書籍【AI失業~生成AIは私たちの仕事をどう奪うのか?】読了
「AIの進化によって仕事を奪われ、我々は本当に失業してしまうのか?」
AI関連の話をしていると、必ず話題となる内容だ。
結論から言えば、奪われる仕事があるのは事実。
よく例に出されるが、弁護士事務所で働くパラリーガルなどは、ほとんどの仕事が「過去の判例を調べる」などの調査業務のため、そういう部分はAIに代替されてしまうと言われている。
医療行為として、画像診断する読影師なども、最近はAIの方が精度が高くなっているために、代替されていくだろうと言われている。
完全にAIに置き換わって、パラリーガルも読影師も一人もいなくなるということはなさそうだが、確実に仕事の中にAIが組み込まれて、今まで10人で行っていた仕事が、「3人+AI」で済むようになるかもしれない。
そういう意味では、差し引き7人が失業することになるが、おそらく様々な職場がこういう状況になっていくのだと思う。
作業内容によっては、AIに代替できないものも確実にある。
現状では、ほとんどの肉体労働はAIに代替できないと言えるし、特に介護の現場などは、まだまだ人間が相手の気持ちに寄り添って介助することが必要だろうとも思う。
基本的に「PCを使って完結する」ような仕事は、AIに置き換わりやすいと思う。
ほとんどのホワイトカラーの業務はPCを使っているのだが、それだけで完結している仕事であれば、代替の危険は高いと言っていい。
プログラミング業務は分かりやすいし、経理会計などの事務作業も当然その対象となりやすいだろう。
今もこの文章をPCで書いているが、例えクリエイティブ業務であっても、PC内だけで完結しているようなものは、きっとAIが自動生成する方が便利になってくる。
イラストであっても、動画編集であっても、生成AIの力を借りれば、ものの数分で作り上げてくれて、さらに手直しについても、嫌な顔一つせず、寝ずに対応してくれる。
本書内では、AIに代替されづらい仕事を、「クリエイティヴィティ」「マネジメント」「ホスピタリティ」の3種と位置づけている。
前述の通り、クリエイティブワークこそAIに代替されそうであるが、ここが非常に重要なところ。
作業としての「クリエイティブワーク」は、確かにAIに代替されていくのだろう。
しかし、全く何もない「無」から、何らかの価値を生み出すというクリエイティヴィティは、AIに代替されようがない。
プロンプトがあるから、AIもワークができるのであって、意志や情熱は持ちえない。
人間の特徴はまさにここであり、我々が目指すべきところである。
子供の発想力は素晴らしい。
想像力は無限大だし、友達同士で新しい遊びを考案して楽しめるなんて、まさに人間らしい特徴と言えるはずだ。
確かにクリエイティブは、ほとんどの部分が生成AIに代替されてしまうかもしれない。
しかし「発想の種」のような「ゼロイチ」のようなものは、人間から発想されていくはずだ。
だったらその力を磨いた方がいい。
ほんのひと工夫。
AIでは考えつかないような、裏をかくような発想で、創造力を磨くことが必要だ。
同じことが「マネジメント」にも言える。
単純なタスク管理業務は、AIが得意とする分野だ。
ここで戦おうとしても、全く意味がない。
それよりも、「起業家」の発想が必要ということだ。
社会課題に対して、「どうしても解決しなければいけない」という使命感で突き進む。
思うだけでなく、人を巻き込んで、実行に移していく。
まさに企業経営者と同じであるが、そういう意味での「マネジメント」は、AIに代替されづらい仕事と言える。
一方で、全員が企業経営に向く訳ではないし、メンバー側で社会課題解決に貢献する方法もあると思う。
そういう部分はAIとどう棲み分けていくのか。
経営部分の人間が一人だけいれば、後はAIが担えばよいのか、などはこれから徐々に最適解が見つかっていくのだろうと思う。
「ホスピタリティ」の部分は、AIに代替されづらいのは分かりやすい。
「この人と一緒にいると心地よい」という感覚は、究極の能力だと思う。
顔がいいとか、性格がいいとか、そういう単純な話でもない。
全体の雰囲気も非常に重要だし、利他の姿勢というか、自分よりも相手を思いやる気持ちというのも非常に大事なのだと思う。
言い換えれば「人間力」とも言えるかもしれない。
人間力が高ければ、マネジメント力もおのずと高くなるだろう。
そういう意味でも、各要素は連動しているとも言えなくもない。
自分で書いていてなんだが、「人間力」という言葉が、元々の問いに対して矛盾している答えだと言えなくもない。
「AIに代替されないために、人間力を磨け」とは、あまりにも回答が陳腐過ぎる。
しかしながら、極めて本質とも言える。
AIは人間でないのだから、人間力を磨きようがない。
人間は機械でないにも関わらず、機械であるAIと戦おうとしている。
これ自体が無駄であり、無理がある。
人間なのだから、人間らしく、人間力をひたすら磨けばよい。
世の中には、「ポンコツだけど、何となくチャーミングで、お世話したくなる」みたいな人間がいる。
「ポンコツだけど、何となくチャーミングで、お世話したくなるAI」には、どうにも魅力が湧かない。
そう考えると、歌も踊りも下手だけど、アイドル目指して頑張っている人と、彼らを応援する人たちとの関係性は、それで経済活動が成り立っている以上、立派な「仕事」と位置付けられるかもしれない。
こういう場面が今後増えていくのだろうと思う。
「それって仕事と言えるの?」というような、あんなこと、こんなことが、仕事として成り立っていくだろう。
そう考えると、既存の仕事はAIに代替されていくのだが、新しい仕事も発明されて、人間たちはそちらの方を一生懸命やるのかもしれない。
「AIに代替されないようになる」唯一の答えは、「人間らしく生きる」ということ以外にないような気がしている。
「ものすごくポジティブで、底抜けに明るい人」などは、意外と生き残っていけるのかもしれない。
そんなことを想像しながら、自分はどうやったら生き残っていけるかと夢想している。
色々な人と意見交換しながら、未来を模索してみたいと思っている。
(2025/5/31日)