あの日見たあんぱんと牛乳を僕は忘れない
夜12時を周り、サークルKに立ち寄ったときです。見切り品コーナーにはあんぱん(70円)と牛乳(90円)が並び、私の財布の中には130円の小銭が転がっていました。
「甘いものが食べたい、でもあんぱんはノドがかわく。でも牛乳ではお腹ふくれない」
あの時の悔しさは今でも胸の中、ほど浅いところに残っています。仕事を失うとはこんなにも辛いことなのか、こんなにも明日がくることに恐怖を感じるものなのかと。
そんな悔しさと惨めさで立ち尽くしていた時、面接の連絡待ちだった企業からメールが入りました。
「夜分遅くにごめんね、小川くんにぜひ来てもらいたくって。来週から来れるかな?」
「ありがとうございます!一度、実家に帰ってすぐに準備してきます。」
↑この公園から毎日のように面接に向かっていた。電車が使えないのですべて徒歩で。
仕事は会社が決めることじゃない、自分が決めることだ
こうしてホームレス就活生を経験したものの、
その後も私は様々な理由で転職をくり返してきました。
iCAREに入社するまでに7回の転職とフリーランスを経験しました。仕事を失う恐怖をあれほどリアルに実感していたのに、なぜ私はこんなにも転職をくり返したのか。
ホームレス生活を通じて私が経験したことは実は「仕事を失う恐怖」ではありませんでした。逆、反対に「仕事を自分で決める自信」を身につけることができたようです。
仕事とは自分の命をかけるに値します。
しかし、多くの人が自分の命をかける仕事を会社に委ねてしまっています。いいえ、もしあなたが何か自分の人生で偉大なことを成し遂げたいなら、必ず自分で仕事を決めることが大切です。素晴らしい仕事に出会い、その仕事を信念持ってやりきること。そのためには、仕事を会社に決めさせるのではなく、自分で決めるのです。
さて、そうは言っても「命をかけるに値する仕事ってどうやって見つけるの?」と思うでしょう。そこで2つ目の経験をお話しましょう。
ふたつめ、点と点をつなげる経験
命をかけるに値する仕事を見つけるために。
ひとつの例として、私が「なぜiCAREでの仕事を選んだか?」についてお話させてください。
大学卒業からの10年を大阪で過ごしました。何度も転職をくり返しましたが、職種としては「WEB担当」や「ネットショップ店長」ばかりでした。やはりインターネットでモノやサービスを売ることが好きで好きでたまらないんです。
しかし、30歳を過ぎたところで自分のキャリア(生き方)に疑問を持ち始めました。
「せっかく自分で仕事を決める大切さを知っているのに、いつまでもWEB担当でいいのか?本当にチャレンジしたいことは他にないのか?自分の命をかける価値ある仕事を僕は知っているのではないだろうか?」
ネットショップで商品を売ることだって十分にエキサイティングです。だけど、何か偉大なことが成し遂げられるとは思えなかったのも事実です。
「マーケター」を名乗るきっかけ
ホリエモンこと、堀江貴文さんはご存知でしょう。私が「マーケターである」と公言するようになったきっかけを作ってくれた方です。
確か2016年に開催されたad:tech大阪での基調講演でした。堀江さんが登壇して予防医療のマーケティングについて語っており、その壇上で次のように呼びかけたんです。
「みなさん、マーケティングの専門家ですよね。ぜひチャレンジしてみてよ予防医療に。」
「マーケターって市場を創ることが仕事でしょ?予防医療なんてほとんど市場ないんだよ、今からやったら独占できるかもしれない。なのになんで本気で取り組まないの?」
これだ!!!って私の脳細胞が踊り立ちましたね。
市場を創ること。
今はまだ困ってないけど将来問題を抱えてしまうような人にサービスを提供できる市場を創ること、それこそが小川剛史の命をかけるに値する仕事ではないかと。
それ以来、私は自分のことを「マーケター」と名乗ることにしました。今までマーケターが仕事になるだなんて考えたこともなかったけど、マーケターという生き方を私は選んだのです。
ヘルスケアなんて興味なかった。でも・・・
iCAREはヘルスケアの会社です。だから、入社しているメンバーはみんな健康意識が高い!と思うじゃないですか。
でもみんながみんなそんなわけなくて、中でも私は典型的な肥満であり健康意識低い系であることは間違いありません。ただ、よくよく自分の人生を振り返ってみると、私の人生は病気とともに歩んできていたことに気づきます。
生まれてから小学生ぐらいまでは小児てんかん・鉄欠乏性貧血・ぜんそく・肥満といった持病を抱えている少年でした。毎週のように病院での検査があったり、年に一回は体調を崩して数週間入院することになったり。いつ発作が起きるか分からないので、水辺に近寄ることをかたく禁じられていた頃です。
中学に進学すると、持病のほとんどは落ち着いてきたものの新たに腰痛に悩まされました。ぎっくり腰をくり返しているうちに、椎間板ヘルニアを持ってしまい座って授業が受けられないほどに。
社会人になってからも、毛巣瘻というお尻に膿がたまる病気を患いお尻の肉を切除する手術をしました。つい最近では睡眠時無呼吸症候群であることが判明して、CPAP治療がはじまったばかりです。
こうやって書いてみると色々と経験してますが、それでも自分の健康には意識が向きません。健康がそんなに大切なものだとは実感できてないのです。なぜなら、こんなに病気を抱えながらでも結局生きてしまってるから。私は健康じゃなくてもそんなに困ってないのです。
↑ドラえもんとか、トトロとか、ぞうさんとか言われてます
iCAREの面接を受けた時に、点と点がつながった
話がとっちらかっているように見えますか?大丈夫、ここからつながってきます。
私は、2016年のホリエモンの言葉によって「まだない市場を創るマーケター」になることを決めました。それに、幼少期から病気とともに歩んできたので、健康じゃなくてもそんなに困ってない健康意識低い系でした。
この2つの点が私に「iCAREで働くこと」を選ばせました。
iCAREでの面接では、いきなり代表取締役CEOである山田とでしたね。その時に一体どんな話をしたのか、正直なところ詳しいことはほとんど覚えてないのですが2つだけハッキリ覚えていることがあります。
ミッションである「カンパニーケアの常識を変える」は、まだまだ未開拓な市場だということ。
そして、今あるヘルスケアは意識高い系にしかリーチできていない。大事なことは意識低い系にもアプローチすること。
そうここでつながりました。マーケターである自分が命をかける価値ある仕事がiCAREにあると直感できたのです。
あらかじめ知っててiCAREで働きたかったわけではありません。どちらかといえば、他のもっとオサレなイケてる大きな規模のIT企業で働くことをのぞんでいました。でも、私はiCAREで働くことを決めました。
命をかける価値ある仕事なんて、計画立てて見つけようとしても見つかるものではありません。でもその糸口となる点は必ずあなたの人生の中にあるはず。だから、まずはその点を見つけましょう。次に、点と点がどうにかつながらないか試行錯誤をくり返してみましょう。
くり返しますが、仕事というのは会社が決めることではありません。あなた自身が自分で決めることなのですから、自分の人生の中で点と点をつないでみてください。きっと見つかるはずです、あなたが偉大なことを成し遂げられる仕事が。
iCAREはプロであることを尊敬する職場
最後に、iCAREという働く環境についてお話して終わりにしましょう。
入社して分かったiCAREの魅力は、「プロであることを尊敬する職場」であることです。これはクレド「楽しまなければプロじゃない」からも見てとれます。
他社のことをここで言うのもおこがましいことですが、日本の職場というのは「プロフェッショナル」が過ごしづらい環境です。終身雇用が前提で、ジョブローテーションが当たり前のようにあり、一つの道を極めたスペシャリストより多くの道を知っているマネージャーの方を高く評価してしまう。そんな風潮はたとえベンチャーやスタートアップといった新興企業であっても残ったままです。
一方で、iCAREという会社で一緒に働く仲間たちはみなプロであり、各自のプロフェッショナルに心から敬意を評しています。
誤解がないように伝えておくと私たちが言う「プロフェッショナル」とは、特定のスキルが高くてそれだけで食べていけるような人という意味ではありません。そうではなくて、プロフェッショナルとは覚悟をかためた人という意味です。
たとえば、私は「マーケター」というプロフェッショナルです。iCAREの事業がどれくらいのスピードで成長するかどうかは、マーケターではる私の腕にかかっている覚悟をもって仕事に臨んでいます。今日の行動、今日の判断が、1年後のiCAREの事業規模を左右すると思ってデスクに向かっています。
あなたは今、自分の仕事にそれだけの覚悟が持てているでしょうか?
会社から与えられた仕事ではありませんよ、自分が決めた命をかける価値ある仕事に覚悟をもって取り組めているでしょうか?
もしかすると「まだプロの覚悟がない」かもしれませんね。あるいは、命かける価値ある仕事に出会えてないのかもしれませんね。
どちらにしろ、今日ここまで私の文章を読んでくれたあなたは少なからず「今の自分から何か変わりたい」と思っていることでしょう。だったらiCAREという職場を一度体験してみませんか?
iCAREでの仕事が、あなたの人生の点と点がつながるかどうかは分からないけど。
もしも、自分で決めた仕事に命かける覚悟ができたらiCAREで働くことは検討してみてください。私たちは覚悟を固めたプロを喜んで歓迎します。
↑「ギニュー特戦隊 withドドリアさん&ザーボンさん」は、プロフェッショナルが集まるiCAREだからこそ実現した部署横断プロジェクトです。